OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

池澤夏樹など

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池澤夏樹『タマリンドの木』(文藝春秋)再読。
「恋愛小説」ってあまり、というか、あえて選んでは読まないけれど、この小説は恋愛小説として、すごく好きな話。
・・・だと思っていたが、久々に読んだら、なんか緩いハッピーエンドが、そりゃハッピーエンドがいけないわけじゃないけど、いいのかな、と思った(笑)。
初めて読んだとき、はじめて主人公と修子がセックスする場面の描写の美しさに感動したけれど、何回か読むうちに、当然新鮮さは薄れる。
何度も再読に耐える本、というのはあっても、やっぱり最初の一回目じゃないと味わえない部分ってあるもんなぁ。

大昔に読んだ村上春樹『ノルウェイの森』は、夢中で二晩で読んで、三日後にはあら筋すら忘れたという(笑)名作なんだかカスなんだかよくわからない本だったが(結論として名作でもありカスでもある)、あの本でも語り手の男というのは語られる女性のようには魅力がない。
人間の面白みとして男女間に著しい不均衡があるのは一方を持ち上げるために仕方ないのかもしれないが、『タマリンドの木』でも伝わってくるのは修子の魅力だけであって、修子が語り手の男に惚れる過程にリアリティがない。趣味で風力発電をやってる男、というだけじゃねぇ(後で繋がるとはいえ、伏線として上手なわけでもない)。
魅力ある男と魅力ある女のがっぷり四つ、打々発止の恋愛小説ってないのかな。

と、ケナすようなことを書き連ねつつ、やっぱり好きですけどね。『タマリンドの木』。
好悪と理屈はしばしば無関係だったりする。

続けて池澤夏樹新刊のエッセイ集『セーヌの川辺』(集英社)読む。
あ、そういえば小説『静かな大地』(朝日新聞社)買ったのに読まずに数年放置してある。沖縄からフランスに引っ越してしまって多少親近感が薄れたか(笑)、最近は出れば必ず買って読む、ということはなくなった。
次は『静かな大地』読んでみようか。
あ、でも中島らもの奥さんの本も読まなくちゃ。忙しいなもう。


  1. 2008/11/30(日) 06:58:41|
  2. 読書狂
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嘘の功名とf5.6の呪縛

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今の職場(営業写真館)に勤めて15年になる。来たときは26歳だった。
本当はカメラを持つようになって1年ちょっとしか経ってなかったのだが、面接で「3年やってます」とささやかな嘘をついた。

面接に来ていくスーツすら持っていなかったので弟に借りて着た。冬だったのでそのままじゃ寒いから、スーツの上からいつも着ていたアメリカ軍の中古のコートを着て行った。
面接に出てきた専務(現社長)はまずその軍用コートを見てびっくりしたそうだ。そりゃびっくりするか。
何か撮ったものをもって来いということだったので、日記代わりに撮っていた、それこそ道ばたの空き缶とか猫とかを写した白黒写真をスケッチブックに貼って持って行った。

まぁ、運というか気分というか、専務はたまたまそのスケッチブックの写真を妙に気に入ってくれて、しかも「軍用コートを着て面接に来たやつは初めてだ」と面白がってくれたらしく、無事採用された(いい時代だなぁ)。
そのときもし専務の機嫌が悪くて即座に追い返されていたら、今僕は何の仕事をしているだろう。

次の月から来るようにと言われたが、そのとき仕事もなく、少しでも早く収入が欲しかったので、早く働かせてくれと訴えたら、じゃあ来週から来いということになった。
採用が決まってしまえば、「写真歴3年」というみみっちい嘘が気になって、出勤までの1週間、テスト前日に徹夜で勉強する学生のように『写真入門』のような本を読み倒した。
面接のときに見学したスタジオでマミヤの中判カメラが使われているのを見たが、それまでブローニー・フィルムというものの存在すら知らなかった。
働き出してみたら、ブローニーどころか4×5を使う仕事まであった。とにかく素人だと思われるのが嫌で、最初の一年は写真の技術書を片っ端から読んだ。
僕は写真の学校は出ていないけれど、今持っている知識の大半は最初の1年目に自分で本から得たものだ。とにかく勉強した。
ささやかな嘘が怪我の功名になったようだ。

2月に入社したので、すぐに中学や高校の卒業式の撮影に駆り出された。
新しく入った僕に、今は亡き先代社長(当時七十台半ば)が心得を説いた。
「プロの写真はね、とにかくきっちり写すこと。絞りは開放なんか使っちゃ駄目だよ。f5.6までは絞ること。手ブレも注意して、脇をしっかり固めて・・・」

この先代社長の「心得」に、僕はその先2年間、呪縛されることになる。
「f5.6まで絞らないと駄目。開放の写真なんかプロの画質じゃない。」

社長がそう言うのだから、そういうものだと信じ込んでしまった。で、僕は律儀に「f5.6以上絞る」ということを実践するようになる。
どうしても光量が足りないときはストロボを併用する。
f2、1/60秒で撮れる条件でf5.6に絞るとシャッター速度は1/8秒になる。さすがに1/8では撮れないから1/30秒にしてストロボを焚く。すると背景は2段落ちる。
「せめてf4、1/30にして1段落ちくらいに抑えたい・・・・1絞りくらいいいか。バレないか」
なんて思いながら、こそっとf4を使ったりする。でも絶対に開放値では撮らない。
「絞りは開放なんか使っちゃ駄目だよ」と社長の言葉が耳から離れないのである。

実に2年間、この教えを守り通したんだから馬鹿である。
社長は、まぁ、古い時代の、レンズの開放近くの絞りが実用にならなかった時代の「心得」を、そのまま僕に口走ったようだ。
今時のレンズで「開放近くは使えない」なんてものがあるはずがない。

しかし、この誤った思いこみのおかげでストロボの使い方は上手くなった。バウンスする方向一つの工夫で自然光のように撮れる技術が身についた。
市販の技術書に書いてある「天井へ向けて45度の角度で・・・」なんてのは嘘っぱちである。ストロボのバウンスは角度の工夫次第でちゃんと光に方向性を持たせることもできるし、後ろの光量落ちを目立たなくすることも出来る。

こういう「工夫」も、「f5.6の呪縛」がなければしなかったかもしれない。
先代社長が僕にストロボの極意を教えようと思ってわざと誤った発言をしたのだ・・・・・とは、とうてい思えない(笑)。
ま、これも怪我の功名なんだろうか。

ある日先輩カメラマンが絞り開放でストロボなしの室内写真を撮っているのを見て、思わず「開放値なんて使っていいんですか?」と聞いたら、「暗かったら絞り開けるのくらい当たり前だろ」とびっくりされた。
「だって社長が5.6まで絞らないと写真じゃないって」
「なわけないやん」
「じゃあ開放で撮ってもいいんですか?」
「撮っていけない理由がわからん」
「・・・・・」
そういえば僕にもわからん(苦笑)。

開放絞りで室内の写真をストロボなしで撮るようになってから、心の底からさけびましたね。ええ。
「写真って、なんて自由なんだーっ!」

ていうか、どんだけ不自由なアタマしてたんだろ俺。


  1. 2008/11/26(水) 00:27:28|
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F4のすすめ

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前にも書いたけど、ニコンF4って、いいカメラですよ。
http://kamanekoblog.blog58.fc2.com/blog-entry-51.html

こんな良いカメラが下手すりゃ3万円切っています。FM3AやFM2よりはるかに安く手に入る。

重い、グリップが太くて握りにくい、AFが遅い、という欠点がありますが、重いのと握りにくいのはあえて欠点を愛でる心意気で。AFがヘナチョコな件に関しては最初からMF専用レンズを付けてしまえばいいのだという逆手の発想で乗り切りましょう。

ちょっと重いけど、モータードライブ付きMFカメラと考えれば、F3より測光方式が素直だし、こんな使いやすいカメラはないです。
これも前に書いたけど、ファインダースクリーンが絶品。視度補正もついてるから、もう最強のマニュアルフォーカス・カメラだと思います。

家にある大量の期限切れアクロスを消費すべく、F4にMFの50/1.2を付けて持ち歩いてます。重いと言ってもブロニカよりはるかにまし。

ISO100で開放F1.2ということは、ISO400でF2.4の開放値のレンズを使ってるのと露出的には同じなので、なんとか夜の撮影にも使えます。
日中の晴れ間も1/8000秒を駆使して開放撮影可能。
ライカを使っていた頃は「昼間は人間の目も絞りを絞る。昼の写真は被写界深度が深くなって当たり前。ていうか絞って撮るべきだろ」なんて思っていたのですが、そんな偏狭な考えは捨てて、昼間の絞り開放写真も面白いやん、と単純に楽しんでいます。

ニコンF4には巻き上げモードに「Cs」というのがあって、超スロー連続巻き上げなんですが、なんでこんなものが付いてるのかというと、ニコンのせいいっぱいの消音策なんですね。
シャッター音は軽減出来ないので、フィルム巻き上げを超低速にして消音しようという作戦。だったら巻き上げレバー付けた方が良かったんじゃない?(笑)という批判はさておき、このタル~い巻き上げ音が好きで、あえていつもこのモードにしています。
「カシャ(シャッター音)チリチリチリチリ(巻き上げ音)。カシャ、チリチリチリチリ」
なんか牧歌的。

ニコンF4に中古の50mmF1.2(MF)を組んで、多分5万円台で買えてしまう。F4にはすべてのタイプのニッコールレンズが使えるので、かなり古いタイプのレンズでも大丈夫です。
コシナ・ツァイスの名レンズ群を使いたい人にもいいかもしれません。重さだけ我慢できるならば。

そういう「めちゃくちゃ明るいレンズ」とか、「ボケがなだらかすぎてピントの山が見にくいレンズ」とか、そういうのを付けて、ファインダースクリーン上でボケた世界からキリキリとピントの芯が立ち上がってくる快感を味わっていただきたい。
あなたもチームF4に入りませんか(笑

あ、おせっかいをいうならば、バッテリーを増強したF4SとかF4Eじゃなくて、普通の「F4」がお薦めです。F4Sはバッテリー交換がものすごく面倒。
ま、ただでさえ重いF4に、バッテリー増量する意味はないでしょ。
単三電池使用なのでコンビニですぐ買えます。


  1. 2008/11/24(月) 23:00:55|
  2. カメラ
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我が手のすじ

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小久保彰『アメリカの現代写真』(筑摩書房)読む。
幅広く俯瞰しているので興味のある時代に関してはもっと詳しい情報がほしくなるけど、まぁそれは仕方のないところ。お勉強本として、とても読みやすい。

ところでこの本の中で、ロバート・フランクの写真集『Lines of my hand』を『我が手のすじ』と訳している。
普通はLinesを手のスジではなく「詩」と訳す(『私の手の詩』)のが一般的だが、よくよく考えてみたら小久保訳のように「すじ」の意味だろう。もしくは「すじ」と「詩」両方の意味を持たせてあるのかな。

しかし『我が手のすじ』(笑)
写真集のタイトルとしてカッコ悪いことこの上ない。無理矢理に(?)Linesを「詩」と訳した人の気持ちがよくわかる。

line
a (文字の)行. b 一筆,短信. c (詩の) 1 行. d [複数形で] 短詩.
-新英和中辞典 第6版 (研究社)


邑元舎版の『Lines of my hand』には『私の手の詩』というタイトルが付いているから、訳したのは邑元舎の元村和彦氏か。
(『Lines of my hand』にはいくつかのバージョンがあり、最初に作られたのは邑元舎のもので、欧米で流通している『Lines of my hand』は邑元舎版とは編集も全く異なる。ちなみに邑元舎版『Lines of my hand』は大阪・千里の彩都メディア図書館で閲覧可能です。すごい写真集ですよ!)


・・・・

ところで来年、ロバート・フランクの大回顧展がワシントンDCからスタート、という情報が。
日本にも来るかなぁ。


  1. 2008/11/21(金) 07:05:25|
  2. 読書狂
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『球体写真二元論 細江英公の世界』

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尼崎総合文化センターで開催中の『球体写真二元論 細江英公の世界』を観に行く。

『鎌鼬』等、土方巽を撮ったシリーズは大好きで、彩都メディア図書館に出かけるたびに見ていたけれど、それ以外は正直あまり気になる写真家というわけではなかった。

が、有名な『薔薇刑』(三島由紀夫を撮った)も、写真集として見たときにはそれほど惹かれなかったのに、オリジナルプリントで見れば圧巻。
撮られた1960年代はまだオリジナルプリントというものが重要視されなかった時代なのだろう、プリント自体の美しさを極めようと製作されたものではなさそうな、あくまで印刷原稿然とした、わりとフラットなプリントが展示されているのだけれど、それでも写真集の装幀・編集に惑わされずに一点一点を見れば、派手さのない階調の中からも、妖気漂うというか、ものすごく黒っぽい存在感がみしみしとこっちに迫ってくる。
(これを今、プリントとして見せるために手を尽くして再プリントしたらどうなるんだろうか。もうネガがヘタってて駄目かなぁ。)

逆に『鎌鼬』は土方巽の身体の脈動感があの大判の写真集のページ割りにうまく生かされている気がして、今回の額装で一点づつ見るよりも写真集で見た方がいいかな、と思えた。
が、大好きな写真には変わりないので、こちらも感動。

以降、最近の作品は題材的には特に好きなわけじゃないけれど、ソラリゼーションを用いたヌードのシリーズ(『ルナ・ロッサ』)など、プリントの工芸品的美しさに圧倒される。
写真をアートとして後の世に残すための品質、ということについて考えさせられた。写真ってそういう部分だけじゃない、とは思うものの、「そういう部分」を考えなくてもいいとは思えない。
自分の写真もちゃんとした形で残したい。死んでも残せるものを作りたい。と、切実に思った(あ、細江英公氏まだご存命ですので念のため 笑)。

以前このブログで、自分でモノクロ写真を撮る理由について悩んでいたけれど、こういう写真展を観た後は、一時的にそういう悩みから解放される。
「だってモノクロって凄いもん」
そう言えてしまうんよねー。

質・量とも満足の展示でした。あれで800円は安い。

・・・・・

まごさんおすすめの尼崎・寺町のたこ焼きを食べ、あませんデパートで鯛焼きと豚まんを買い、尼崎満喫コースで自転車散歩。
ちょっと寒かったけど。

・・・・・・

最近ちょっとくじけかけていた写真への情熱に、少し火がつきました。
とりあえず夜、久々に現像。




  1. 2008/11/20(木) 00:37:14|
  2. 写真
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雑談

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あ、最近写真の話題がない写真ブログの主ですこんにちは。
ブログの標題を「OK,Darling, But What is Reading? 」に変えるべきでしょうか。
撮っていないわけではありません。仕事が忙しくて現像する暇がないだけです。
こないだ撮らせてもらったBさん、まだ現像もしてないわ(笑)すんません。

毎年この繁忙期になると、当然毎日夜遅くまで残業なんですが、帰って寝るだけというのは悔しいので、いつも以上に「余計なこと」がしたくなるのです。
最近ムキになって本読んでるのはそういうことです。
本なんか読まなくても死にはせんのですが。あ、嘘、死ぬかもしれません。

でも本屋に行く暇がないのでセブン&ワイとか古書店のネットとかから本を仕入れます。
セブン&ワイって、ほんと便利ですよね。送料かからない上に、本屋で取り寄せしてもらうよりもずいぶん早い。しかも綺麗な本が来ます。
セブンイレブンさえ近所にあればこんな便利なのって他にないです。なぜローソンやファミリーマートが真似しないんでしょう。

あ、勘違いしないでいただきたいのですが、僕はセブン&ワイがあれば本屋なんていらない、なんて論の主ではありません。
本屋大好きな人間です。ジュンク堂大阪本店に住みたいくらいです。朝目が覚めたらジュンク堂だった、なんてことになったら幸せでチビりそうです。
忙しいので仕方なくセブン&ワイに頼っているのです。

しかしセブン&ワイやネット古書店って、注文するのはたいてい夜中ですから、ちょっとハイになってることが多く、つい勢いで注文画面をクリックしがちなのです。しかも、財布の中の残高をいちいち見なくても購入を決められるわけで、それが甚だ困るわけです、あとから。
本屋だったら、今月苦しいから来月まで我慢しよう、とか、そういうブレーキがかかりますからね、普通。
セブンイレブンのレジではお金払わなくちゃいけないわけです。当たり前ですが。

CDまで買えてしまうのも問題ですね。
買ってしまいましたよ、高橋悠治の新しいゴルトベルク。
わ、わからないっす、あのCD。旧盤は、あのグールドより5年も早くこんな演奏を! と感動しましたが、2004年録音のこれ、正直何がいいんだかまったくわかりません。
グールドの演奏を敵視していることだけはライナノーツの文言から伝わって来ますが、あのミスタッチ寸前? にさえ思える、わざと流れを断ち切るようなゴツゴツとした音の置き方、あれは何なんでしょう? 僕にもう少し知識があれば、あれが何らかのアンチテーゼになっているのだと理解できるんでしょうか。
まぁ、まだ2回しか聴いてないので、何とも言えませんが・・・3回目、聴くかなぁ(不安)。
どなたか、解釈のヒントをください。

と、寄り道してしまった。

早い話が、セブン&ワイやネット古書店にお金を使いすぎて、財政が苦しい、という泣き言です、ただの。
月初めに印画紙も買っちゃったしなぁ。
辛気くさい話を書くなって? 申し訳ございません。

というわけで、フィルム代をケチるため、家にある期限切れのアクロス(大量にある)を使おうという計画。
普段僕はISO400しか使わないので、脳内露出計は常にISO400にセットされているのです。だからISO100のアクロスは使いづらい。脳内露出計から2段補正しなくちゃいけないので。
で、最近は露出計のついたカメラ(ニコンF4)で、絞り優先オートで撮ってます。
絞り優先オートって、なんか初心者の頃に戻ったみたいで新鮮(笑

レンズはニッコール50/1.2だから、ISO100でも夜の写真が、撮れなくもない。
偉大なレンズです、ニッコール50/1.2。

と、無理矢理写真の話題に着地させてみました。
今後とも「OK, Darling, But What is Photograph?」をよろしくお願いいたします w




  1. 2008/11/13(木) 22:22:39|
  2. 日々
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井上先生

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以前にも何かの折に書いたけれど、僕は大学を2年で中退している。
正確にはとりあえず休学にして正式に学籍を抜いたのはその2年後なのだが、まぁ実質2年。
勝手に入って勝手にやめた大学の悪口を書くのも品の良い話ではないから理由はくだくだ書かないが、とにかく「合わなかった」。
だからほとんど講義には出なかったし、学校に行っても大学図書館にこもっているか、学生食堂で煙草を吸っているか。

そんな短い僕の大学生活だったが、唯一「社会思想」という講義だけは無欠席で通った。
講師は井上和雄先生という、僕の通っていた某O大の教員ではなく、神戸商船大学の経済学教授だった方だが、なぜか週1回、O大で社会思想の講義を持っていた。
経済学の教授がなぜ社会思想の講義なのかも面白いが、アダム・スミスに関する著作があるので、そのあたりのオーバーラップする分野が本来の専門のようだった。

この井上先生の講義は面白かった。古代ギリシアから始まってソクラテスからアダム・スミスまで、社会思想通史のような内容なのだけれど、雑談半分みたいな感じの、その雑談部分が、こんなことを言うと失礼かも知れないが「性(しょう)にあった」のだ。
別に百人が押し寄せる人気講義というわけでもなく、受講者も十数人で、僕のように「毎週楽しみにしている」という風な人も他には見受けられない気がしたけれど、少なくとも僕にはめっぽう面白かった。
講義の内容ももちろん、雑談部分の語り口とか、人柄的な部分に惹かれて毎週楽しみに通った。

井上先生は上記アダム・スミスに関する著作や、後年ヘーゲルに関する本も書いておられるようだが、実はそういう専門分野の外でけっこう有名な人なのだ。
ブタペスト・カルテットをもじったブタコレラ・カルテットというアマチュアの弦楽四重奏団で演奏活動を長くやっておられて、『モーツァルト心の軌跡』(音楽之友社)という著作でサントリー学芸賞を受賞している。
その後『ベートーヴェン闘いの軌跡』『ハイドンロマンの軌跡』と三部作になる「弦楽四重奏が語るその生涯」シリーズの、ちょうど二冊目のベートーヴェン篇が出るか出ないかあたりの時期に講義を受けていたので、社会思想史の講義の合間に出てくるモーツァルトやベートーヴェン関連の話が興味深かった。ちょうどクラシックをよく聴いていたころでもあったし。

テスト替わりの小論文で、テーマが「プラトン『ソクラテスの弁明』を読んで、ソクラテスはアテネ市民に何を訴えたかったのかを考えなさい」というものだったので、その頃よく読んでいたシモーヌ・ヴェイユだとか田川建三だとかを引き合いに出して、かなり真剣に文章を書いて提出したら、講義で名指しで激賞してくださった。
どこかにその時の文章をしまってないかと探したが、まぎれてしまってわからない。
何書いたんだっけか。出てこないかなぁ。

結局翌年もその同じ講義に出続けた。2年目の最初の講義で、しゃあしゃあと前列に座っている僕を見て、
「あれ? 鎌内君、去年単位あげたでしょ」
「はい。聴いちゃいけませんか?」
「別にいいけど、これに出たからってもう単位はあげられないよ」
「わかってますよ。邪魔しないように聴いてます」
「まぁご自由に(笑)」

・・・・・・

結局、その年を最後に学校をやめたので先生ともそれっきりだったが、数年後、大阪いずみホールでアルバン・ベルクだったか、弦楽四重奏団の来日公演を聴きに行ったとき、ロビーでばったり先生と再会した。
大学をやめたと告げると、先生は大笑いをして
「大学の教師をやってる僕が言うのも何だけど、大学の教員と自動車教習所の教官にはロクな人間がいないんだ。あんなとこから何も学ばなくていいよ。ははは、やめたのか。まぁいいんじゃないかな。勉強くらいどこでもできるし」

以来、年賀状のやりとりしかないけれど、お元気だろうか。あれから20年たつので先生も七十近いはず。

たまたま『ロンドン音楽紀行 』(神戸新聞総合出版センター)という井上先生の著作(10年以上前の本だけど)を最近見つけて買ったので、なつかしく当時のことを思い出したのでした。


  1. 2008/11/10(月) 07:15:40|
  2. 読書狂
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野呂邦暢・近藤ようこ・坂口安吾 [追記あり]

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結局捜索はあきらめ、野呂邦暢『落城記』をネットで古書店に注文した。
それが届く間の無聊を同じ著者の『愛についてのデッサン』(みすず書房)でごまかす。
現在も新刊で入手可能な野呂邦暢の小説はこの『愛についてのデッサン』だけなのだが(講談社文芸文庫の『草のつるぎ/一滴の夏』もどうやら在庫切れ・重版未定)、この本、どう考えても野呂邦暢の小説の中で出来の良い部類だとは考えにくい。
古書店を継いだ若い店主と、古書がらみで関わり合う様々な人々との間で起きる小事件を綴った連作集。
そりゃぁ野呂邦暢のことだから、それなりには面白いんだけど、『諫早菖蒲日記』や『草のつるぎ』を差し置いて復刊されるほどのものかというと、ちょっと疑問。
みすず書房「大人の本棚」シリーズ、2600円!
その値段なら『諫早菖蒲日記』を出して欲しい。
野呂邦暢といえば『諫早菖蒲日記』。ああ『諫早菖蒲日記』。
わかってくれそうな人に読ませたい!
興味ある人、図書館で借りて読んでください。

・・・・・・

近藤ようこが坂口安吾の『夜長姫と耳男』を漫画化した(小学館刊)。
坂口安吾の中でもこの『夜長姫と耳男』や『桜の森の満開の下』は一番好きなもの。それを近藤ようこが描く。期待せずにおれましょうか。
半年も前に出ていたのに、最近書店の漫画コーナーに足を運ばないもんだから、まったく刊行を知らなかった。半年間損した気分。

読んでみたら、坂口安吾の原作に限りなく忠実。
説教節の小栗判官の語り口調を実に見事に漫画に翻訳した近藤ようこだけに(『説教 小栗判官』現在はちくま文庫)、この「忠実に翻訳」作戦は大成功だと思う。
うーん、ぞくぞくするくらい好き!
聞けば『桜の森の満開の下』も執筆中とか。嬉しいなぁ。

久々に原作の坂口安吾のも読んでみる。
やっぱり傑作。
安吾版で読んでも近藤版で読んでも、最後の夜長姫のセリフはたまらんね。
岩波文庫『桜の森の満開の下・白痴  他十二篇』で読めます。読んだことない方はぜひ。

・・・・・・

という間に野呂邦暢『落城記』到着。
二十年ぶりに読む。
まだ読み始めたところだけど、最初の数頁読んだだけで素晴らしい小説だとわかる。
これから数日間の通勤時間が楽しみ!

・・・・・・

[追記] 081109 0:10

数日間の通勤時間が楽しみ・・・どころか、二日で読んでしもうた。
な、泣いた。
泣かずに読めん。
終盤に差し掛かったら、もう胸がズキズキ。
心臓が震える。
タイトル見たらわかるとおり、もう犯人のわかった推理小説みたいなもので、どうあがいても落城してしまうのである。敵の大群が上陸した知らせを受けてからの三日で城は落ちる。そのたった三日の籠城の中の、人のさまざまを、もう見事に描き切るのである。野呂邦暢、ブラボーなのである。

白血病で倒れた彼女を抱いて人混みの真ん中で「助けてください」とか叫んでるド阿呆な小説を読んでる場合じゃないのである若者たちよ。
みんな、『落城記』を読みなさい。
ていうか、文藝春秋、復刊しなさいってば!





  1. 2008/11/07(金) 06:48:48|
  2. 読書狂
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またか!

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今朝、久々に「シャレにならない頭痛」に見舞われる。
この激烈頭痛、前回は4月1日、その前は去年の7月だった。自分のブログを「頭痛」で検索したらわかった。ブログって便利だな。

朝4時、とんでもない頭痛に目が覚める。のたうつ痛さ。我慢しても呻き声が止められない。横にヒナコが寝ているので起こしちゃいけないと台所へ。
EVEを定量飲んでしばらく耐えるが一向に効かないので、朦朧とした意識の中、前回の4月の頭痛と同じ愚をやってしまう。さらに2錠、追加で飲んだのだ。
しばらくして襲ってくる吐き気。酒も飲んでないのにトイレでゲェゲェ。酒のゲロも辛いが、頭痛のゲロも辛いもんだよ。

痛さで眠れないのを、ねじ伏せるように、ソファに体を押し込んで寝る。
1時間半ほどなんとか眠れた。吐ききらずに胃中に頑張って残ったEVEのカケラの奮闘で、頭痛は治まっていた。
ああ、もうこりごりだ、こんな頭痛。本格的に医者に診てもらうべきだな。


08年4月の頭痛


07年7月の頭痛



・・・・・・

『ユリイカ』杉浦日向子特集、読了。
面白い論評もつまらない論評ももちろんあるわけだが、いずれにせよ、オリジナルを読み返したくなるのが当たり前。

『合葬』。若書きとはいえ、すでに傑作。もうたまらない。
そして超名作『百日紅』。一気に読むのがもったいなくて、一日2~3話づつ読み返そうと決めた。お栄、大好き! 善ちゃんも愛してる。


・・・・・・

泰葉、切腹のあとに必要なのは「介抱」じゃなくて「介錯」な。念のため。




  1. 2008/11/02(日) 00:14:23|
  2. 日々
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