
ここ数日、ずっとフィルム現像かプリントかどっちかをしていたので、腰も痛めたことだし、今日は暗室作業休み。
今まで焼いた三十数枚のプリントのスポッティングをする。
以前ここで、ホコリの穴埋めをしないで展示していた人をさんざんケナしたあとだけに、いくら「突貫写真展」とはいえ、そんな僕が穴だらけのプリントを展示してたらシャレにならない。
でも、あまりホコリなんかなかったので、三十数枚を15分ほどで終了。
今は暗室作業するにはほんといい季節ですね。静電気も起きないし、水温もちょうどいいし。
しかし、便利だからと最近ずっと使っている非硬膜定着液(イルフォードやエヌエヌシー)、「非硬膜」というだけあって、やっぱりプリント表面はヤワいですね。糸埃をぬぐおうとガーゼで表面を拭いたら、ちょんと小指の爪が当たってしまって、プリントに簡単に傷がついた。
あーあ、焼き直しだ。
でも水洗時間の短さ等とても便利なので、もうフジフィックスには戻せない。これからは擦り傷に注意、注意。
・・・・・
大阪M谷某ギャラリーの某マネージャーK氏のブログを、新旧あわせて三年分一気読み。ああ、止まらんかった。
そうとうがっついて読んだので、また今度ゆっくり再読したいが、写真関係のブログでは、某K山氏の「こーかいK山家」と双璧をなす名作ではなかろうか。
某マネージャーK氏というのは、今maggotでやってる『le modele』の僕の展示で、ど真ん中に飾られてる一見コワモテの方です。
何故名を伏せるって? いや、なんとなく。本人が照れて迷惑がりそうなので(笑
ああ、ずっと写真を撮っていたい。ずっと写真のことばかり考えていたい。ずっと写真を好きでいたい。
切々と、そんなことを考えてしまいます。
・・・・・・
あ、今日(5/14)の夕方から『le modele』在廊予定です。
- 2008/05/14(水) 00:30:34|
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『le modele』を見に来てくれた今村徹さんが僕の持ってたペンタックス6×7のファインダーを覗いて、びっくりして一言。
「映画みたい」。
35mm一眼レフと同じような形をしているのでそんな気構えで覗いたら、ファインダースクリーンが思ったより大きく目に飛び込んできて驚いたらしい。
しかし「映画みたい」は名言。
ほんとだ。たしかに映画館のスクリーンだ。
・・・・・・
しかし、その映画みたいなカメラの重さは、じわじわと僕の腰筋を蝕んでおります。
そうなんです。次の『ガチンコ』のための写真は、このペンタックス6×7で撮ってるのです。
ああああ、来てる、来てる。確実に腰に来てる。
ガクッと行っちゃう前に、もうちょっと撮らないと。
世の中のペンタ6×7使いの人々は、この嵩張るカメラをどうやって持ち運んでいるんだろう。いつも使っているA&Aや一澤帆布のカメラバッグに、ブロニカなら縦に突っ込めば入るのだけれど、この6×7はいろんな部分が出っ張っていて、どうやってもちゃんと収まらない。
仕方がないから、ストラップで肩にかけっぱなし。
誰か僕にA&Aのガーデンバッグ型の大きいやつをプリーズ。あれなら楽々入りそうなんだけどな。
まぁ、あと数日の我慢なんですが。
とりあえず、調子よく撮ってます。『ガチンコ』搬入まであと6日。頑張ります。
・・・・・・
と、ここまでは3時間前に書いたんですが、はい、それから今まで暗室に入っていて、あうううううう、やっちゃいましたね、これは。腰。
狭いんですよとにかく家の暗室。3畳に全部詰め込んでますから。
床面積がないので、とにかく台の上と下に棚を出来るだけ作って、上下の空間に色んなものを収めている。
印画紙は引伸し機の台の下に置き場があるので、とにかくしゃがんで1枚出しては立ち上がり、またしゃがんで1枚出しては立ち上がり・・・・四切100枚入りの印画紙の箱は重たい。
あかん、完全にイってる。
バンテリン塗って寝よ。
・・・・・
『le modele』18日までです。まだの方お早く。
http://gallery.maggot-p.com/次の在廊予定は14日(水)の夕方からです。
そして腰を痛めながら撮ってる&焼いてる『ガチンコ』、絶対見に来てください!
- 2008/05/13(火) 01:25:48|
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最近ヘヴィなテーマで書きすぎたので、ああ山田風太郎は面白いなぁとか、そういう気楽なことを書かないと均衡がとれない気がする。
はい、山田風太郎最高です。『エドの舞踏会』(ちくま文庫)唸りました。
などといいながら「OK,Darling. But What is Photograph?」と題した、3回にわたるヘヴィな文章に少しだけ戻りますが、ヘヴィとはいえ、どかさんやshingaiさんのツッコミの絶妙さも相俟って、なんか面白い論考になったんじゃないかと思ってます。
また続きも考えますので。うっとーしければ飛ばして下さい。
・・・・・
ナダール大阪で
モノクロ普及委員会第3回写真展『モノクロニクル3 モノクロリンピック』開催中です。AB日程に分かれていて、A日程はもう終わってしまったのですが、27日(日)までB日程がやってます。
今度三人展をいっしょにやる福永貴之さん、山本瑞穂さんも出品してますので、興味ある方、ぜひナダールへ。
・・・・・・
先日、敬愛する写真家であり友人であるMさんを撮りに京都へ。
今度の『le modele』のために八切暗箱で撮らせてもらった。
雑談の中で、Mさんに「カマウチさんて、あたしは実物知ってるからいいけど、もしwebでしか知らない人だったら怖い人よねー」と言われる(笑
ああ、やっぱり怖いですかね。
今年はソフト路線で行く、と年頭に誓ったんですが。
あ、僕は意外と普通の人ですから、みなさんご心配なく。
ただときどき、web上で、人格がちょっぴり変わったりするだけですから。
・・・・・・
大判カメラの写真が面白く思えてきた今日このごろ。
なのに、いきなりコダックTXP320の8×10が生産中止とのニュース。
嘘ぉ。
感度320の大判フィルムなんて他にないのに。8×10モノクロはあとフジのアクロスしかない。
室内で人物など撮りたい僕は、感度100のアクロスなんか使ってられないのです。
堀内カラーに電話してとりあえず10枚入り2箱だけ確保。
残20枚で何やるかなぁ。
切ないなぁ。これからもこんな思い、何回もするんだろうなぁ。
・・・・・
ちなみに上の写真はたまたま車中からキスデジで撮ったんだけど、決して
山本瑞穂の名作を意識したものではない。決して。
でもチラと頭の隅にあったかも・・・・惨敗ですけどね。
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[追記]
さっき仕事のついでに堀内カラーで聞いてみたら、TXP320バイテンの生産終了は聞いていない、とのこと。まだ取り扱います、と。
ただ、コダックのことだから、いつそうなるかわかりませんがね、という話です。
ヨドバシ経由で注文したときに「生産終了」と聞いたんですが・・・。
もしかして担当者、「TXP320/8×10/50枚入り」がなくなって「10枚入り」しかなくなったのを、「生産終了」と勘違いしたのか?
とりあえず、堀内カラーの言うことを信じるなら、まだ手に入る、ということです。
僕の誤報(?)を聞いて背筋が凍った、ごく少数の方、すみません。
- 2008/04/24(木) 02:04:24|
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コンセプト、だとかテーマだとか、そういうのは苦手です。
すべてアートは言葉で説明する必要がある、というのが、そもそも違うと思うのです。
写真ギャラリーに行くと、「作家さん」が聞きもしないのにテーマを語ってくれたりする。
「他者とのナントカ」とか「関係性の虚構がドウタラ」とか、なんかさぁ、タシャとかキョコウとか、無理矢理いかめしい言葉探してないか? なんて思ってしまうんですよね。
もちろん、写真の力を最小限の言葉が効果的に補強する、写真と言葉、双方が支え合う、理想的な関係を結べている作家も少なからずおられるのですが、写真だけ見てればかっこいいのに、余計な言葉で逆に自分の写真を狭い檻の中に囲い込んでしまってる人も多いように思います。
使い古された言い回しで恐縮ですが、やっぱり、言葉で説明できないものを写真で語りたいんです。
それじゃ駄目です。作家は作家の言葉で、作品を説明できなければいけないのです、とたとえば安友志乃なんかが言う。
そうだろうか。
写真に言葉って、本当に必要だろうか。
写真に言葉は不要ですが、写真を見ればどれだけの言葉を写真に向かってぶつけてきた人かはわかります。費やされた言葉の総量が、ちゃんとプリントに出ると思います。
それをわざわざ言語で被せる必要があるだろうか。
・・・・・
本当に素晴らしい写真には言葉なんか必要ない。
ロバート・フランクの写真、ヨゼフ・クーデルカの写真を、僕は大好きだけれども、別に彼らの写真集の英文解説を一所懸命に読まなくても、写真のうしろにちゃんと千語万語の言葉が尽くされている。
そういう写真を見たいし、できれば自分で撮りたいと思うのです。
- 2008/04/20(日) 00:05:50|
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モノクロ写真とは何か、という答えを、僕はまだ出せていません。
このデジタルのご時世に、なぜまだモノクロ写真なのか。
これは、考えれば考えるほど、自分に不利な答えしか出てこないのです。
自分の考える写真は、どう考えても、モノクロである意味がない。
モノクロであることに甘えているのではないか。
手仕事、とか、そういう響きのいい言葉で自分を騙しているのではないか。
保存性、というのも言い訳にすぎません。この顔料プリンターのある時代に。
バライタ紙の物質感、といったところで、それが唯一無二の選択肢であるとも思えません。
そして、物質的な質感だけで写真の良し悪しを語るのは嫌いだ、と常々言ってる手前、自分の中での整合性もとれません。
・・・・・・
自分の中ですでに予感としてあるのは、いつか遠からず、銀塩を捨ててデジタルカメラを持つようになるだろうということ。
感材がどうせ手に入らなくなるだろうから、というのもあります。
銀塩感材という「物質的」なものに対するノスタルジアだけで写真を撮っているのではない、という思いもあります。
同じことをデジタルカメラで出来ないわけがない。多少のプロセスと、気構えが違うだけではないか。
ならば今どうして銀塩で、しかもモノクロなのか。
写真の歴史に対する敬意であるのか。
昔からの技術に対する興味と憧憬?
液温と露光時間、コントラストフィルターや印画紙の号数で刻々と表情を変える銀画像の生き物のような姿に対する興味であり、それ以前に暗箱の中での光の受け渡しと結像のドラマの一番シンプルな結論であるモノクローム画に対する興味である。
また、そういった手仕事の技術、経験といったものが写真に何かを付与できるという思いこみ。
それは一面、たしかにあるだろうし、否定しないけれども、同時にそれが一面錯覚にすぎないのではという認識も、ちゃんとあるのです。
・・・・・・
そういう風に思いながらも、今はその答えを先延ばしにしている状況です。
もちろん、銀塩感材の歴史が終焉を迎えようとしているからです。
自分に必要であるかどうかは、今はわざと判断保留にしておくと決めました。単純に感材の違いであるという、それだけの意味からすれば、それが使えなくなるなら先に使っておけ、という、本論とはズレた理由からの枷をかけたことになります。
デジタルカメラでモノクロの写真を撮る意味を、少なくとも僕は見いだせません。デジタルカメラを使うようになれば、飯沢耕太郎がいうようにモノクロは一つの特殊表現という地位しか与えられなくなるでしょう。
特殊表現という地位に押し込められれば、余計に「モノクロである理由」が必要になります。
モノクロで写真を撮るという行為が背負ってきた意味をちゃんと解くことができないまま、感材がなくなるという外からの要因によってその存在が消えようとする。
その前に、少なくともモノクロ写真について考えることは必要だと思います。
そして考える時間は、どうやら今しかなさそうなのです。
これが僕が暗室でモノクロプリントを作る、今現在の理由です。
非常に消極的な理由に聞こえますか?
いずれ捨てなくてはならないことがわかっていて、そのための助走なのだ、とも言いくるめることが出来ます。
冷静なフリをして書いていますが、本当は胸が痛いのです。
胸が痛い理由も、写真の謎として問うていかねばならんのです。
- 2008/04/18(金) 01:08:42|
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なんだか写真以外の話がしばらく続いたので、たまには真面目に写真のことを考えてみようかと。
大体どうして僕は写真を撮るのか。
・・・・・・
自分でわかってることは、過去に撮られたある種の写真たち、世界中の、有名無名な写真家に撮られてきた数々の写真があって、何とも説明の出来ない、得体の知れない魅力と謎を持ってそこに屹立しているということ。
森山大道の三沢の犬でもいいし、クーデルカの楽器を弾くジプシーの写真でもいい。フリードランダーが我が娘を写したモノクロでも、ダイアン・アーバスの障害者施設の写真でもいい。
今まで僕の度肝を抜いてきたある種の写真たち、その度肝の抜かれ方を、僕はうまく言葉で説明できないのですが、圧倒的な力を、抜かれた心臓の痛みで覚えているわけです。
しかしさらにびっくりすることには、そういう写真の力を(残念ながら常にではないのですが、ごくまれに)自分の写真からも感じることがあるということ。
自分の撮った幾枚かの写真の中にも、撮った本人の心臓を抜いていくような、そういう力を帯びたものが、まれとは言いながら、確実に存在するわけです。
これはよく考えたらおかしなことで、しかしもっとよく考えたら別におかしいことでもないのかもしれない。
別に僕に特殊な才能があるわけでも何でもない。そういう写真が撮れたとして、そんなのまぐれだとか、偶然だとか、そう言われても別にかまわない。というか、偶然やまぐれを味方にできるというのが写真の特性であり、むしろそういったものを味方に付けていけば、自分の現在の美意識というものを壊すものさえ作れる、というのは、写真という表現ジャンルの、ある種特権でもあるわけです。
写真機という、自分の血肉ではない異物を使ってしか写真は撮れない、その異物が生み出す自分の美意識との微少な差異が、美意識自体を食う。
森山大道の三沢の犬は、シャッターを押す前に森山大道が頭の中で完璧に設計図を描いたそのまんまが写っているのかというと、そんなわけはない。
あるひらめきとか感応があって、写真家はカメラを向ける。ある程度の予測と、その予測に近づけるための写真機への習熟と、それがどういう露光を得てどういう画を得るかという技術的知識があって、シャッターが押される。
しかし、写真は絶対に何かを裏切るのです。
その裏切りが、時として心臓を抜くような力を持つ。不意打ちのようにそれはやってくる。
僕は小粋な言葉は使えないので、単刀直入に「写真の謎」と呼んでいます。そのまんまやん、と言わないで下さい。本当に謎としか表現しようがないのです。
その謎と格闘することが写真を撮るという行為の唯一の動機なのですが、その謎は踏み込めば踏み込むほど自分の美意識(と仮に呼んでいるけど、この「美意識(仮)」自体も、自分の中の謎みたいなもんですよね)は組み替えられ変形していくわけですから、この「謎と格闘する」ということ自体の意味すら、よくわからなくなってきます。謎が謎に食われるとでも言うか。
・・・・・
僕が撮る写真には特定の被写体というのはなくて、何か自分を裏切ってくれそうなものを探して歩いている感じ。
比較的人物の写真が多いのは、人物写真がいちばん自分の意図を裏切ってくれるからです。
人を撮ると、必ず事前に思い描いた画よりも、良くも悪くもズレてくれます。逆に思い描いたとおりに写ってしまったりしたときには、自分でまったく面白いと感じない。やはり何らかの裏切りを期待してシャッターを押している部分があるのです。
被写体というのは、正直、別に何でもいいんだろうと思います。謎に一歩踏み出すためのきっかけでしかない。
人物を撮っても、僕はもちろん、その人物写真でその人の中の何かを「表現」しようなんて露とも思っていません。撮ればその人の何かがわかるなんてのも、もちろん嘘に決まってる。
でも撮影者の、そして被写体の思惑も無視して、何かが写ることがある。その何かが写ってしまうという、写真のからくりが、僕にはとても興味深く思えるのです。
- 2008/04/16(水) 23:46:50|
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(↑ photo by PUU / 無断転載。許せ、PUU太郎)
基本的にノスタルジーというのはアートには馴染まないものである、と思っております。
僕は正直ノスタルジックな写真は好きではありませんし、自分で撮ることはないでしょう。
しかし、何事にも例外というのは存在するのです。
天才PUUの手にかかれば、ノスタルジーもまた、こんな凄いものになってしまうのです。
PUU's Gallery No.115
『僕らの記憶』みなさん勘違いしないように。
PUU氏は天才だから、こんなことが出来るんです。
畜生、撮れるかっ! こんなもん(悔!)

ちなみにPUUさんはこんな人(右端)↑。後ろにいるのはジョゼ、タピ、シュレ子。(2006年1月)
- 2008/03/25(火) 12:32:57|
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3〜4年前に撮った写真をプリントする。
まだ自家現像を再開していなかった時期で、モノクロはイルフォードXP2を使ってラボ出ししていたのだが、最近そのあたりのネガを見てみたら、なんだかベースの色が1本ごとにバラバラなのが気になった。
昔はもっとグレーに近い印象だったのに、どんどん、しかも程度がバラバラに、マゼンタっぽくなっているのだ。
多階調印画紙のフィルター色とケンカしそうなほどに。
もしかして劣化が始まっているのか?
XP2はカラー現像でモノクロ画像を作る方式なので、最終的に残っている画像は銀ではなくて色素である。カラーネガと同じ。
カラーネガでも普通は5年、10年と(厳密なことを言わなければ)保つものだが、ベース色の不安定さはもしかすると処理がいい加減になされていたのでは、と不安になった。
出したのは一応「プロラボ」なんだけどなぁ。
で、そのXP2で撮ってた時代のネガを、できるだけプリントしておこうかな、と。
焼いてみる限り、ベース色は気になるけれど、画像はしっかりしている。
XP2の粒子って、色素だけに、フォーカススコープで覗いても粒立ちが見えないくらい滑らか。しかもブローニーなので、我ながらホレボレするようなトーンのプリントが出来てしまう。
・・・・・
昨日プリントしていたのは、
メインサイトのギャラリーに
『35℃』というタイトルでまとめているシリーズの中の写真数点。
『35℃』は2004年夏に、相当な集中力で撮った写真で、ニューマミヤ6にXP2を1日1本と決めて20日間、計20本撮った中から選んだものだ。1本12コマだから240コマ、その中から選んで最終的に37枚にした。
アビィでの『books展』にも出していたから御覧下さった方も多いと思けど、ある人に言わせれば僕が今まで撮った写真の中で「ダントツ一番に良い」シリーズなんだそうな。
確かに、自分でもそうかなと思う。あれだけの集中力で写真に向かったことって、後にも先にもない気がするし。
プリントしながら、嬉しい反面、今の自分はどうなんだよ、と多少自己嫌悪気味。
某まろ氏が言ってることは、たしかに当たっているのだ。
- 2008/03/13(木) 20:58:53|
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とあるギャラリーで女性二人の写真展を観たのですが、二人とも共通のテーマで、見応えのある、すごく面白い試みでした。
が、今回はその内容については触れません。面白かったけど。
せっかく面白かったのに、僕には気になって気になって仕方のないことがありました。
二人ともモノクロの写真なんですが・・・・ホコリ。そう、ネガのホコリの処理を、まったくしていないのです。
一枚一枚で語るのではなく、量を要するテーマだったので展示点数が多く、内容そのものはすごく面白かったのですが、いや、面白かっただけに、ほったらかしのホコリの跡が気になって気になって仕方がない。いちいちホコリに目が止まって、写真の世界に没入できないのです。
量を作らなければならない、というのは、一枚一枚を粗製濫造してもいい、ということにはなりません。当然です。
筆と染料でスポッティングするのが面倒だと思うなら、ネガをブロアで丁寧に吹くくらいのことはせめてやってほしい。やってほしい、じゃなくて、やるのが当たり前でしょう。
ホコリの跡も修整せずに、白抜けだらけのプリントを展示する、という神経が、僕にはまったく理解できません。しかも一枚二枚じゃなくて、壁面一面、白抜けだらけのプリントを見せられるのです。気になる、を通り越して不快ですらありました。
・・・・・・
スポッティングなんかしたことない、という人のために、やり方を紹介します。

使うのは「写真修整用染料」という液状の染料ですが、コダックやスポトーンの製品は次々と生産中止になってしまい、今は僕の知る限り近代インターナショナルが出しているものしかありません(左)。シートタイプの修整絵の具(右)も生産中止らしい。
でも、墨汁を薄めたり、アクリルガッシュやポスターカラー、製図用インク等、いくらでも代用品はあるでしょう。乗りにくいと思ったらホコリ痕の上を針の先で細かく傷つけて(軽〜く点描する感じ)その傷に染みこませるとうまくいったりします。
コダックの写真用ニスを少量写真にすり込んでから、先を尖らせた鉛筆でなぞる、というのも有効。

僕は市販されている修整筆よりもちょっと太い、普通に画材屋で売ってる面相筆でやってます。先さえ尖れば、根本が太い方が使いやすいです。
梅皿にあらかじめ染料を少量塗っておいて、乾燥させておきます。
筆に少量の水を付けて乾燥した染料を梅皿の上で戻し、ティッシュで水分量を調整してから(かなり絞った方がいい)、印画紙上のホコリ痕の上に点描するように乗せていきます。

・・・・・・
これを面倒くさいと思うなら、プリント前に丁寧にネガ上のホコリを吹くことです。まぁ冬場はいくらブロアーかけても、どうしても乗ってしまうものですが。
・・・・・・
紹介したのは銀塩プリントの上に施す修整の仕方ですが、ネガをスキャンしてデジタル化する場合も、もちろんフォトショップのスタンプツールか修整ブラシツールでホコリ消しするのは当然ですよね。
口うるさい、小言爺みたいなこと言ってますか僕。
でも、思わずこんな記事書きたくなるくらい、あの展示のホコリ、気になったんですよ。
本当にもったいない!
- 2008/03/10(月) 01:15:59|
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大阪国際交流センター3F、
ベルギーフランドル交流センターにて開催中のステファン・ヴァンフレーテレン写真展「Belgicum」を観る。
http://www.flanders.jp/jp/flanderscenter/events/2007/2008-02.html1969年生まれなので僕より年下の写真家だが、初期クーデルカを彷彿とさせる濃度のあるポートレイトと重厚&静謐な風景写真は一見の価値あり。すべてモノクロ。
3/8までです。
上のポストカードに使われている写真はなんかマヌケなお笑い系ですが、こういうの期待しないでくださいね。
ポストカードに使う写真がこれって、どうなのよ、と思いますね。この写真家の特質をまったく語っていないし(作風として一番例外的な写真です、これ)。
- 2008/02/26(火) 10:37:44|
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