OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

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シミルボン連載「写真の本」

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シミルボンで「写真の本」という連載を始めます。
https://shimirubon.jp/columns/1681783

第1回は増山たづ子さんとナフシャのお話。
自慢していいですか。僕、増山さんのピッカリコニカで、写真撮ってもらったことあるんですよ。
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  1. 2017/04/26(水) 13:17:54|
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破天荒のディテール

南方熊楠が好きで、関連書をよく読む。
偉そうに「南方熊楠が好きで」なんて言ってるが、実際に彼の著作を読んだのは数冊だけで(『十二支考』『南方熊楠随筆集』等)、それだけのくせに一体何が好きなんだよと言われたら、まぁ、彼の風貌が好きなのである。
もちろんそれだけではないけれど、あの風貌はそそる。つまらない人物であるはずがない顔をしている。


町田町蔵を主役に映画化されかけ、途中で頓挫したという話があるが、たしかに町田町蔵(町田康)っぽい顔である。作家としての町田康ではなく、映画『ロビンソンの庭』でキンカンの歌などを歌っていたあたりのイメージがドンピシャだ。熊楠に扮した町田町蔵に「フマキラー!」と叫ばせたい。

評伝的なものを読めば、とにかく破天荒であるとか傍若無人であるとか自由闊達であるとか、彼の人間の振り幅の大きさが称揚される。
しかし、いつも思うのだが、本当にハテンコーな人物のハテンコーさというのは、ハテンコーでない人物が書いた場合、結局「ハテンコーだった」ということしか記述し得ないのである。
わかるだろうか。
ハテンコーのディテール、というものが伝わらず、ただハテンコーでくくられる。だって書く人はハテンコーでないのだから。
地面からハテンコーの高さを仰ぎ見て「ハテンコーだなぁ」と言ってるだけである。

だから南方熊楠のような人物を語る場合、勤勉実直な研究者が書いた熊楠伝というのは(申し訳ないが)なんとも面白くないのだ。
そういう意味では町田町蔵の熊楠というのは、もし実現していれば素晴らしかっただろうと思われる。
しかし資金難で頓挫し、撮り始めた頃子役だった人がもう大人になっちゃったから無理、みたいな悲しい結末を迎えた。
しかたはない。いずれ役者ではなく町田康の筆による南方熊楠が、何らかの形で実現されることを期待したい。

・・・・・・

そこで水木しげるの登場である。

水木しげるが死んで1年になる。日本中がかの偉大な妖怪漫画家の死を嘆いたが、しかし彼の残した功績はゲゲゲの世界だけではないのだ。
僕にとっての水木しげるはまず第一に『総員玉砕せよ!』で戦争のリアルを伝えた人であり、『神秘家列伝』で仙台四郎の悲しみを描いた人であり、そして『猫楠』で南方熊楠の破天荒を、はじめてその破天荒の振り幅そのままに描ききった人であった。

水木しげるが熊楠のことを描く。水木しげる本人が思いついたのだろうか。それとも誰か進言する人がいたのだろうか。
いずれにせよ、素晴らしいアイデアである。この破天荒を、同じ高さの破天荒から眺められる、まさに破天荒のディテールを活写できる書き手が他にいるだろうか。

クジラを捕るのにタモアミを持って出かけるバカはいない。
クジラを捕るにはそれなりのスケールの仕掛けが必要だ。

南方熊楠を描くのに最適なスケールの仕掛け、それは水木しげるである、と気づいた本人もしくは進言者に、何か勲章的なものを贈ってもよいのではないだろうか。

結果的に、どんな熊楠研究者が書いた評伝より、水木しげるの『猫楠』は彼の人物のスケール感を活写できていると思う。
残された事績と研究成果、恐るべき博覧強記に変人・怪人伝説、これらを総合して人物像を想像するのは、今までの類書からでは無理だった。いくら情報を入れても脳内にリアルな像として結ばないのである。
だが『猫楠』を読んで、あまりにすとんと腑に落ちるこの感じ。これは何なのだろう。
この世ならぬものを描き続けてきた水木しげるに何か熊楠の霊的なものが降りてきたのか、とさえ思える。というのは嘘だが、破天荒の振り幅が似通っている二人が、見事に共振共鳴した結果なのだろうと受け止める。
本当に、素晴らしいものを描いてくれたなぁと思う。

熊楠の息子が精神を病んで、これまで熊楠が採集してきた標本類を壊してしまうシーンがある。
息子と疎通し得なくなった悲しみと、大切な標本が失われた悲しみのダブルパンチで熊楠が号泣する凄絶な場面は、全世界の文芸作品含めても屈指の「悲しさ」の表現であると思う。
同じく水木しげる描く仙台四郎の「バァヤン!」という叫び、『総員玉砕せよ!』でゴミクズのように死んでいく二等兵の最期の歌。
ギリギリの均衡から閾値を超えて溢れ出す絶望、という場面を描かせたら、水木しげるの右に出るものはないのではないか。

慟哭というのも違う。滂沱といっても足りない気がする。
水木しげる描く熊楠の号泣に、ただただ悲しみの極限を見る。

(#シミルボン
  1. 2017/02/11(土) 10:52:21|
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戸川純の超名曲『蛹化の女』(むしのおんな)、大好きな曲ですが(ライブのアンコールで演奏されるアップテンポ版『パンク蛹化の女』も含めて)、昔からちょっと気になっていたのですが、歌詞にある「蝉の蛹」、蝉って不完全変態なので本当は「蛹」の状態がないんです。幼虫が土から出て来て木に登って、しばらくじっとして、脱皮する。この「しばらくじっとして」の状態を「蛹」と呼べなくはないけれど、普通の蝶や蛾の蛹とは明確に違います。(だからといって『蛹化の女』の価値が寸毫たりとも下がるわけではないのですが)
蛹(さなぎ)の恐ろしいところは、イモムシである蝶の幼虫が「蛹」状態を経て蝶になる、この蛹の中で、幼虫から成虫の体(まったく別構造)に組み替わるんですが、中身はほとんど液状に溶けてるんです。なぜ知ってるかって? 小学生の頃、やっちゃったことがあるからです。蝶の蛹を分解したんです。ああ、思い出すだけでも背筋に冷たい電流が走ります。僕は小学生の頃、かなり昆虫好きだったんですが、そのまま昆虫おたくにならなかったのは、多分この蛹の中身を見てしまった経験からだと思います。いったん溶けて、成虫に組み替わるという、この恐ろしさ! あれ以来、すっかり昆虫好きをやめてしまったのです。
とはいえ、「蛹の中では体組織が一部の神経系と呼吸器系を除き溶解する」という事実は、恐怖であるとともに、あまりにも不可思議な「生命の謎」を考えるきっかけになりました。生きているって何だ? という、もちろん今も解けない謎を考えはじめた端緒になったのです。
『蛹化の女』の歌詞の続きにある「飴色の背中に哀しみの茎が伸びる」は、冬虫夏草のことですね。昆虫に寄生する菌類です。15年くらい前、この冬虫夏草のことを調べていて、盛口満の本に出会い、そこから小学生以来封印していた「昆虫好き」が復活しました。以来、盛口満の本は、たぶん30冊近く読んでます。

・・・・・・

さて、話はねじれますが。
梨木香歩『冬虫夏草』(新潮社)買いました! 名作『家守綺譚』の続編!
http://www.shinchosha.co.jp/book/429909/

まだ読んでない。楽しみすぎる! うふふふふ!

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  1. 2013/12/21(土) 11:02:04|
  2. 読書狂
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平山鉄太郎『沖縄本礼賛』(ボーダー新書)

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http://www.amazon.co.jp/沖縄本礼賛-ボーダー新書-平山鉄太郎/dp/4899821875

これ、面白い!
でも、これを面白い! と思える人間は圧倒的に少数派であると思うが。
4000冊沖縄本を買った。しかし1割も読んでない! むしろ読まなくていい! ・・・だって?
いやー、僕にはそんなこと言えないっす。未読本が山のように積み上がって罪悪感に責めさいなまれている僕はもう古い時代の人間なのか。
山と聳える未読本を持ちながら、それでも新しい本を買い増やしてしまう罪業感。この罪業感を手放してしまったら、あとは際限なく車輪が転がってしまう気がする。この著者はもう転がっている。止まらなさそうだ。どこへ向かっているのか?

僕もそこそこは蓄書狂であるが、この人の場合は完全に突き抜けている。
沖縄が好きで沖縄本を集めだしたが、最近は書籍代にまわすために沖縄への旅費を惜しみ、ここ5年は沖縄に行ってない、と。嫌だ、僕は沖縄に行きたい。
僕は突き抜けたくない(笑
「この先生の本は好きでほとんど持っている。読んだことないけど」って、何言ってるのかわかってるのか? 読んだことないのにどうして「好き」なのか? 凡人には理解しかねる。そもそも「好き」って何? という根源的なところにまで切り込む気か? 意味不明である。
「みんながみんな、読む分だけしか買わなかったら、世の古書業界は立ち行かない」
ま、そりゃそうかもしれないが。僕だって買ったのに読んでない本は腐るほどある。しかし、しかしだ。それでも僕は著者に言いたい。
「もうちょっと読め。せっかく本なんだから」

理解しがたい部分は多いが、しかしそれでも面白い。
テーマとは関係のない部分で、結婚した奥さんが(著者同様沖縄出身者ではない)三線弾きで、何十万もする輪っか(結婚指輪のこと)なんか要らないから良い三線を買ってくれと言った、という挿話が好きだ。
新しく作ってもらったばかりの三線を持って店を飛び出し、夜の住宅街で歌い弾きまくる話。
美しい。


  1. 2013/08/13(火) 17:00:27|
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要再読

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前野隆司『脳はなぜ「心」を作ったのか/「私」の謎を解く受動意識仮説』(ちくま文庫)を読んだ。
思いがけず、僕が常々写真で問いたいこと・・・自分と世界を隔てるものは何か、についての重大なヒントが真っ向勝負で書かれてて、びっくりした。真っ向勝負すぎて胡散臭いほどに(笑)
いつも撮りたいと思う「言語化以前」の情景の、ヒントというにはあまりにあからさまな正体? が書かれていた。
もう一回読んで整理しよっと。
  1. 2013/06/28(金) 03:08:47|
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多忙。体力消耗中。

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■ポプラ社・百年文庫35『灰』(中島敦/石川淳/島尾敏雄)読む。装丁の美しい本。作家のチョイスもしびれるぜ。面白かった。M嶋ヒロの問題で評判を地に下げたポプラ社だが、こういういい本もっと出して挽回してほしい。■千松信也『ぼくは猟師になった』(リトルモア)。銃ではなく罠猟で鹿と猪を狩る。飛び道具でない、実寸大の知恵比べという感じがする。とどめをさすのも鉄パイプでドツいて、って・・・(苦笑)。■多忙。体力消耗中。傷めた肩がもうひと月近く治らない。







  1. 2012/08/14(火) 01:56:09|
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吉村昭『虹の翼』

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「史実の隙間を情緒で埋めない」歴史小説家・吉村昭の、とても珍しい小説を読んだ。『虹の翼』(文春文庫)。
何が珍しいのかというと、けっこう情緒を盛っているのである。そこは本人も自覚があると見えて、新聞連載が終わったあと、当初は単行本にしないつもりだったという。「なんか俺らしくもない」と思っていたのだろうか。

ライト兄弟が飛行機を完成する十数年も前に、鴉が羽根を羽ばたかせずに飛翔する姿を見て独自の飛行力学を研究し、ゴムプロペラの動力で模型飛行機を数十メートル飛ばせるところまで独力でなしとげた男・二宮忠八の生涯を書く。
吉村昭らしくなく(?)泣かせるシーンが随所に。妻の寿世にはじめて模型の飛行を見せるシーンは映画化してほしいくらいに映像的で美しいし(妻役は菅野美穂でお願いいたします)、ライト兄弟の飛行機の成功を伝える新聞紙面に打ち震えるところは、僕は電車の中で読んでいたのだが、不覚にも頬を涙が伝うほどに泣けた。もう少しで嗚咽までするところだった。

軍に開発を上申するが二度にわたり却下され、独力での開発を決意した忠八は資金を貯めるため製薬会社に就職するのだが、明治期の薬学・製薬史が細述され、これがこの小説にもう一本の背骨を通している。

吉村昭らしくはないけれど、素晴らしかった。
おすすめの一冊です。


  1. 2012/07/02(月) 02:44:17|
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福永武彦『風のかたみ』

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福永武彦『風のかたみ』(新潮社)読了。
高校の頃、福永訳の今昔物語をよく読んでいた。今でも探せばどこか書棚の奥にあるんじゃないだろうか。
その福永武彦が、今昔物語の十数編からヒントを得て書いたという「波瀾万丈の絵巻的王朝小説」(昭和43年刊単行本の帯文)である。海音寺潮五郎の『王朝』『続・王朝』を愛する僕としては、そして福永武彦の息子・池澤夏樹の愛読者でもある僕としては、これはどうあっても読まねばならない小説である。なぜ今まで知らずに来たのだろう(今昔物語や古事記の現代語訳以外では福永武彦を読むのも初めて)。
久々にこんな高雅な日本語を読んだ気がする。読みたい人のために詳しく語りたいところをぐっとこらえるが、後半は、もう見事に見事に読者の期待を次々と裏切ってくれる(もちろん批難しているのではない)。その「裏切り」の巧妙さに、ため息をつく思いである。文章の美しさ、筋立ての巧みさ、登場人物の造形の確かさ、という内容的なことはもとよりとして、装幀者の名前すら出ていないが、昭和43年刊行のこの小説、函装から抜いた本体のデザインもまた、ため息ものの美しさである。新潮社の装幀室の仕事だろうか。


  1. 2012/05/25(金) 01:26:32|
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四月は超特急で過ぎ去って

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そしてこのブログももうすぐ6周年。
しかし最近あまり人が来ない(寂)。ブログ、とかいう時代じゃないんだろうなぁ。
やめませんけどね。

・・・・・・

読書のメモ。
■沼田まほかる『猫鳴り』(双葉文庫)。猫の生死に仮託するのではなく、猫に並走して生死を考える。緻密に語られる猫の最期が、すべて生きとし生けるものたちへ静かに滑走路を示す。とても美しい生死の物語。
■池内紀『出ふるさと記』(中公文庫)。採り上げられた作家(高見順、金子光晴、安部公房、永井荷風、牧野信一、坂口安吾、尾崎翠、中島敦、寺山修司、尾崎放哉、田中小実昌、深沢七郎)これだけで日本文学の百花繚乱を感じる。日本に生まれて良かったと、この点だけは思える。
■池内紀『文学探偵帳』(平凡社)。
■小山慶太『歴史再発見/科学の歴史を旅してみよう』(NHK出版)。素人向きのテキストなので面白く読めたが、それでもアインシュタイン以降は理解の範囲外へ逃げていく。ま、理解できなくても面白いのだが。
■深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)。映画にもなってるし、有名な小説なので読まなくても筋は知っているが・・・原作読んだのは初めて。凄いなぁ。一切の批評を交えずに淡々と凄惨な世界を描いてるのが素晴らしい。最後に載ってる楽譜の「フラメンコ風に」にぶっ飛ぶ。
■深沢七郎『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)。このぐだぐだ感、なんか新しい(笑)。
■水木しげる『のんのんばあとオレ』(漫画版/講談社漫画文庫)。読んで大の大人が何度も落涙。じ~ん。自伝の文章で同タイトルのものがあるので見逃してた1冊。これは、『総員玉砕せよ』『猫楠』と並ぶ水木サン三大傑作の1つだ!





  1. 2012/04/30(月) 23:59:03|
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古書狂時代/のんのんばあ/バイテンを伸ばす

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■岡崎武志『古書道入門』(中公新書)読了。昔ほど猟書狂、というほどではなくなったが、それは写真が忙しいせいであって、本への情熱は衰えてはいない。今ほど写真の活動に比重をかけていない頃は、仕事休みには必ずどこかしらの古書店に出かけており、日に複数件の店を回るのはもちろん、ときには京都と大阪、とか、大阪と神戸、とか、二都市古書店ハシゴとかもやっていた。そんな本狂い時代のことを思い出させてくれる本だった。100万円握りしめて神田神保町に出撃したい! ■水木しげる『のんのんばあとオレ』(ちくま文庫)。水木しげるの幼少期の話は何種類も類書があるが、この本は子供向きに書かれたものらしく、いつもの水木サンとは語り口調が違う。水木サンにしては文章が整然としすぎていて(?)聞き書きで誰か別ライターがまとめたんじゃないか、とも思うのだが、まぁそんな問題はさておき、やはりのんのんばあ関連の話はすごくいい。死に際の寂しさも胸苦しく、のんのんばあはオレに入り込んで妖怪の世界を描かせてくれたので、オレも次の水木サンにのんのんばあの世界を渡さなきゃいけない、という部分に感涙する。■ギャラリー・ライムライトの暗室を借りて、『人物写真』用のプリントをする。8×10ネガから半切に伸ばす、という初の試み。ピントルーペ使っても粒子が見えない! ピントのピークがわからず苦労した。6時間かけて10点。苦労はするが面白い。
  1. 2012/03/12(月) 00:56:04|
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