OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

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ちょいと天使が

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多分遠からず、銀塩は滅ぶ。
いや、あたしらの生きてるうちはきっと大丈夫ですよ、と某GギャラリーのマネージャーK氏は言うが、これから煙草以上の曲線を描いて値段は上昇するに違いない。

金持ちの趣味としてしか感材を買えない、ということになれば、もう金持ちではない僕にしたら滅んだも同然だ。
35mmフィルムが1本5000円になっても、あなたはフィルムを買えますか?
僕には無理。そうなったらライカもブロニカも処分してデジタルに行きますよ。ええ。

そういう銀塩の終りがけに、八切暗箱という途方もなく面白いものを手に入れてしまったんだけれども。

8×10のTXPはとりあえず販売続行されるようだが、まぁもう何年も保つまい。
ローライR3フィルム(現像液によって感度が自由に可変)で8×10が出ないかなぁ、とは前述K氏の言。たしかに。感度可変なら便利だなぁ。

フィルムの先行きは不安でも、それでも終わりに間に合ったことには感謝しなければいけない。僕は写真の神様にちゃんと愛されている。

神様、まで言うと大袈裟かもしれないが、今日はちょっと「天使」程度の僥倖があった。

先日、上記のような会話をしながら、某Gギャラリーの暗室で、マネージャーK氏を暗箱で撮らせてもらった。例の一発勝負写真の、最後のモデルさん。
で、現像はその晩のうちに済ませてあったのだが、まだプリントはしていなかった。
最近仕事が忙しく、今日なんかも家に帰り着いたのが11時半をまわっていた。ここ数日、ろくにヒナコの顔も見てない。体もクタクタ。
はやくひっくり返って寝たい、とは思いつつ、K氏の写真もプリントしたい。

悩んだけど、結局焼いてみることにした。
四切バットを適当に並べ、液を張る。蛇口から適当に湯と水を出すと水温は25度になった。イルフォードの現像液を1:9(かなり適当)に割ってバットに注ぐ。ま、バットで冷めて22~23度くらいになってるだろう。
オリエンタルの大四切・多階調バライタを二つに切る。箱の中に前に使った残りのテスト用切れ端が1枚だけ入っていたので、それを使ってテスト露光をする。
伸ばし機には前に何か焼いたときから付けっぱなしの80mmレンズが付いている。
フィルターボックスに何番のフィルターが入っているのかも未確認。
絞りがいくつかも確認せずに、時間もきわめて適当に10秒。
現像液に沈める。

1分過ぎたあたりの濃度で、お、適当に放り込んだ割にはいい線かも、と思う。
2分浸けて、停止液に移す。30秒口で数えて定着に移し、すぐに電気を付ける。

うわお! ドンピシャ!

なんとそこには、ほぼ完璧な、思い通りの濃度の印画紙片が!
美しいトーンのマネージャーK氏が定着液の中に。

液温もいい加減、フィルターも未確認(あとで見たら2号だった)、絞りも未確認(あとで見たらF8だった)、時間はとりあえず切りよく10秒。
何もかも「テキトー」にやったテストピースが、なぜかほぼ完璧な濃度でそこにあった。

もうこれでいいんじゃないの?
そのまま、さっき切った印画紙を、2枚続けて10秒づつ露光し、順に現像液に2分づつ。あとは機械的に次の液に送っていくだけ。
二枚目を定着液に沈めた時に、電気をつけて一応確認する。
やっぱり問題なし。焼き込み・覆い焼きもまったく不要。

水洗バットの中には印画紙2枚とテストピース1片だけ。他にゴミも出ない(笑)。
予備水洗5分、QW10分、水洗5分の、計20分の水洗時間を入れても、なんと40分くらいでプリントができてしまった。
最初にバットを出して並べた時からの時間で、である。
QWに浸けてるあいだにバットを洗い、片づけも完了。
こんなスピードでプリント終わったことなんか、本当に初めてだ。

これを天使と呼ばずして、って感じですよ。

いやー、いい写真出来ましたよ、Kさん。期待して下さいね!

・・・・・・

というわけで、皆様、この写真も含めて、大判一発勝負写真、ギャラリーmaggotの『le modele』に見に来てください。
最初密着プリントをスキャンして大きくインクジェットで、と思ってたんですが、せっかくの銀塩感が削げそうなので、やっぱり密着プリントで展示しようかな、と今は考えてます。
5/7(水)~5/18(日)ですからね。皆さんお忘れなく!


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  1. 2008/04/28(月) 01:34:16|
  2. 暗室
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祝春一番2008に北川子出演します

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5月2日、北川子(きたがわ・ちか)さんが今年も『祝春一番2008』のステージに立ちます。
(写真は『祝春一番2006』出演時)

今回も専属カメラマンとして会場におります。
ヒナコも連れて行くかも知れません。
チカちゃん、カマウチ&ヒナコに会いたい人は緑地公園へ(笑

[カマウチ撮影・北川子ギャラリー]

『太田子 唄の宴 2003.12.7』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/chika0312/0000.html

『北川子 Live!』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/chika2/cc01.html

『赤花』
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/akabanaa_h/00.html


[北川子CD『赤花』のページはこちら]
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamauchinet/akabanaaCM.html
  1. 2008/04/26(土) 01:56:28|
  2. 音楽
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Mさんを撮る/TXP320の8×10が!/他 (誤報でした)

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最近ヘヴィなテーマで書きすぎたので、ああ山田風太郎は面白いなぁとか、そういう気楽なことを書かないと均衡がとれない気がする。
はい、山田風太郎最高です。『エドの舞踏会』(ちくま文庫)唸りました。

などといいながら「OK,Darling. But What is Photograph?」と題した、3回にわたるヘヴィな文章に少しだけ戻りますが、ヘヴィとはいえ、どかさんやshingaiさんのツッコミの絶妙さも相俟って、なんか面白い論考になったんじゃないかと思ってます。
また続きも考えますので。うっとーしければ飛ばして下さい。

・・・・・

ナダール大阪でモノクロ普及委員会第3回写真展『モノクロニクル3 モノクロリンピック』開催中です。AB日程に分かれていて、A日程はもう終わってしまったのですが、27日(日)までB日程がやってます。
今度三人展をいっしょにやる福永貴之さん、山本瑞穂さんも出品してますので、興味ある方、ぜひナダールへ。

・・・・・・

先日、敬愛する写真家であり友人であるMさんを撮りに京都へ。
今度の『le modele』のために八切暗箱で撮らせてもらった。
雑談の中で、Mさんに「カマウチさんて、あたしは実物知ってるからいいけど、もしwebでしか知らない人だったら怖い人よねー」と言われる(笑
ああ、やっぱり怖いですかね。
今年はソフト路線で行く、と年頭に誓ったんですが。
あ、僕は意外と普通の人ですから、みなさんご心配なく。
ただときどき、web上で、人格がちょっぴり変わったりするだけですから。

・・・・・・

大判カメラの写真が面白く思えてきた今日このごろ。
なのに、いきなりコダックTXP320の8×10が生産中止とのニュース。
嘘ぉ。
感度320の大判フィルムなんて他にないのに。8×10モノクロはあとフジのアクロスしかない。
室内で人物など撮りたい僕は、感度100のアクロスなんか使ってられないのです。
堀内カラーに電話してとりあえず10枚入り2箱だけ確保。
残20枚で何やるかなぁ。
切ないなぁ。これからもこんな思い、何回もするんだろうなぁ。

・・・・・

ちなみに上の写真はたまたま車中からキスデジで撮ったんだけど、決して山本瑞穂の名作を意識したものではない。決して。

でもチラと頭の隅にあったかも・・・・惨敗ですけどね。

・・・・・

[追記]
さっき仕事のついでに堀内カラーで聞いてみたら、TXP320バイテンの生産終了は聞いていない、とのこと。まだ取り扱います、と。
ただ、コダックのことだから、いつそうなるかわかりませんがね、という話です。

ヨドバシ経由で注文したときに「生産終了」と聞いたんですが・・・。
もしかして担当者、「TXP320/8×10/50枚入り」がなくなって「10枚入り」しかなくなったのを、「生産終了」と勘違いしたのか?

とりあえず、堀内カラーの言うことを信じるなら、まだ手に入る、ということです。
僕の誤報(?)を聞いて背筋が凍った、ごく少数の方、すみません。




  1. 2008/04/24(木) 02:04:24|
  2. 写真
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大判一発勝負!/ 三人展も日時決定

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5/7(水)-5/18(日)ギャラリーmaggotでの企画展『le modele』に参加します。
http://gallery.maggot-p.com/exhibitions/#ex2
撮る・撮られるが合意の上の人物写真、「撮らせてください」「いいですよ」で撮った写真たち。要するにポートレートです。

[メンバー] カマウチヒデキ/MUZU/kazki/hasco/大木一範

ナダールで過去二回『ポートレート展』に出展しました。
二回目のときにweb上でモデルを募集して初対面で撮る、ということもやってみましたが、今回はちょっと趣向を変えてみました。
題して「大判一発勝負」

八切暗箱に250mmレンズを付けて一回きりのシャッターを押します。撮り直しはなし。
今まではブロニカなりペンタコンなりでその人を2~3ロール撮って、中からいいものを選ぶ、という、まぁ僕の普段の仕事的な撮影をしてたんですが、今回はそういうのなしです。

最初は緊張状態にある双方(撮る人・撮られる人)が、撮り続けるうちに徐々に慣れてきて違う表情も出てきて・・・という過程を追う撮り方は、撮る人、撮られる人が、一緒に着地点を探していく感じですが、今回は問答無用の一回きり。

しかも大判カメラですから、ピントを合わせたが最後、「動かないで!」です。撮られる側の緊張度もかなりでしょう。
「目をつぶっても撮り直ししませんから」と、せっかく写ってくれる人を脅しながら撮るなんて(笑)。なんちゅー極悪人。
すみません。写ってくださった方々。

もう一人だけ、撮らせていただく約束の方を残してますが、大体展示の方向は見えてきました。
八切のネガを伸ばせる引伸し機なんてないので(八切カメラ自体を引伸し機に仕立てる、ということも考えましたが・・・)、今回はベタ焼きした印画紙をフラッドベッドスキャナーで取り込んでデジタル出力するつもりでいます。

先に言うのも何ですが、250mmが準広角という、はじめての世界です。開放値(F4.5)で撮ると驚異の被写界深度です(薄~!)。
正直、撮るときは頭の70%を「ピント」のことが占めています。
しかし、出来上がった写真は面白い。
こういうこと自分で言っちゃいけないんでしょうね。でも、本当に面白いですよ。

何はともあれ、僕の初の大判写真展示です。楽しみにしててください。

・・・・・・

9月2日(火)~7日(日)には、以前から予告していた、例の三人展です。
場所と日にちが決まりました。
同じくギャラリーmaggotにて。

[三人展] カマウチヒデキ/福永貴之/山本瑞穂

企画展に乗っかる形での展示は去年もいろいろやりましたが、自分から企画に関わる展示は久しぶり。おととし10月の [OSAKASEVEN] 以来です。
相手にとって不足なし。それどころか軽々、置いて行かれそうな強敵二人ですが、気持ちのいい火花を散らせて見せます。
また近づいたら詳細ここでお知らせします。



  1. 2008/04/23(水) 01:09:50|
  2. 展示
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OK,Darling. But What is Photograph? (3)

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コンセプト、だとかテーマだとか、そういうのは苦手です。
すべてアートは言葉で説明する必要がある、というのが、そもそも違うと思うのです。

写真ギャラリーに行くと、「作家さん」が聞きもしないのにテーマを語ってくれたりする。
「他者とのナントカ」とか「関係性の虚構がドウタラ」とか、なんかさぁ、タシャとかキョコウとか、無理矢理いかめしい言葉探してないか? なんて思ってしまうんですよね。

もちろん、写真の力を最小限の言葉が効果的に補強する、写真と言葉、双方が支え合う、理想的な関係を結べている作家も少なからずおられるのですが、写真だけ見てればかっこいいのに、余計な言葉で逆に自分の写真を狭い檻の中に囲い込んでしまってる人も多いように思います。

使い古された言い回しで恐縮ですが、やっぱり、言葉で説明できないものを写真で語りたいんです。
それじゃ駄目です。作家は作家の言葉で、作品を説明できなければいけないのです、とたとえば安友志乃なんかが言う。
そうだろうか。
写真に言葉って、本当に必要だろうか。

写真に言葉は不要ですが、写真を見ればどれだけの言葉を写真に向かってぶつけてきた人かはわかります。費やされた言葉の総量が、ちゃんとプリントに出ると思います。
それをわざわざ言語で被せる必要があるだろうか。

・・・・・

本当に素晴らしい写真には言葉なんか必要ない。
ロバート・フランクの写真、ヨゼフ・クーデルカの写真を、僕は大好きだけれども、別に彼らの写真集の英文解説を一所懸命に読まなくても、写真のうしろにちゃんと千語万語の言葉が尽くされている。

そういう写真を見たいし、できれば自分で撮りたいと思うのです。



  1. 2008/04/20(日) 00:05:50|
  2. 写真
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OK,Darling. But What is Photograph? (2)

080418OKDBWIP.jpg


モノクロ写真とは何か、という答えを、僕はまだ出せていません。
このデジタルのご時世に、なぜまだモノクロ写真なのか。

これは、考えれば考えるほど、自分に不利な答えしか出てこないのです。
自分の考える写真は、どう考えても、モノクロである意味がない。

モノクロであることに甘えているのではないか。
手仕事、とか、そういう響きのいい言葉で自分を騙しているのではないか。

保存性、というのも言い訳にすぎません。この顔料プリンターのある時代に。
バライタ紙の物質感、といったところで、それが唯一無二の選択肢であるとも思えません。
そして、物質的な質感だけで写真の良し悪しを語るのは嫌いだ、と常々言ってる手前、自分の中での整合性もとれません。

・・・・・・

自分の中ですでに予感としてあるのは、いつか遠からず、銀塩を捨ててデジタルカメラを持つようになるだろうということ。
感材がどうせ手に入らなくなるだろうから、というのもあります。
銀塩感材という「物質的」なものに対するノスタルジアだけで写真を撮っているのではない、という思いもあります。
同じことをデジタルカメラで出来ないわけがない。多少のプロセスと、気構えが違うだけではないか。

ならば今どうして銀塩で、しかもモノクロなのか。
写真の歴史に対する敬意であるのか。
昔からの技術に対する興味と憧憬?

液温と露光時間、コントラストフィルターや印画紙の号数で刻々と表情を変える銀画像の生き物のような姿に対する興味であり、それ以前に暗箱の中での光の受け渡しと結像のドラマの一番シンプルな結論であるモノクローム画に対する興味である。
また、そういった手仕事の技術、経験といったものが写真に何かを付与できるという思いこみ。

それは一面、たしかにあるだろうし、否定しないけれども、同時にそれが一面錯覚にすぎないのではという認識も、ちゃんとあるのです。

・・・・・・

そういう風に思いながらも、今はその答えを先延ばしにしている状況です。
もちろん、銀塩感材の歴史が終焉を迎えようとしているからです。

自分に必要であるかどうかは、今はわざと判断保留にしておくと決めました。単純に感材の違いであるという、それだけの意味からすれば、それが使えなくなるなら先に使っておけ、という、本論とはズレた理由からの枷をかけたことになります。

デジタルカメラでモノクロの写真を撮る意味を、少なくとも僕は見いだせません。デジタルカメラを使うようになれば、飯沢耕太郎がいうようにモノクロは一つの特殊表現という地位しか与えられなくなるでしょう。
特殊表現という地位に押し込められれば、余計に「モノクロである理由」が必要になります。

モノクロで写真を撮るという行為が背負ってきた意味をちゃんと解くことができないまま、感材がなくなるという外からの要因によってその存在が消えようとする。
その前に、少なくともモノクロ写真について考えることは必要だと思います。
そして考える時間は、どうやら今しかなさそうなのです。

これが僕が暗室でモノクロプリントを作る、今現在の理由です。
非常に消極的な理由に聞こえますか?

いずれ捨てなくてはならないことがわかっていて、そのための助走なのだ、とも言いくるめることが出来ます。
冷静なフリをして書いていますが、本当は胸が痛いのです。
胸が痛い理由も、写真の謎として問うていかねばならんのです。





  1. 2008/04/18(金) 01:08:42|
  2. 写真
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OK,Darling. But What is Photograph? (1)

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なんだか写真以外の話がしばらく続いたので、たまには真面目に写真のことを考えてみようかと。
大体どうして僕は写真を撮るのか。

・・・・・・

自分でわかってることは、過去に撮られたある種の写真たち、世界中の、有名無名な写真家に撮られてきた数々の写真があって、何とも説明の出来ない、得体の知れない魅力と謎を持ってそこに屹立しているということ。

森山大道の三沢の犬でもいいし、クーデルカの楽器を弾くジプシーの写真でもいい。フリードランダーが我が娘を写したモノクロでも、ダイアン・アーバスの障害者施設の写真でもいい。

今まで僕の度肝を抜いてきたある種の写真たち、その度肝の抜かれ方を、僕はうまく言葉で説明できないのですが、圧倒的な力を、抜かれた心臓の痛みで覚えているわけです。

しかしさらにびっくりすることには、そういう写真の力を(残念ながら常にではないのですが、ごくまれに)自分の写真からも感じることがあるということ。
自分の撮った幾枚かの写真の中にも、撮った本人の心臓を抜いていくような、そういう力を帯びたものが、まれとは言いながら、確実に存在するわけです。

これはよく考えたらおかしなことで、しかしもっとよく考えたら別におかしいことでもないのかもしれない。
別に僕に特殊な才能があるわけでも何でもない。そういう写真が撮れたとして、そんなのまぐれだとか、偶然だとか、そう言われても別にかまわない。というか、偶然やまぐれを味方にできるというのが写真の特性であり、むしろそういったものを味方に付けていけば、自分の現在の美意識というものを壊すものさえ作れる、というのは、写真という表現ジャンルの、ある種特権でもあるわけです。

写真機という、自分の血肉ではない異物を使ってしか写真は撮れない、その異物が生み出す自分の美意識との微少な差異が、美意識自体を食う。
森山大道の三沢の犬は、シャッターを押す前に森山大道が頭の中で完璧に設計図を描いたそのまんまが写っているのかというと、そんなわけはない。
あるひらめきとか感応があって、写真家はカメラを向ける。ある程度の予測と、その予測に近づけるための写真機への習熟と、それがどういう露光を得てどういう画を得るかという技術的知識があって、シャッターが押される。
しかし、写真は絶対に何かを裏切るのです。
その裏切りが、時として心臓を抜くような力を持つ。不意打ちのようにそれはやってくる。

僕は小粋な言葉は使えないので、単刀直入に「写真の謎」と呼んでいます。そのまんまやん、と言わないで下さい。本当に謎としか表現しようがないのです。

その謎と格闘することが写真を撮るという行為の唯一の動機なのですが、その謎は踏み込めば踏み込むほど自分の美意識(と仮に呼んでいるけど、この「美意識(仮)」自体も、自分の中の謎みたいなもんですよね)は組み替えられ変形していくわけですから、この「謎と格闘する」ということ自体の意味すら、よくわからなくなってきます。謎が謎に食われるとでも言うか。

・・・・・

僕が撮る写真には特定の被写体というのはなくて、何か自分を裏切ってくれそうなものを探して歩いている感じ。
比較的人物の写真が多いのは、人物写真がいちばん自分の意図を裏切ってくれるからです。
人を撮ると、必ず事前に思い描いた画よりも、良くも悪くもズレてくれます。逆に思い描いたとおりに写ってしまったりしたときには、自分でまったく面白いと感じない。やはり何らかの裏切りを期待してシャッターを押している部分があるのです。

被写体というのは、正直、別に何でもいいんだろうと思います。謎に一歩踏み出すためのきっかけでしかない。
人物を撮っても、僕はもちろん、その人物写真でその人の中の何かを「表現」しようなんて露とも思っていません。撮ればその人の何かがわかるなんてのも、もちろん嘘に決まってる。

でも撮影者の、そして被写体の思惑も無視して、何かが写ることがある。その何かが写ってしまうという、写真のからくりが、僕にはとても興味深く思えるのです。


  1. 2008/04/16(水) 23:46:50|
  2. 写真
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『警視庁草紙』/大村憲司/ペティ・ブーカ

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どうやら風邪は脱した模様。長かったー。
寝込むなんて何年ぶりだろうか。
山田風太郎がいっぱい読めたからいいではないか、なんていう問題ではない。
体は大事にしなければ。

山田風太郎『警視庁草紙』(上・下/ちくま文庫)読む。
面白かったけど、先に読んだ『地の果ての獄』や『幻燈辻馬車』に比べて百花繚乱絢爛豪華、いろんなものを詰め込みまくってゴージャスすぎる気がしないでもない。それでちょっと複雑になってついて行きそこねる部分もあり。
最後の大がかりなアレは、ちょっと、いくら山田風太郎でもどうだろう(笑)
山田浅右ェ門が腰を抜かして六人目の死刑囚の首の半分のところで刀が止まった、とか、笑えん、笑えん。
ネタばれするので詳しく書かないけど。

・・・・・・

『警視庁草紙』を読み終わってしまい、次の本を持ってなかったのでiPodをカバンの底から取り出す。
矢野顕子『愛がなくちゃね。』の中の、名作「悲しくてやりきれない」のアレンジに改めて感動。
原曲はもちろんサトウハチロー作詞加藤和彦作曲、フォーク・クルセダーズ。
編曲坂本龍一&矢野顕子、途中ソロをとるギターは、クレジット上は曖昧だが、おそらく大村憲司だろう。この口数の少ないギターが泣けまくり。凄い。
奥田民生のもいいけど、数ある「悲しくてやりきれない」カヴァー史上、最高傑作はやっぱりこの矢野顕子だなぁ。
無論、矢野顕子の天才の所以だが、少なからず、大村憲司の功績でもある。

Petty Bookaの『ラジオの恋人』も久しぶりに聴いた。
ああペティ・ブーカ。どうして脱退してしまったのアサノさん。
アサノとブカちゃんのペティ・ブーカがもう一回聴きたいよー!
森山直太朗の姉じゃなくて(森山姉がアサノの代わりに入った「新生」ペティ・ブーカなど、わしは認めん!)
「Late Night Radio」「Mercedes Benz」「Material Girl」等々々、名曲揃い。バックのミュージシャンたちも絶品! Bravo!
なんか、また楽器弾きたくなってきた。


  1. 2008/04/13(日) 23:34:40|
  2. 音楽
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寝込んでます。読んでます。

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あの頭痛の翌々日あたりから、今度は喉の痛みに苦しんでおります。
頭痛で吐いたりしたので胃酸で喉を焼いてしまったようなのですが、どうもそこからウィルスがとりついて風邪に進行した模様。
寝込んでおります。
おととい、昨日は外の撮影仕事にだけ出て内勤は勘弁してもらい、今日は朝からずっと寝倒し。明日も休みをもらいました。

一日4時間半~5時間の睡眠というペースに長年慣れていたのですが(二十代からずっとそう。その代わり眠りは深い)、さすがに40歳を越えて、眠りの深さでは睡眠時間の短さをカバーできなくなってきたのでしょうか。
最近の体調の悪化はそのせいだ、とまごさんに怒られたところでした。
ブログやmixi等のコメント書き込みの時刻で、僕が何時まで起きてるかバレバレですもんね。

まぁ、体調悪化は良いことではないですが、せっかく寝込んでるわけですし、こういうときは寝床での読書を堪能しましょう。
実際しんどいのでずっと読んではいられないのですが、眠ったり読んだり眠ったり読んだり、それでもかなり読みました。


■山田風太郎『地の果ての獄』(文藝春秋)

1980年放送の大河ドラマ『獅子の時代』は、僕が中学1年のときに放送されたもので、最初から全編見たわけではないのだが途中から夢中になった記憶がある。脚本が山田太一、主演は菅原文太。
その菅原文太演じる主人公が送られるのが北海道の樺戸集治監だった。

その樺戸集治監を舞台に、そこの若き看守を主人公に描かれる、囚人たちや教誡師、医師、獄吏たちを巡る連作集である。

忍法帖の山田風太郎とは別人かと思われるほどの作風の違いだが、最後の最後のどんでん返しで「ああ、山田風太郎だ!」と呻かざるをえない大技が出る。
賛否両論あるかもしれない。
このラストを描くのは山田風太郎にしか許されないだろう。

次に読んだ『幻燈辻馬車』の設定もそうだが、「こんな大技、山田風太郎じゃないと許せない!」と思わせて、ちゃんと納得させるだけのものを彼は積んできているわけである。
もしかして彼が忍法帖を書きまくってきたのは、「明治もの」でこの大技を使うための蓄積だったのではないか、とまで思ってしまう。彼の積み上げてきた作風の上に立ってしか使えない禁じ手。

賛否両論あるかもしれない、と書いたが、もちろん僕は「賛」。


■山田風太郎『幻燈辻馬車』(上下・ちくま文庫)

娘の名前が「お雛」というだけで、もう感情移入しまくり(笑)。
で、主要登場人物のうち二人までが「幽霊」である。お雛が呼ぶと父の幽霊が、そしてその父の幽霊が呼ぶと、祖母の幽霊が出る。山田風太郎曰く「二段じかけの幽霊」。
こう書くと、なんだか荒唐無稽な安い小説のように思われそうだが心配は無用。

詳しくは書かない。
傑作、と呼んでいいのではないか。
ラストシーンの美しさは比類がない。全世界の小説でラストシーンの美しさを競うコンペがあったとしたら、三指に入るかもしれない。
遠からず、もう一回読むと思う。
こんな傑作を品切れにしておいていいのか筑摩書房。

さぁみなさんも、ネットで古書検索かけて、ぜひ入手されたし。



  1. 2008/04/06(日) 22:31:56|
  2. 読書狂
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頭痛記

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以前にも書いたことがあるかもしれないけど、僕は頭痛持ちです。
軽い頭痛はしょっちゅうですが、たまに、まぁごくたまになのですが、信じられないくらい強烈なのが襲ってきたりします。

こんなのは一年に一回くらいなんですけど、今日は久々、この超弩級のがやってきました。
朝から西宮市内の会社の入社式の撮影に行って、午後からいつもの大阪・某公共系会館でさらに二つの入社記念の集合写真。
午前中の撮影は無事終わったんですが、午後の一つ目からがもう地獄。
いきなりでした。

強烈なのが突然襲ってきて、しかもこんな日に限っていつもと違う鞄を持っていて、頭痛薬が入ってない。
あまりの痛さに、ひな壇に人を並べながらも目からは涙がポロポロ。お客さんに「写真屋さん、どうしたん?」と心配される始末。
「花粉症です」と嘘をつき、さて撮影しようとするけど、痛すぎるのと、涙がでるのとでピントが見えない。

集合写真は解像力の問題で、まだ6×9のアナログカメラを使ってたりするんですが、二重像でのピント合わせが出来ないくらい涙が出るので、6×9は諦め、デジカメのAFに頼ることに。

慌ててるのと、頭痛で注意力が散漫になってるのとでIR(赤外線でのストロボ・シンクロ装置)の電池が消耗しているのにも気づかず、1ショット目はストロボ不発。
「あ、ごめんなさい」と謝りながら、シンクロコードをジェネレーターから引っ張ってきてカメラに繋ぐ。
しかしまた不発。
意識が朦朧として、別のジェネレーターにシンクロコードを差してた。
正しい場所にコードを差しなおして、3ショット目からようやくストロボがシンクロ。

お客さん「おおい、ちゃんと撮れてるんやろうなぁ」
僕「はい、大丈夫です」(多分・・・)

撮影が終わってから、たまらず作業室に駆け込んで床に寝転がる。床が冷たくて、頭痛倍加。「うお~」とか唸り声まで発してしまう。
とにかく頭痛薬だ。
買いに行かなければ。
しかし、大阪・本町周辺ってビジネスビルばっかりで薬局なんて周囲に見あたらない。
自分の一歩一歩が頭に響くのをこらえながら、心斎橋まで歩く。目からは涙ボロボロ。頬を通り越して下に落下しそうな勢い。痛い、痛すぎる!

薬局に飛び込み、頭痛薬をくれと店員のお姉さんに言うと、大の男が涙流しながら苦痛に顔をゆがめている姿にビックリしたようで
「ど、どうなさったんですか!?」
「いや、ただの頭痛です。EVE下さい」
「EVEクイックっていう即効性のものがありますけど、それにします?」
「普通のでいいです」
普通のでいいです、と答えた時点でもうすでに錯乱状態です。即効性のを買うべきだろ、カマウチ。こんな激痛なんだから。

すぐに自販機で水を買って規定量の二個を飲むが、しばらくしても一向に収まらないので、追加でさらに二つ飲む。
よい子のみなさんは真似しちゃ駄目よ。薬は用法用量を正しく守ってお飲み下さい。

10分後、頭痛はほとんど治まらないのに、空腹で倍量の頭痛薬を飲んだのが悪かったのでしょう、いきなり道端で嘔吐。頭クラクラ、口の中は胃酸の味。もう最悪。

次の撮影まで2時間あったので、スタジオに帰り着いてから背なし椅子を何個か組み合わせてベッドを作り、上着を着込んで、とにかく寝る。頭痛で眠れもしないが、そこを何とか、自分をねじ伏せるように寝る。
目覚ましもないのに・・・次の撮影の30分前には起きないと・・・携帯電話のアラームを使おう・・・携帯どこだ・・・アラームってどうすんだっけ・・・痛い・・・寝なきゃ・・・いやその前にアラーム・・・もういいか・・・。

薬の飲み過ぎで朦朧としたのを利用して、なんとか睡眠に入ることに成功。
奇跡的に撮影の30分前にちゃんと目が覚め、頭痛は完璧に引きませんでしたが、なんとか撮影は終えることが出来ました。

さらに一時間寝たら、なんとか痛みは去り、今こうして日記も書けているわけですが。
ああ、きつかった・・・

  1. 2008/04/02(水) 00:32:06|
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