OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

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北川 子『赤花』完成記念ライブ!

chika070826.jpg


北川 子 1stシングルCD『赤花』完成記念ライブ、急遽決定!

ギャラリー&BAR「夢家LOOP139」
 大阪市天王寺区勝山4-1-10 Loft No139(営業/金・土のみ)
 090-4769-0865 JR環状線桃谷~寺田町間高架倉庫139番

9月1日(土)、8日(土) 18:30 open 19:30 start
投げ銭(チャージなし)

CDを買って下さった方も、まだの方も『赤花』がナマで聴けますよっ! ぜひぜひ!


・・・・・・・・・

それと、『赤花』のCD(600円)が買えるお店、現在の所、下記3件です。

(1)上記、ギャラリー&BAR「夢家LOOP139」

(2)大阪・扇町 沖縄料理「てぃーあんだ」 

大阪市北区末広町3-22 TEL 06-6363-8070
17:30~1:00 水曜日/第2火曜日定休
http://www.be-ing.jp/~t-under/

(3)大阪・北区ショットバー「Heaven HiLL」

大阪市北区堂山町7-18 伊勢屋ビル3F TEL 06-6315-7776
18:00~2:00 火曜日、祝祭日定休
http://heavenhill.hp.infoseek.co.jp/index.html

(4)遠方で(遠方でなくても)郵送ご希望の方はカマウチが取り次ぎいたします。
kamaneko@kpb.biglobe.ne.jp に「CD」とタイトルをつけてメールして下さい。詳しい案内を返信致します。
(CD代600円に送料160円の計760円、それと振込手数料をご負担いただくことになります)


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  1. 2007/08/27(月) 00:04:55|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

ばらソース!

bara070822.jpg



ああ。もうこれなしでは生きていけない!
あ、生きていけない、は大袈裟でした。

このソースと生きていきたい!
まだ大袈裟か。

神戸・長田の地ソースです。甘い中にもビリビリ来るスパイシーな味。独特のとろみ。

[OSAKASEVEN]のときに味噌とこのソースを差し入れに持ってきて下さったトギタさん。むむむ。そのセンスに脱帽です。あんなシブい差し入れ貰ったことがない。

で、そのとき以来、ばらソースの虜。
元々ウスターソースとかとんかつソースって好きじゃなかったんだけどな。オタフクとか、お好み焼きを家でするときに買ってくるんだけど、いくら関西の人間とはいえそう再々お好み焼き食べるわけじゃない。
たこ焼きもヤキソバも好きだけど、ソース1本使い切るほど頻繁には作らない。
結果的に、ソースってそんなに減らない。

しかーし。
このソースに出会ってからは、「このソースを使うために」メニューを考えるようになった。
ヤキソバの回数は絶対増えたね。
ヤキソバは断然塩・醤油派だったけど、最近は絶対ソース味ね。
ばらソース旨い。
ただキャベツの千切りにかけるだけでも十分旨い。

ありがとうばらソース。
ブラボーばらソース。




  1. 2007/08/21(火) 23:40:18|
  2. 日々
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:13

『赤花』讃

chika070814.jpg


内地の人間でも知ってる沖縄民謡と言えば?

まず名前が挙がるのは「安里屋ゆんた」だろうが、竹富島のクヤマという美しい娘が役人や地主の求愛をソデにして島の男と一緒になるというストーリー(役人と結婚して成り上がるのが元々、という説もあり)の長い元歌はともかく、「嬉し恥ずかし浮き名を立てて・・・」という日本語詞の「安里屋ゆんた」の良さは、僕にはさっぱりわからない。

次に挙がるのは「てぃんさぐぬ花」だろう。

「てぃんさぐぬ花は爪先に染みてぃ親の寄事や肝に染みり」
鳳仙花の花は爪先に染めて親の教えは心に染めなさい

「夜走らす船やにぬふぁ星目当てぃ我ん産ちぇる親や我んどぅ目当てぃ」
夜航行する船は北極星を見ている。あなたの親はあなたをずっと見ている

まぁバリバリの教訓歌なのだが、我々ヤマチンチュは耳で聞いてダイレクトに言葉が刺さってくるわけではなく「翻訳」というフィルターがかかるので、教訓歌だろうが何だろうが言葉の響きの美しさがまず先に来て、意味はあまり考えなくても聴くことができる。
特に「夜走らす・・・」の歌詞が僕は大好きだ。ちなみに音で書くとこうなる。
「ゆるはらすふにや にぬふぁぶしみあてぃ わんなちぇるうやや わんどぅみあてぃ」
もうぞくぞくするほど美しい歌だ。

しかし北川子(きたがわ・ちか)さんは沖縄出身の両親を持つ、いわばネイティブである。自身は大阪で生まれたが、両親が話すウチナーグチを聞いて育っているので、「てぃんさぐぬ花」は、まさにそのままの意味で彼女の耳に入ってくる。

昔まだ彼女がお母さんの経営する沖縄料理屋で、今みたいに本格的にではなく、店を手伝いながら手が空いたら三線をとって唄ってたようなときに、「てぃんさぐぬ花」だけは唄えない、と言っていたのを思い出す。
教訓歌だから嫌だ、というのではない。まったく逆の理由だった。
「親へのありがとうってことを、そんなに簡単に唄われへんねん。相当に覚悟のいる唄やねん」

そんなチカさんなので、ライブでも「てぃんさぐぬ花」を唄うことはなかった。
が、ある時から「てぃんさぐぬ花」に宮里ひろしさんという大阪在住のフォークシンガーが別の歌詞を乗せた「赤花」という曲をとりあげるようになった。

「赤花が咲いた 都会の片隅 遠い遠い親の 島に咲く」

両親の育った島の花(赤花=ハイビスカス)を自分の育った都会の一隅で見つけて、それをよすがに親への思いを唄うというこの曲に、チカさんはひとつの答えを見つけたのだろう。
僕は全部のライブを見ているわけではないので断言はできないが、たぶん初めてチカさんがこの曲をステージに乗せたときに、僕は脇から彼女の写真を撮っていたのだが、思わず自分の仕事なんか忘れてしまって聴きこんでしまったし、他の観客もスッと水を打ったように引き込まれていくのがわかった。
ある種異様な緊張状態で客は聴き入り、チカさんもいつも以上に気持ちの乗った声で唄いきった。
背骨が震えるほど感動した。

後日、この唄の作詞をした宮里ひろしさんが「もう『赤花』はチカちゃんにあげるよ」と、言ってくれたらしい。自分はもう唄わない、と。
はじめてCDを作るというのでどの曲を選ぶのかな、と思っていたら、この『赤花』だというので嬉しかった。CD製作に写真で参加できるというのももちろん光栄な話。

・・・・・・・・・

もし聴いてみたいという方があればメールを下さい。600円(送料別)でお送りします。

kamaneko[at]kpb.biglobe.ne.jp [at]を@に変えてコピペして下さい。
メールのタイトルは「CD」でお願いします。

自分が関わったから、というのではないです。いちファンとして、多くの人に聴いて欲しい。あ、このCD売れても僕には一円もマージン入りませんので念のため(笑)


[カマウチ撮影・北川子ギャラリー]

『太田子 唄の宴 2003.12.7』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/chika0312/0000.html

『北川子 Live!』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/chika2/cc01.html

『赤花』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/akabanaa_h/00.html


[北川子CD『赤花』のページはこちら]
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/akabanaaCM.html

  1. 2007/08/14(火) 12:33:24|
  2. 音楽
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  4. | コメント:6

北川 子『赤花』発売中

070814akabanaa.jpg


僕のメインサイトのgalleryでもおなじみの唄者・北川子(きたがわ・ちか)さんの初のCD『赤花』がマルスケレコードより発売されました。
僕も写真で参加しています。
2曲入りシングルCD、600円(送料別)。安すぎ。
ご希望の方はカマウチ宛メールくだされば詳しいご案内をお送りします。

kamaneko[at]kpb.biglobe.ne.jp [at]を@に換えてコピペよろしく。
メールのタイトルは「CD」でお願いします。

今年の4月にジャケット用の写真を撮り、すでにその一部はフリッカー等に出しているのですが、発売記念、メインサイトにギャラリーとしてまとめました。

メインサイトこちら
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/


  1. 2007/08/14(火) 01:28:21|
  2. 音楽
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暗室・試運転

070811hinako.jpg


暗室、試運転。
月光GV2でブロニカで撮ったヒナコの写真を焼いてみた。
焼くのは7~8年ぶりだ。露光秒数とか、全然勘がわからなくなってる。
ああ、でもこの懐かしい感じ。やっぱりいいなぁアナログプリント。


  1. 2007/08/11(土) 22:51:00|
  2. 暗室
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8月9日

070809ama.jpg



つまらないセミナーを受けてきた。
関東の某県で写真館を経営している人で、子供の写真や家族写真に定評のある人なのだが、前にも同じようなセミナーに参加したときには撮影実技が多くて子供のあやしかた等とても参考になったのに、今回はうさんくさい「メンタル面」の話ばっかりしやがる。
曰く夢は必ず実現するだの、願望は口に出せば実現に近づくだの、なんか変な宗教にカブれたんか? 苦痛の2時間。
みなさん、ペットボトルに水を入れて、その上に「ありがとう」っていう文字を貼っておくと水が腐らないらしいよ。
アホかっちゅーねん。

長居公園の近くの専門学校が会場だったので、そのまま駒川中野までニューマミヤ6片手に歩く。暑い。えげつなく暑い。
調子良かったら阿倍野まで歩いてやろうと思っていたのに、暑さで断念。駒川中野商店街でコロッケ食べて、谷町線に乗って文の里へ。ギャラリーMaggotをのぞく。大木さんの個展、毎日1枚写真を入れ替えながら続行中。前に行ったときから、ほぼ完全にラインナップが変わっていた。腕に無数の切り傷のある女性の写真が凄い。あの傷は本物か偽物か。うむむ。
http://gallery.maggot-p.com/

そのままナダールの宇野真由子個展「gravitation」へ。
阪神間の埋め立て地を4×5カメラで端正に撮ったモノクローム。
元々は海だった場所に立つ建築物や、生えている植物の「そぐわなさ」が、じっと見ていると徐々に存在感を増してきて、周囲を静かに圧していく感じ。
最後の写真の奥に見えるマンション群なんか、じっと見ていると神々しくさえ見えてきたりなんかして。
http://nadar.jp/osaka/schedule/070807.html

・・・・・・

海音寺潮五郎『日本名城伝』(文春文庫)再読の読了。
尼崎市中学校社会科教育研究会編『尼崎の歴史』(1990)半分まで読んだ。古本屋で見つけたんだけど、中学校の社会科の副読本だな。でも読み物として面白い。中学校の副読本だけに、初島遊郭とかは出てこなかったが。
僕は尼崎の生まれではないけれど、もう十数年尼崎に住んでるし、これからもずっとここで暮らしていくことになるだろう。腰を据えると決めれば今まで以上に愛着もわく。ちょっと地域史の勉強も一通りやっとくかな。



  1. 2007/08/09(木) 23:48:17|
  2. 写真
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ペンギンに写真を学ぶ

070804penguin.jpg


調子に乗って、過去のことを蒸し返すシリーズ、第3弾。
つまらんと思ったら読まなくていいです。自分のための覚え書きみたいなもんだから。

・・・・・・

なんだかんだの紆余曲折の後、カンテGに復帰したのは1991年の春のこと。以後また3年にわたってカンテにはお世話になるわけだが、復帰直後、正直言うと僕はすっかりやる気をなくしてしまって、とてもローテンションな日を送っていた。

話が前後するが、前の日記で書いた花博のパレードスタッフをやる前は二年間カンテGで働きながら演劇活動をしており、当時扇町ミュージアムスクエアを中心に公演していた「ミュージアム原始願望」という劇団に在籍したり(伊藤えん魔さんや国木田かっぱさんと一緒に舞台に立っていた)、自分で役者をかき集めてプロデュース公演をやったりしていた。

しかし89年に原始願望が解散すると路頭に迷った(住むところがなくなった、という意味ではなくて、精神的な意味でね)。
元々おそらく役者には向いてなかったのだろう。どこか別の劇団で舞台を踏もうという熱意もわかず、さりとてせっかく関わってきた演劇からこのまま足を洗う踏ん切りもなかなかつかなかった。
知り合いの劇団で舞台美術を何回かやったりしてしばらくしがみついていたが、結局フェイドアウトみたいな形で舞台との関わりが切れていった。

花博のパレードに飛び込んだのはそんな時期の話。何だかやみくもに環境を変えてみたかったのだ。今僕に必要なのはうだうだ脳を使うことじゃない。体をいじめるような仕事をしたい、と思った結果である。

・・・・で、これまで書いてきたような花博生活、工場労働、Aさんとの飲食店開店話の頓挫があって、多少の借金も抱えて疲労困憊でカンテに戻ってきた。

帰ってみれば、相変わらず平和なカンテG。以前働いていた店だから仕事も慣れているし、ここの人たちは社長もスタッフも好きな人ばかりだ。別に店に不満があって辞めたわけではないから、復帰できたことは単純に嬉しかった。やはり生活のベースというものはないといけない。

しかし、先のアテというものが何もない。バイトの先輩だった松本さんや黒田君はとうとう東芝EMIと契約が成立して東京へ出て行った(実際にウルフルズが大ブレイクするのは3~4年後のことだが)。べつに彼らを羨むわけではないけれど、同じような年の彼らが着実にステップアップしていくのを間近に見て、振り返って自分の何もなさに呆然とした。
まぁ、ウルフルズと自分を比べてどうすんのさ、という話なんだけど。

雨の夜に、カンテの前に置いていた通勤用の自転車を盗まれて、十三大橋をとぼとぼと傘をさしてアパート(塚本に住んでいた)まで歩いて帰ったことがある。
その時、なんだか自分の寄る辺のなさに突然愕然として、恐怖のあまり橋の上で腰が抜けたみたいに座り込んでしまった。誰も助けてくれないという不安は底抜けに増殖した。
つげ義春の傑作『無能の人』で「この広い宇宙で私たち3人だけみたい」と奥さんが嘆息する場面があるが、僕は1人でほったらかしにされたような気になって、宇宙のどこにも味方なんかいないんだと気弱になっていた。
今でこそこんな大雑把な性格になっているが、青年カマウチ25歳、こんな線の細い時代もあったのだ。

そんな鬱屈を常に抱えながら、ある休みの日、春頃だと思うが、天王寺動物園にふらふらと足を運んだ。
そこで、白い擬岩の上に、体表にキラキラ光る水滴を纏ったキングペンギンが5~6羽、天を仰いで立っているのを見た。
あのときの衝撃を、どう説明したらいいのかわからない。今から思えば彼らの何にそんな衝撃を受けたのかも、実際思い出せない。
とにかく、とてつもなく美しいものを見た、というショックの大きさだけを覚えている。

恋は理屈じゃないのよ。そう、まさに脳天一撃の一目惚れというやつだったのだ。
もちろん今までにも動物園でペンギンくらい見たことはあった。しかし、その時の自分の精神状態の何かが変な具合に作用して、そのペンギンが特別のものに見えたのだろうか。こんな美しい鳥は見たことがないと思った。

わけもわからず、ただペンギンを見たくて、毎週天王寺動物園に通った。当時つきあっていた彼女(=今の相方)が持っていたコンパクトカメラを借りてペンギンの写真ばかり撮った。
金もないのに、一日に36枚撮りのフィルムを3本も4本も使うようになった。わけのわからない渇望感に駆られてガンガンシャッターを押すのである。

そのうち、そのコンパクトカメラ(オリンパスのAZなんとかという、さほどコンパクトでもないズーム機)では飽き足らなくなり、カンテのカンバラさんに相談をした。
やっぱり一眼レフを買うべきだろう、との答え。
当時「一眼レフ」というのが何なのかも、レンズが交換できるということも知らなかった。ニコンならF-801、キヤノンならEOS-100なんていうAF機が売られていた時代だ。

しかしカメラ屋で調べてみるとAF一眼レフは高い。レンズを入れて10万以下では買えなかった。
「中古で買えばいいやん」
カンバラさんが言うには、写真を真剣に覚えたいのなら、最新のAF一眼レフなんか買わずに、中古で安いマニュアル機を買って、安く上げた分フィルムを買って撮りまくった方がいい。また、便利なプログラム露出があるような最新機種よりも、絞り優先オート程度のカメラから始めた方が理屈もわかりやすい、と。
素直な僕はカンバラさんの意見に従ってニコンFEを中古屋で買った。生まれてはじめて自分で買ったカメラだ。

FEは何千枚、いや何万枚かもしれないペンギン写真を写した。
あいかわらず毎週天王寺動物園に通い、ペンギンの飼育員さんとも仲良くなった。天王寺ではじめてキングペンギンが繁殖に成功したときも飼育員さんから電話をもらって大急ぎでかけつけ、卵の殻から出たばかりの雛(僕が「モモ」と命名。「アカ」♂と「シロ」♀の子だったから)を撮らせてもらった。
以後1年間、毎週モモの成長を撮り続け、最後の換羽が終わって成鳥になるまで記録を続けた。
撮っているうちに写真の理屈も否が応でも身についた。
僕に写真の技術を教えたのは天王寺動物園のモモをはじめとするペンギンたちである。
とにかく、久々に熱中できるものに出会って、がむしゃらに撮りまくっていた。

そうやって天王寺に通いつめるうち、その飼育員さんの紹介で、日本全国の動物園のペンギン飼育者や研究者からなる「日本ペンギン会議」という団体にも出入りするようになった。93年12月には、そのペンギン会議が催した第一回南米チリへの野生のフンボルトペンギン調査にも参加。
その渡航費用や写真機材をまかなうために半年前から夜のアルバイト(別のインド料理屋)をかけ持ちして働きに働きまくった。まさにペンギンに淫していた。ペンギン中毒といってもよかった。

そのチリで野生のフンボルトペンギンに会えたことが忘れがたく、ぜひ来年以降の調査旅行にも参加したい。しかし費用は50万円かかるのだ。朝から晩まで働きまくってなんとか費用を捻出したが、一介のフリーターにはキツすぎる金額である。
「安定した収入を得られる仕事に就きたい」
初めて切実に思った。

動物園の飼育員というのが魅力的で、口はないかといくつかの動物園に問い合わせもし、知り合いの飼育員さんに口を聞いてもらおうとも考えた。が、一方で、せっかくペンギンに教わった写真の技術を生かせる仕事もいいかも、と考え、写真関係の求人も並行して捜した。
動物園の飼育員か、写真関係の仕事。どちらか先に見つかった方に就く。そう決めた。

そして、今の写真の仕事に就くことになった。94年、27歳のときだ。
以来13年、ちゃんと続いているところをみると、それなりの適性はあったように思える。
が、その写真の知識を教えてくれたのは、繰り返すが、ペンギンたちである。

・・・・・しかし。
「野生のペンギンに会うために定職に就きたい」
という当初の目的はどうなったか?
ペンギン調査旅行が実施される冬(南半球では夏)に僕の働く営業写真の業界は一番の繁忙期を迎えるという事実を、まったく調べもせずに就職した僕が愚かといえば愚かだったのだ。
そんなもの、参加できるわけがない。

いつしか、ペンギン以外の写真も撮るようになった僕は、暗室作業も覚えたりして、モノクロ写真に熱中するようになり、ロバート・フランクだのダイアン・アーバスだのといった写真家に傾倒していき、動物園にも行かなくなった。
ペンギン会議にも、もう何年も参加していない。僕の生活から潮が引くようにペンギンの影は消えていった。

でももう一度言うが、僕はペンギンに写真を学んだ。そしてその写真を仕事にして飯を食っている。そのことは忘れちゃいけない。

あらためてお礼が言いたい。
ありがとうペンギン! あのときのキングペンギンたちが、そしてチリで会ったフンボルトペンギンたちが、僕を今のここへ連れてきてくれたのだ。


参考: 「ゾディアック!」
  1. 2007/08/04(土) 21:16:54|
  2. 日々
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働くカマウチ(後篇)

070801work.jpg


前回からのつづき。

生活再建のためY区のX食品という、冷凍パイ生地やマーガリンを作る工場に採用が決まったカマウチ。日給が8000円、残業のある日は1万円を越える金額が得られるとあって、皮算用上は笑みが止まらない。
だって月に25日働けば20万円だよ。頑張れば借金なんか2ヶ月ほどで返せる目算だ。

仕事の内容は出荷品のパレット(トラックに積み込むための受け皿のような木製の枠)への積み上げ作業、ベルトコンベアでのマーガリンの箱詰め作業、「ムロ」と呼ばれる、30度くらいの高温の部屋へマーガリンを熟成させるために箱を積み上げる作業、そして冷凍庫内の整理作業。
だいたいこの4種くらいを時間交代でやる。
毎日同じ作業ばかりだったら飽きて能率も上がるまい、ということなのだろうが、結果的にはこの作業交代がとんでもない責め苦だったのだ。

冷凍庫内はマイナス35度。数分間中にいたらまず鼻毛が凍り、次に喉の粘膜が凍る。次第に声が出なくなる。
もちろん防寒具は着込んで入るのだが、鼻・喉をやられるのがきつい。一応5分交代で冷凍庫の内外を出たり入ったりする決まりなのだが、5分では内部の作業もあまりはかどらないので、そのうち時間厳守のはずがナァナァになって、5分が10分、15分、と伸びてくる。

僕ら倉庫作業のアルバイトに指示を出す社員は2人いて、仮にPさんとQさんとするが、2人とも50歳くらいの年配、しかし性格がまるっきり違う。
Pさんは丸顔で快活な、筋肉もたくましいおじさんで、主に積み上げ系のバイトたちを指揮していて、バイトからも事務系のおばちゃんからも人気があった。この人は問題ない。
問題なのは病気のシロクマのような風貌のQさんだった。
ずっと冷凍庫系の仕事をしているためか常に頬と目が真っ赤で、爛れたようになっている。鼻水も凍りっぱなしだ。
彼は冷凍庫内で30分でも平気で仕事をするのだが、おそらくこんな仕事は大嫌いなのだろう。荷に怒りをぶつけるような乱暴な働き方で、しょっちゅう冷凍庫の中でドライアイスの山を蹴っている。バイトにも必要以外には絶対に話しかけない。もちろん聞かなければ何も教えてくれず、聞いても教えるのは大嫌いなようだ。

このQさんのせいで何人のバイトが辞めたかわからない。実際、本当にバイトが定着しないのだ。僕のあとにも何人か入ってきたが、たいてい一週間たたずにやめていった。
このQさんは、わざととしか思えないのだが、わざわざ「ムロ」作業が終わった者を冷凍庫に連れて行く。30度のムロからマイナス35度の冷凍庫である。温度差65度、絶対に体調を崩す。
首まわりにかいた汗が本当に凍ってシャーベット状になるのだ。風邪を引くなという方がおかしい。

結局借金のことがあるので2ヶ月は頑張ったが、その間も体調ボロボロで休みがちだったので借金を完済どころの話ではなく、かえって増やしてしまう結果になった。

しかももっと悪いことも同時に起きた。
ピザ屋をやろうと言っていたAさんが、いきなり病に倒れ、生死の縁を彷徨う容態になってしまったのだ。
なんだこの劇的な展開は。
嘘っぽいけど決して作り話ではない。何でも骨髄の中に菌が入って云々という、なんか大変な病気だったらしい。

後に話を聞くと、本人は本当に三途の川まで行ったのだそうな。
川の渡し船の人に「全部着てるものを着替えてくれ」と言われ、服を脱ぐうちに、いつもかけている眼鏡がないことに気が付いた。渡し守に「眼鏡は持って行っていいか」と聞くと、まぁいいだろう、という。で、奥さんの名前を呼び、おおい、眼鏡はどこだー、と叫ぶと目が覚めて、頭上で奥さんと医師が喜んでいる顔が見えたのだとか。

まぁ三途の川の話はどうでもいいが、とにもかくにも、ピザ屋開店どころの話ではなくなってしまったのだった。
命をとりとめたAさんは良いとして、自分の話である。
どうするカマウチ、このまま食品工場で汗凍らせてていいのか?
いいわけないな。

増えた借金におびえ、そのあと本屋の倉庫で働いたり、ぬいぐるみ時代の伝手を頼ってヒーローショーの悪役(殴られ役)になって各地のスーパーマーケットの催事回りをしたり・・・。

で、結局僕が選んだ道は。

・・・・・

中津カンテGに復帰。
店長のヤスダさんにおずおずと聞く。
「あのう、募集してます?」
ヤスダさん、笑って言う。
「いつから来れるねん」
あのときは本当に、ヤスダさんが神様に見えたよう。

それから3年間、またカンテGで働きました。


  1. 2007/08/01(水) 18:41:16|
  2. 日々
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