OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

働くカマウチ(前篇)

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最近たまたま、昔働いていた食品工場の近くを通りかかった。
業務用のマーガリンやパイ生地なんかを製造する工場で、働いていたのは僕が22~23才くらいだから、もう17年以上たつ。
ちょっとその前後の話を思い出しながら書いてみようと思う。

・・・・・・

大学を辞めてしばらく中津のカンテGで働いていたのだが、大阪花の万博(1990年)のパレードスタッフをやらないかと誘われ、カンテより給料が良かったことに惹かれてあっさり転職した。アイフルのパレード隊でダチョウやゴリラや象のリアルなぬいぐるみに入って踊る仕事だ。当時僕は23才。

ぬいぐるみといってナメてはいけない。象なんか30kg以上ある。それを、前足の役と後ろ足の役、二人一組で演るのだが、前足役の人は応援団の旗持ちの要領で腰から太い棒を介して象の頭を支え、後ろ足役の人間は頭部の重さを分散させるためにお尻の方へ体重をかけながら歩く。2人のコンビネーションが大事で、相性の悪い人と組むと地獄の苦しみを味わう。

一番相性が悪かったのはN君という、中学卒業したての15才の少年で、なんでやねん! というくらい、彼との象は駄目だった。華やかなパレードの音楽にかき消されているが、象の中では僕とN君の怒声が常に飛び交っていた。
「後ろ、もっと体重かけて!」「引っぱりすぎ!」「ああもう!」

逆に相性の良かったのは同い年のS君。彼が頭、僕が後ろ足のときのコンビは最高だった。30kg、つまり1人あたり15kgの重さに堪えながらスキップが踏めた。

花博というのは4月~9月の半年だったから、その年は暑い季節の間ずっとぬいぐるみに入って過ごしたことになる。その夏は猛暑で、気温が36度を越えることはしょっちゅうだったし、最高は39.4度(当時大阪の観測史上2位!)。36度といっても、会場内温度は常に40度を越え(最高気温の日は44度!)、路面温度は60度以上になった。
そんな中でぬいぐるみに入るのである。1パレード30分を1日3回。

象に入るときには首からかけられる紐の付いた布の袋を渡される。中には塩漬けの梅干しと、粗塩が入っている。
「気を失いそうになったら舐めろ」
実際にパレード中に倒れたことはなかったが、終了直後に気を失ったことは二回あった。「目が回る」という言葉の意味をはじめて本当に体験した。世界が回って、暗くなる。

もう時効だろうから書いてしまうと、当時箝口令が敷かれたが、花ずきんちゃんに入っていた男の子が熱射病でパレード中に倒れ、病院に担ぎ込まれた。その後数週間入院したらしい。それくらいの酷暑だった。

カンテで働いていた頃の月収は12万円くらいだったが、パレードの仕事は手取り15万くれるという。その差額3万円に惹かれて飛び込んだのだが、すぐに浅はかさに気がついた。
とにかく体力を消耗する。1パレード終わるたび、長袖トレーナーを絞ると音を立てて路面に落ちるくらいに汗をかく(何回もTVの取材が来て「この夏一番つらい仕事」として紹介された。TVの前で何回トレーナーを絞らされたかわからない)。
とにかく食わなきゃやってられんのだ。食わなきゃ倒れる。とにかく食費がかかった。
カンテで僕は朝番の仕込み隊だったので、朝、昼とカンテで飯を食う。つまり、ほとんど食費がかからなかった。それが、パレードの仕事についてから朝昼晩と腹一杯食うから、差額の3万円なんてあっという間に食費で霧散してしまう。
結果的にカンテ時代より貧乏になった。

今から思えば、同じパレード隊にDonDokoDonの山口智充(ぐっさん)がいた、というのは余談。彼はぬいぐるみじゃなくて船員の格好をして船の形をしたフロートに乗っていた。

・・・・・・

花博は半年だから、9月末をもって自動的に退職となる。僕は花博の下請けの企画会社の社員という身分だったのだが、花博スタートから半月遅れて参加したため就業期間が半年に二週間足りず、失業保険がもらえなかった。
とにかく次の仕事を探さなければならない。

そんなとき、カンテ時代に知り合ったAさんという服屋の社長がいて「飲食店やってみたいんやけど、カマウチ君、いっしょにやらへんか」と声をかけてくれた。
阪急・庄内駅の近くでピザ屋をやろう。ランチタイムはピザ以外の食べ物も出そう、と、場所も決まり、僕もいろいろ食べ歩いて味の研究をしたり、試作を重ねたり準備をしていたが、開店するまでの生活を保障してくれるわけではないので、それまでは生活のために仕事をしなければならない。

元々少ない稼ぎをほとんど食費につぎこんでいたので蓄えなどあるわけがなく、Aさんとの飲食店の話で悩んだりしている間仕事をしていなかったので、まったく生活費が捻出できなくなった。
本来ならピザ屋開店準備のために、どこかピザ屋に修行がてら働きに行く、というのが当たり前の道筋だろうが、銀行のカードローン通帳で借金までしているので、とにかく手っ取り早く金を稼がねばならなかった。

・・・・・・

で、冒頭に書いた食品工場に飛び込むことになる。
「日給8000円!」
当時これは破格のアルバイトだった。

長くなったので以下次号。


  1. 2007/07/31(火) 21:00:20|
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写真集を買いに

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石内都の『INNOCENCE』が欲しくてジュンクヘ行く。『scars』とどっちにするか悩んでいるうち、結局決められず買わずじまい。

なんと倫子さんの新刊まで出てるではないか!
『種を蒔く/ Semear』(FOIL)。
ざっと見る。でも今までみたいにときめかない。なぜだろう。
しかし今はこの「ときめかない」ことに感謝する。だって金ないんだもん。

梅佳代の『男子』(リトルモア)、傑作ですね。
白目向いた男の子たちの写真が次から次へと。笑って見てたら、数頁に1カット、ねらい澄ましたようにドキリとする写真が入ってくる。タイヤブランコで揺れる太っちょの男の子の2連写真にドツかれ、鬼気迫る悪口男子の目にやられ、笑ってるどころじゃなくなる。ぞくぞくする。
梅佳代って、木村伊兵衛賞獲ってから悪口言う人増えたけど、彼女は本気で天才だと思うよ。
『男子』、たまらん。しかし、石内都買いに来たつもりが梅佳代買って帰るってのもどうだかなぁ。
と、変なところに迷って、買わず。でも、多分買うな、そのうち。

銀治さんや中村さんが変な風に煽るから、つい『手作り写真のすすめ』なんて本を手にとってしまったよ。古典印画法のノウハウ満載。鶏卵紙くらいなら出来そうじゃない?
しかし2700円もするので買わず。古典印画法の前にやることあるだろ、カマウチ。

すごい。ジュンクに行きながら1冊も本買わずに帰ってきた。
ビンボってやだよう。

・・・・・

[最近読んだ本]
盛口満『ゲッチョ昆虫記 新種はこうして見つけよう』(どうぶつ社)
鎌田慧『ぼくが世の中に学んだこと』(ちくま文庫)
渡部さとる『旅するカメラ3』(エイ文庫)
など。
  1. 2007/07/30(月) 00:53:23|
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頑張れフジフイルム!

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銀塩を使う理由というのを改めて考えてみた。

一番の理由は、かかる手間のうちにその写真に付与できる何かがあると信じているからだろうか。
撮ってすぐにはわからないということ。
現像結果を見るまでいったんそれを忘れていられること。
時間差のために、現像結果を見ながら一度それをとった過去へ否応なく思考を引き戻されること。
セレクトし、プリントするまでにもまた時間がかかること。
スポッティングなど、仕上げまでにかかる手間を考えれば安易なセレクトが出来ない、つまり「手間」がある種のフィルターになるということ。
そのフィルターをくぐってまでプリントしたい写真であれば、自分で愛着が持てるのは間違いない。
そして、1年後、10年後にもう一度ネガに戻ることができること。

それらを銀塩写真の一番の利点であると思っていたが、デジタル写真が一般化する前は「写真」にとって当たり前だったことばかりだ。つまり僕は10年前に普通に写真を撮る人が普通に思っていたことを、ことさら利点のように考えてありがたがっているに過ぎない、と気がついた。

デジタルか銀塩か、ではなく、デジタルという新しい選択肢が増えただけなのだから、デジタルの利点と思われる部分はどんどん活用すればいいわけである。
キヤノンEOS-1DSマーク2の画質は軽く銀塩の6×9のクオリティを超えている。それ以上が必要なら銀塩の4×5なりバイテンなりを使えばいい。解像度重視でアオリなしでいいならば中判デジタルを使えばいいだろう。そんなことはわかってはいるのである。

しかし、依怙地に銀塩だ銀塩だというのは、先に書いた「手間」への信仰とか、古いカメラの道具としての品性に対する敬愛とか、そういうものだけではないのだ。
「まだ銀塩でやってないことがある」
僕が銀塩でやりたいことを、まだやりつくしていない、という気がするのだ。

フジやイルフォードやコダックが、未来永劫フィルムや印画紙を供給してくれるのならば、なにも焦りはしないのである。
三菱製紙が「間違ってました。月光を再生産します。我が社が存続する限り!」という声明を出し、アグファが「完全復活です。永遠にAPXを作り続けます!」と宣言してくれたなら、逆に今すぐキヤノンEOS-5Dを買いに行くかもしれない。

4×5もバイテンも撮りたいが、今はまだ6×6ですら全然撮りたりない。
あと10年、銀塩感材を続けてくれますか? メーカーさん。
せめてそう約束してくれるだけで、計画のたてようもあるんですがね。頼みの綱はフジ1社かもね。1社でもいいよ、この際。
頑張ってくれフジフイルム!

という願掛けの意味もあって、今持ってるtri-xを使い切ったら今後はネオパン・プレストに替えようと思います。フジ使ってない奴が「フジ頑張れ」もないもんね(笑)



関連記事
「写真集を買いに7 Family / Lee Friedlander 」カマウチヒデキ


  1. 2007/07/27(金) 20:19:41|
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ペンタ67で日没散歩

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[Nikon F2/ Nikkor50/1.2]


気分を変えるにはカメラを換えてみるのがよろしいようで。

職場の最寄りの駅は阪神西宮駅ですが、帰りによく阪急夙川駅や西宮北口駅まで写真を撮りながら歩きます。
今日は今津まで東進してからアサヒビール工場沿いに西宮北口まで北上するコース。
いつものニコンF2は会社に置いて、かわりにペンタックス67にカラーネガを詰めて歩きました。

約40分かけて120を2本。
100ミリレンズ付けて1/15秒とか1/8秒とかで撮ったけど、ブレブレかもなぁ。
ブロニカって、レンズの光軸方向にシャッターボタンを押すのであまりブレないんですが(気合いを入れれば1/8秒でブラさずに撮れます)、ペンタ67は普通の一眼レフと同じで光軸に直行する方向へ押すから、1/8は元より、1/15もキツいだろうな。どれか止まってる画があるかな。
まぁ、ブレてても別にいいんですが。

夏は仕事が割合暇で、まだ明るいうちに会社を出ることができるので、日没時間に写真が撮れるのがこの時期の楽しみです。
明日は久しぶりにマミヤ持ち出すかな。









  1. 2007/07/26(木) 00:21:36|
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人を撮る

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なんか、人の写真を撮りたいなぁと思う今日この頃。

「人間を」撮りたいなぁ、なんていうと、なんだが写真にはその人の顔ばかりじゃなくて、その人物の内面まで写さなきゃいけないみたいな、そんな感じなので「人の写真を」撮りたいなぁ、ということにしています。

写真にはその人の内面まで写し込める、というのは単なる錯覚ですからね。写りませんよそんなもの。
たかが写真一枚にその人のすべてが写るような、そんな薄っぺらな人はいません。そんなの、撮る者の勝手な思いこみが写るだけです。その人のほんの一面だけの、すごく偏狭な部分が。
写真てのは表面しか写らないから面白いんだ、とアラーキーが言ってたような。違ったっけか。

関係性が写る、っていうのは、まだわかります。どうやったって、撮る者と撮られる者の緊張関係は画面に出てきます。それが面白いと。
でも、それって、けっこう撮影者の技量次第なのでは、とも思います。関係性、なんて曖昧な言葉ですが、結局撮影者が一方的に断を下したものなんじゃないかな、と。相当に作為的な関係性でしょう。

前に大阪ナダールの企画展「ポートレート展」に2回参加しました。
特に2回目の方は、「誰か僕に撮られませんか」とweb上で募集をかけて、応募してくれた人を中心に構成しました。
初対面の人や、ほぼ初対面に近い人がいたり、知ってる人でも、わざと暗いスタジオに連れ込んで無理矢理緊張感を捏造したり。
まぁ安直といえば安直な方法で、「作為的な関係性」を演出してみたつもりなんですが、モデルになって下さった方たちはたいてい剛胆で(笑)、なんだか落ち着いたポートレートばかり出来上がってしまったという・・・。

結局、何か狙って写真を撮ってもなかなかその通りに行かないところが写真の面白さなので、その人を撮りながら、自分で「うまくいかない」感を楽しんでいる部分もあります。何が嫌いといって、自分の美意識の偏狭さが自分で嫌なので、撮りながらうまくいかない部分で、自分の美意識からはみ出す写真を撮りたい。他の被写体よりも、人物写真ってそういう偶発的な要素が入り込みやすいですし。

屁理屈はともかく。
人の写真が撮りたいなぁと思う今日この頃。
僕に会ったら最後と諦めて下さい。否応なく、撮ります(笑



  1. 2007/07/24(火) 19:06:46|
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旅に出たいなこれ持って大賞

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「ああ、旅に出たいな」
と、つぶやいてみたとする。
あ、こんなこと言わないけどね、僕は。
大体「旅」という単語が気恥ずかしくて使えない。本来の意味の他に過剰な意味づけをされてる単語だよね。「旅行」でいいや、僕は。

それはさておき、ここではむりやり「ああ、旅に出たいな」とつぶやいてみることにする。
「○○を持って」
という言葉を続けるとしたら?
○○に入るのはカメラの名前です。

定番は「ライカ」でしょう。
「ああ、旅に出たいな。ライカを持って」
・・・・ああ、虫酸が走りますね。なぜでしょう。わたくしもライカユーザーではありますが、一生つぶやきたくないセリフです。
理由? わかる人にはわかるだろうし、わからない人には一生わからないでしょう。

本当にシブいのはおそらく
「ああ、旅に出たいな。ビッグミニを持って」
あたりなのでしょうが、実際旅行に行くのにビッグミニ1台というのは相当に思い切りが必要です。

皆さんが僕に期待しているのは多分
「ああ、旅に出たいな。ブロニカ持って」
ですか。期待なんかするかって? まぁまぁ。いいですやん。

「ああ、旅に出たいな。ニューマミヤ6を持って」
軽いので旅行向きですが、フットワークの軽さと得られる画像のクオリティの相関関係から、どうも死ぬ気で写真を撮りそうな気配が濃厚です。旅のついでに写真を撮るというスタンスから離れて「写真を撮りに旅をする」に傾斜しますね。

「ああ、旅に出たいな。ペンタックス67を持って」
これ、意外といいかもしれません。でも佐内さんっぽくなりすぎですか。

「ああ、旅に出たいな。ミノルタコードを持って」
軽いし、ブローニーだし、マミヤ6ほどの本気度がないし、これはけっこう筆頭候補かも。近接撮影用に35mm一眼レフを添えたいところですが・・・サブはいかん、本気になりすぎる。

「ああ、旅に出たいな。ニコンF2を持って」
最近の常用カメラですから、「旅」という高揚感ゼロ。駄目だな。

・・・・

というわけで、「旅に出たいなこれ持って大賞」はミノルタコードに決定。
旅行なんか行けないけどね。ふん。

  1. 2007/07/20(金) 07:17:59|
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昔の本を読む

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最近昔読んだ本を読み直した、みたいな記事ばかり書いている。
海音寺潮五郎とか坂口安吾とか。
何故かというと、出産を期に相方が仕事を辞めたので収入が激減、自由になるお金が減ったからである。正直な話。
で、新しい本をあまり買わない。仕方ないから家にある本を読み直す、ということになる。
まぁ、それだけの話である。

今までは仕事が休みの日は絶対に梅田なりどこなり、大きな本屋のある街に出て、必ず何冊か買って帰る。2~3冊だろうか。まぁ平均2.5冊としよう。休みが月に5日あれば、一ヶ月に十数冊本が増える計算になる。本といっても色々、1冊500円の文庫から数千円する単行本まであるわけだが、わかりやすく1冊1000円平均とする。月に12冊なら1万2千円である。
新しい本を買わずに家にある本を片っ端から読み直していけば一ヶ月に1万2千円のお金が浮く計算になる。これはいい。

・・・まぁ、お察しのとおり、そうはうまくいかない。
海音寺潮五郎が面白いと思えば、持ってなかった本が気になってくる。で、結局古本屋で全集を買い込んでしまった、というのは前に書いた。揃ったことは嬉しいが、金額的にはちょっと痛たたたた、である。

今、その海音寺潮五郎の『海と風と虹と』を読んでるんだけど、もうすぐ終わりそうなので次に何を読もうかと本棚を探索していたら、久しぶりに伊達一行が読みたくなった。『スクラップ・ストーリー』『沙耶のいる透視図』『哀しみのキュベレー』など、一時期夢中で読んだ作家である。
彼の単行本で『夜をめぐる13の短い物語』(安部出版)という短編集があるのだが、焼き場の職員が昔憧れていた女性の遺体が運ばれてきたのを、他の骨とすり替えて遺体を隠して死姦する、みたいな、どどエゲツない暗い話が満載の本で、そういえばこの本、友人に貸したまま返ってきてない。
ないとなれば読みたくなるのがこれまた人情というもので、しかしその友人K君は現在消息不明で「返せ」というすべもない。

で、結局ネットの古書店で検索する。見つかる。手続きをする。
あと数日で家に届けられる。郵便振替で本代と送料を払うことになる。

なんか、全然節約になってない気がするんですけど。いいのかな。



  1. 2007/07/17(火) 07:00:51|
  2. 読書狂
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10万名様ご来場ありがとうございました

カマウチのブログ、本日午後1時30分頃、10万カウントに到達いたしました。
皆様本当にありがとうございます。
100000カウントを踏んだ方、ご一報下さい。
kamaneko[at]kpb.biglobe.ne.jp 宛メールください。([at] → @ に変えて下さい)
何かプレゼントさせていただきたいと思います。
  1. 2007/07/15(日) 13:42:23|
  2. 日々
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頭痛の日

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頭痛持ちである。
EVEは常備薬。手放せない。たまーにだが、頭痛薬ではどうしようもなくなるくらいヒドくなるときがある。今日もそう。たまらず仕事早退。
家に帰って2時間くらい無理矢理寝たらなんとか治った。
やっかいである。

海音寺潮五郎『二本の銀杏』がもうすぐ読了。
今日読み終わるくらいのペースだったのに、頭痛のせいで読めず。いいところなのに。
海音寺潮五郎は至極男性的な作家と称せられるが、これは立派な恋愛小説である。レベル、相当に高い。
明日が最終回、という心持ちで。

頭痛の朦朧とした頭でFMココロを聴いていたら知り合いが所属するリュクサンブール公園というアコーディオンバンドが出演していた。番組終わりかけだったのが残念。頑張ってるなぁ。

あー、また痛くなってきた。寝よ。

・・・・・

あ、そうそう、あと2~3日でこのカマウチ・ブログ、来場者数10万名様突破しそうです。1年2ヶ月目にして。感謝、感謝であります。
10万人目踏んだ人、ご一報下さい。プレゼントありです。
  1. 2007/07/13(金) 21:56:26|
  2. 日々
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海音寺潮五郎全集/アコースティック・カメラ?

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最近久しぶりに火がついていた海音寺潮五郎熱。
しかし読みたいときに文庫は軒並み絶版、代表作と言われる『二本の銀杏』すら手に入らないという状況。
こうなりゃwebで古本屋当たるしかない・・・と探索を始めたところ、あははは、こんなのに当たってしまいました。

海音寺潮五郎全集、朝日新聞社刊全21冊!

生前刊行なのでもしかしたら晩年の作品が漏れているかもしれませんが、ざっと見たところ代表作はちゃんと網羅しているようです。

もう買っとくしかないやん!

ええ、御存知の通り私、ビンボーではありますが、しかし本というのはタイミングを逃すと終わり、みたいなところがありますから。とりあえず買っておくしかない。
お値段、まぁ激安、というわけではないけれど、びっくりするような金額でもない。
流行から外れた作家の全集と銀塩カメラは今が買い時、って感じですか。
で、今日、宅配便で届きました。うひひひ。思わず笑みがこぼれます。

・・・・・・

銀塩カメラは今が買い時、とついでのように書きましたが、最近ある本で銀塩カメラのことを「アコースティック・カメラ」と呼んでいるのを見かけました。

アコースティック・カメラ?

どう思います? OKですか? 電気的に増幅していないカメラってこと?
ちょっとやりすぎ感が・・・・じゃあいっそのことアンプラグド・カメラ、とかはどうかな(笑)
「銀塩カメラ」「フィルム・カメラ」でいいのでは・・・。







  1. 2007/07/09(月) 20:53:33|
  2. 読書狂
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ジロリの女

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ヘタクソな音楽、というのはアリである。
たとえばテレビジョン・パーソナリティーズのダン・トレイシーのへなちょこな歌は、およそ技術というものから見放されているのに何故か胸を打つ。彼の歌を聴いたあとは、そもそもテクニックって音楽のためにカケラでも必要な物だろうか、とさえ思ってしまう。
よくよく考えてみたら僕はダン・トレイシー以外にも「下手くそ」なミュージシャンが元々好きなようだ。誰と言われてすぐに絞って名前を挙げるのは難しいが、簡便に今手元にあるiPodの中から拾えば、VUのライヴで、どうやらルー・リードに無理矢理歌わされてる感じのモーリン・タッカーとか、ぺティ・ブーカの前身バンド、フラメンコ・ア・ゴーゴーとか。
あ、もちろん「下手だから」好きなのではないよ。ここ大事。

ヘタクソな音楽、というのはアリである。テクニックの優劣を競うだけの音楽は逆につまらないものだ。

では「文芸」ではどうだろうか。
ヘタクソな小説、というのはアリだろうか、という話である。

あれからずっと坂口安吾を読んでいるのだけれど、今持ち歩いているのが昔の角川文庫の『ジロリの女』。
「ジロリの女」「遺恨」「アンゴウ」「日月様」「行雲流水」「小さな山羊の記録」「退歩主義者」「肝臓先生」「水鳥亭由来」の9編を収録。

いやぁ、あらためて、ひどい小説である。「ジロリの女」。この文庫の解説で川嶋至もちょっと書いているが、これがあの名作『白痴』を書いた人と同じ筆になるものかと驚きを通り越して呆れ果てるほどだ。彼が喜んで使っていた自称であらためて呼びたくなるな。
三文文士! と。

しかし、「ジロリの女」である。このタイトルはたまらん。何なんだろう、この言葉のセンスは。

坂口安吾「ジロリの女」。

著者名とタイトルを並べて書いただけなのに、すでにこの一行で溢れ出る風格。なんだか凄い小説の気がしてしまう。もう一回書いてみよう。

坂口安吾「ジロリの女」。

なんだか彼の代表作であってもいいくらいに凄みのあるタイトルではないか。

言語センス、なんて大風呂敷は広げたくないけれど、あえて優劣といわず、好き嫌いの話として書くならば、小説のタイトルだけでもう絶対に読みたくなくなるものってないですか?

例えば坂東眞砂子『死国』。
坂東眞砂子って、子猫を崖から投げ殺して集中砲火を浴びた人だっけか。あの「事件」についてはここでは論評を控えるが、あの事件には全く関係がない部分で、「死国」なんてこっ恥ずかしいタイトルをつけるセンスが僕にはもう駄目だ。
僕はこういう勘は外れないのです。一事をもって万事を裁くべからずとは思うものの、タイトルってまさに表看板だからね。「一事」じゃないんですよ。

例えば石田衣良『娼年』。
はじめて書店で平積みされてるこの本を見て、最初吹き出してしまったよ。悪い冗談でしょ。もしかして中身は素晴らしい小説だったとしても(たぶんそれはないな 笑)、そのタイトルのセンスを罪として手鎖30年の刑に処すがよかろう。

それに比べてください。
坂口安吾「ジロリの女」。
タイトルだけで、もう安吾圧勝。中身は読まなくていい(笑)

・・・・・

さんざんけなしてはいるが、あらためて言うまでもなく皆さん御存知の通り、僕は坂口安吾が好きである。何なら「大好き」とまで言い切ってもかまわない。

好き嫌いと小説としての質の高低は別である。ヘタクソな小説を書き散らし、酒や睡眠薬を浴びながらなかば口述筆記のように粗悪な文章の量産もした晩年の安吾だが、もうここまで来ると、そのダメダメな部分もひっくるめて好きか嫌いか、という話になってしまうのだ、彼の場合は。

この角川文庫版『ジロリの女』でいうならば、表題作は抜群のタイトル以外には全く見所のない駄作。「遺恨」もおちゃらけに徹しきれない中途半端な風刺小説。構成も緻密で泣きの入れ方も直球勝負、佳編と言われる「アンゴウ」は、下品系の芸から一転して糞真面目な水彩画(けっ!)を描き出した鶴太郎を見るようで(大袈裟か?)僕は不快。
「日月様」「行雲流水」「小さな山羊の記録」と安吾らしい作品が三つ続いて安心したところで、どうだかなぁ、の「肝臓先生」と「水鳥亭由来」でおしまい。

正直、平均点は低い。しかし、読んでしまうんだなぁ、この本。

「人は、秀でたものを愛するのではありません」(斎藤憐『クスコ』)

そう、ヘタクソな小説、アリなのである。

  1. 2007/07/09(月) 00:15:23|
  2. 読書狂
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親子って何やろ

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ピアノの練習音が聞こえる。
グレン・グールドのお株を奪うかというくらい超スローテンポの「エリーゼのために」。おそらく小学生くらいの女児であろうと思われる。
多分母親は夕飯の支度などをしながら娘の練習を聴いていて、あちこちで「ほらズレた」だとか、「ちゃんとテンポ合わせて」などと口を挟む。
それに対して娘は何か口答えをするらしいのだが、僕(そのピアノが漏れ聞こえてくるマンションの前の路上にいるのである)のところへは母親の声しか聞こえず、娘が何を言っているのかはわからない。

(♪エリーゼ)

ほらもう。なんでさっきから同んなじとこばっかりズレるん? ええ? ちゃんと弾き。ああもう、あかんなぁ。
△△ちゃん(多分別の娘)、□□(さらに別の子)を風呂に入れたって!
○○(ピアノを弾いてる子)! ちゃんと弾けって言うてるやろ。もう!
あんたな、嫌々やるんやったら何の意味もないんやで。わかるか? さっきから同じとこばっかりズレるやん。何のために練習してるん。ええ?

(♪エリーゼ)

△△、風呂入れたってって言うてるやろ! 聞こえてる?
ああもう、○○、あんたほんまに下手やなぁ。何なん、そのピアノ。それ、音楽って言わんで。そこまで行ったら騒音や。はい、もう一回やる!
ああもう、またズレてる!
あんた、真剣に弾きや! なんであんたは下手なピアノ弾いてて、△△は□□を風呂に入れてるんか、ちょっと考えてみぃや。そんな下手なピアノ弾いてるくらいやったらあんたが風呂入れて来いっつーんよ。もう。信じられへんわ。

(♪エリーゼではない別の軽い曲)

こら! 何弾いてんねん! エリーゼ弾けっちゅーねん!
アホかあんた。そんな集中力ないことでどないすんの!
ほんまあきれるわ、あんたには。ドツくでほんま。

(♪渋々、といった感じでエリーゼ)

そこや。そこズレるねん、いっつも。進歩のないやっちゃな。はぁ? 「進歩」って意味わかるか? しんぽ、って漢字書けるか?
ああもう騒音やわ。それは音楽と違うわ。なんであたしはこんな騒音にずっと堪えてなあかんのよ。いくら我が娘やいうたかて。これ拷問やで。ええ? 拷問やって言うてんねん、聞こえてるか? ああ?

(娘、何か口答えする)

はっ! あんた今何言うた? はっ! もう口調までそっくりやっちゅーねん、あんたの父親と。ああアホらし。ヘドでるわ! こんなとこまで似るんやな。遺伝て恐ろしいわ。ああもう、アホらし。ああむかつく!

(娘、もはや何も弾かず)

ああ。あんたさ、考えてみたことない? 親子って何やろ。なぁあんた、考えてみたことないか? あたし最近しょっちゅう考えてるんよ。
あんたのヘドでそうなピアノ聴かされてさ。あーたらこーたら言うたげてさ。せやのにあんたはこんなんやろ。
あんた、楽しいか? 楽しぃないやろ?
あたしは楽しぃないわ。いやほんま、全然楽しぃないわ。

なんでこんな気分悪い思いしながらあんたのピアノ聴くん? 親子やからか?
親子って何やろ。なぁあんた、聞いてるか?
親子って何やのん、なぁあんた、考えてみぃや。
なぁ。

ほんまもう、わけわからへんで。もう。
何手ぇ止めてるねん! 弾きぃや! もう!
あああ。何やっちゅーんよ。泣きたなってきたわ。あああ。

・・・・・・・・

ええと、私がいるのは京阪神で最も高級と言われるA市の、閑静な住宅街の中にある、A市の中でも一、二の評判をとる某フレンチ・レストランの前です。
このレストランはマンションの1階部分にあって、上の会話はこの上のマンションの一室から聞こえてきております。
あ、実況はカマウチヒデキでございます。

このフレンチ・レストラン、最近改装をいたしまして、外観、内装ともに新しくなりましたので、広報系の写真を一新したいと。そういうわけでわたくし、朝から仕事で撮影に来ているわけです。
で、内装を撮り終わり、昼間の外観を撮り、料理の写真を撮り、あとは夕暮れ時にライトアップされた外観を撮れば仕事は終わりです。
夕暮れの写真というのはチャンスが短いですから、さっきからずっとカマウチ、三脚にカメラを乗せたまま、レストランの前でいい頃合いに日が暮れるのをじっと待っていたんですね。

待つこと30分、ようやくいい具合の明るさになりかけて来た頃、上のマンションから上記の会話(といっても母の声とピアノしか聞こえない)が降ってきたわけです。
もう、耳は釘付けですよ。あ、耳は釘付けとは言わないか。

最初はうっとーしいオカンやなぁ、娘かわいそうやなぁ、としか思わなかったんですが、途中(娘が父親と同じ口調で口答えしたあたり)から母親がヒートアップしまして、半狂乱になったかと思うと突然トーンが下がり、しみじみ系の嘆き節に転化。もう独り舞台なわけです。
「親子って何やろ。なぁあんた、聞いてるか?」
のあたりはもう、母親の目に涙さえ浮かんでいるのではないかと想像され・・・

おわっ! 聞き入ってる場合違うっちゅーねん! 日ぃ沈みかけやんか!
写真撮らなあかん! (シャッター押しまくる)ああ危ねぇ・・。

・・・・・・

なんとか無事に夜景撮影も終わり、冷めていたとはいえ撮影に使った料理もご馳走になり(笑)どうもありがとうございましたー! とレストランを出た頃にはもう母親の嘆き節は終わってましたが。
どうなったのかな、続き。

「親子って何やろ」
まぁ、あんたが考えてるよりはもっとシンプルなもののはずですよ。お母さん。



  1. 2007/07/06(金) 20:20:56|
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美意識の瞬発力

070704biishiki.jpg


現像したフィルムをスキャンする。
昔はコンタクト(ベタ焼き)を作ってセレクトしていたが、最近はスキャナのプレビューを見ながらセレクトし、必要なコマだけをスキャンしている。本当はコンタクトを作るべきなんだけど。

35mmの36枚撮りで、36コマ中、スキャンするのは大体1/3くらいだ。あとの2/3はボツ。
で、勝ち残った1/3、たとえば12コマとして、その12コマをスキャンしたあと、フォトショップで濃度調整とゴミ取りをする。このゴミ取りの間に、また数コマ、ゴミ箱行きとなる。
ゴミ取りというのはかなり面倒くさいものなので無駄コマはやりたくない。プレビュー時のセレクトで「一応残しておくか」と拾った中途半端なコマが、たいていここで脱落する。面倒くさいゴミ取りをしてでも残したい、という愛着のあるものだけを残す。
で、結局36コマ中7~8コマが生き残る、というのがいつもの感じだ。

ところが。
昨日ラボから上がってきたカラーネガが、「おお」と思わず声が出たほど出来がいい。プレビュー画面でどれもこれもいい写真に思える。
ライカで夜道をだらだら撮り歩いてきた、そんなに熱を入れて撮ったわけではない1本だったが、あれも、これもとスキャンしていくと、結局半数以上、二十何コマも拾ってしまった。普通こんなことは絶対にない。
「フィルム1本で個展できるかもしれん!」
もう有頂天である。面倒くさいゴミ取りも全く苦痛じゃない。

大体、上がりがいいときってのはこういうもんである。気合いを入れて撮ったロールほど肩すかしを食う。こんな風に流して撮った思い入れの少ないフィルムの方が、往々にして出来がいい。

撮影時に気合い全開で操作したものが駄目で、力を抜いたものの方が良い、というのは、要するに自分の美意識が間違っている、ということである。
間違っている、というのとはちょっと違うか。
あとからセレクトするときの美意識と撮影するときの美意識は違う、ということで、結局その写真を長く残すためにはセレクトした方の美意識がモノを言うわけだから、僕の場合は撮影するときに発揮される瞬間的な美意識の方に問題がある、ということなのだ。美意識に瞬発力がない、ということか。
(撮る人としての美意識と批評者としての美意識、という意味でもあるから、僕は少なくとも「撮る人」としてはあまり才能がないらしい、ということにもなる。ちょっと寂しい話なのだが。)

いい加減に撮る、というのは、自分の瞬発的な美意識をあえて裏切る、ということなので、そこで根を詰めずに、わざと脇を甘くする。隙を作って偶然を呼び込む。
実はそれをかなり意識してやっている。
今の自分のチンケな美意識を裏切る写真を撮りたい。それが、今僕が撮ってる写真の目的ですらある。

だからこういう何も考えずにライカで夜道を流し撮り、みたいなことをやると、たま~にだが、猛打賞をやらかす。
そういうときのネガスキャンは、それはそれは楽しい。ゴミ取りすら愉快である。こんなネガなら一生ゴミ取りやってたって平気だ。

・・・まぁ、こういう興奮状態というのはそう長くは続かないわけで。

朝起きて、昨日の夜中にスキャンして濃度や色を調整した写真をもう一度見てみる。
昨日の晩は「もったいなくてwebになんか出せない。絶対に次の展示のためにストックしておこう」と思っていた20コマが、冷静になるに従い「まぁ半分くらいはフリッカーに出すか」くらいにトーンダウンし、一日経ったら、「ま、1つか2つストックするかな・・・」くらいになっている。

おかしいなぁ。あの晩は自分のこと天才だと思ったのになぁ。

ま、結局「あとこういう猛打賞が2回くらいあったらHPにギャラリーひとつくらい作れるかな」というあたりが今回の着地点である。
ま、それでも十分なのだけれど。


・・・・・・・・


Fotologueをもう一つ新設しました。
Fotologue [ book of days 2 ]

  1. 2007/07/04(水) 18:46:42|
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『戦争と一人の女』

070701ango.jpg


坂口安吾の新潮文庫『白痴』読み終わる。
昔はもっとすごいと思っていた『白痴』が、読み過ぎたせいか今回はそれほど乗れず、その代わり昔はさほど好きではなかった『戦争と一人の女』にいたく感動。『青鬼の褌を洗う女』も良かった。今回は女が主人公の話ばかり好きになった。

二読三読に耐える小説家と生涯何人出会えるか。
坂口安吾は少なくとも十年に一度無性に読みたくなる作家。
この新潮文庫のはセレクトもいいので何回も読んでいて相当痛んできた。買い換えようかな。

前に海音寺潮五郎の『平将門』を読み潰して買い換えたことがあると書いたが、もう一人、梶井基次郎の『檸檬』(新潮文庫)も読み過ぎて背を割ってしまったことを思い出した。仕方ないのでちくま文庫の全一巻全集を買ってそっちを読んでいたが、その後沖積舎の『梶井基次郎小説全集』というのも古書店で見つけて買ったのでバックアップは万全である。

ちなみに、新潮文庫の『檸檬』が駄目になった場面を今思い出した。一昨年の11月、co1君の出品していた京大のデジフォトサークルの展示を見に行く京阪電車の車中で読んでいて、行きの電車で本が二つに割れ、帰りの電車でどんどんページがバラバラになって淀屋橋駅で読んだ前半部分をゴミ箱に捨て、割れた後半だけを阪神電車で読み続けた。
半分しかない文庫本ってかっこわるいよ(笑)。古い本だったので背中の糊が完全に朽ちてたんですな。

あ、ちなみに私、梶井基次郎を日本最高の作家だと思っております。今のところ。
丸善に檸檬爆弾仕掛けただけの人じゃないぞ(笑)

・・・・・・

森山大道『遠野』(光文社文庫)。小さな大道写真集としてそれなりの価値あり。でももうちょっと大きく見たいなぁ、どうせなら。

  1. 2007/07/01(日) 23:41:23|
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