OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

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楼蘭

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海音寺潮五郎『蒙古来る』読了。彼の『王朝』や『二本の銀杏』『平将門』あたりの品格と完成度を期待して読んだら肩透かしを食う。なんてーのか、純粋に海洋冒険娯楽小説である。それ以上でも以下でもなく、そういう意味ならばちゃんと面白かった・・・いや、回りくどい言い方はよそう。海音寺潮五郎の作品としては、正直いまいちの部類に属する。

二度の元寇は、学んだ歴史では、二度とも暴風雨のせいで蒙古軍が自滅して日本はことなきを得た、ということになっているのだが、最近の歴史学の世界では、最初の侵攻(文永の役)で蒙古が撤退したのは暴風雨のせいではなく、元々が単なる威力偵察だったのだという説が有力視されているのだとか。暴風雨で撤退したのではなく、最初から深く侵攻する気がなかった、ということ。
しかし、もしそうだとしたら、先に読んだ井上靖『風濤』の第一部の終わりの、あの劇的なシーンがちょっと困ったことになるなぁ。

『風濤』が面白かったので、昔好きで良く読んだ井上靖の代表作を引っ張り出す。中学生くらいで買ってるので、もう紙も変色が入っている新潮文庫、『楼蘭』『敦煌』『天平の甍』など。
中学生の頃、ちょうどNHKの『シルクロード』が放送されていて、たしかに面白い番組だったからよく視ていて、その興味の続きで井上靖の西域ものを読むようになったのだと思う。ちょっと気恥ずかしいが、司馬遼太郎『竜馬がゆく』なんかも中学時代にハマっているから(お約束だね)、「歴史小説」という括りでいろいろ読み散らしていたようだ。
NHK特集の「高尚な」雰囲気、触れたての歴史小説の世界、そんなこんなで中学生の僕のちょっと背伸び気味の井上靖読みがはじまったのだが、もう少し長じて「NHKだから偉いってわけじゃないんだな。なーんだ」くらいの見識が身に付いた頃には、そのあおりをくって井上靖も「ちょっと無理して読んでた教養小説」というレッテルを貼られて段ボールの底に沈む憂き目にあった。

しかしその頃に読んだ本というのは、いくらその当時「背伸び」していて十全に理解していなかったとしても、ちゃんと脳底に浸透して覚えているものだ。『敦煌』や『楼蘭』はうろ覚えの記憶を継ぎ合わせて考えてみて、たぶん今読んでも名作であると思える。
こないだの引っ越しで久々に書棚の表面に救出されたので、ためしに『楼蘭』を探し出して読んでみる。漢と匈奴の間で翻弄され続けた楼蘭という小国の数百年の歴史を、その「国」自体を主人公にして語るという、斬新な小説である。やはり今読んでも面白い。かっこいい。

『淀どの日記』や『後白河院』など、彼の名作と言われるのに、未読のものがまだまだある。ちょっとづつ読んでみようかな。



[思い出したこと・追記]

1988年に『敦煌』が映画化され、楽しみに映画館へ足を運んだが、あまりの酷い出来に映画館の椅子を蹴飛ばして出てきた記憶がある。西田敏行、佐藤浩市という立派なキャストを使いながらあれはないだろう。
大体、主人公・趙行徳が、科挙の試験を居眠りで失敗し、茫然自失で町に出たところ、囚われの西夏女に出会う・・・という、あの美しい出だしが、あの映画では台無し。いきなり佐藤浩市が「対西夏対策について思うところを述べよ、なんて言われてもさぁ。。。」なんて感じの説明的なセリフとともに登場するのだ。でもって、辻で啖呵を切る西夏女が三田佳子(がっくり)。冗談も程々にしろ。敦煌の石窟をいちいち字幕説明を加えながら流すあたり、映画館の中で「NHK特集か! 阿呆!」と叫びそうになった。
今調べると監督は佐藤純弥。なんと88年の日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀監督賞を受賞している! あれってもっともクズな映画に授けられる賞だったっけ? 
88年といえば井上靖はまだ存命だが観たんだろうか。僕が井上靖なら怒るけどな。

あ、次は『敦煌』読もっと。






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  1. 2009/09/29(火) 01:15:51|
  2. 読書狂
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風濤

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井上靖『風濤』(新潮文庫)。
史料の引用が多く、最初はそれが鬱陶しかったが途中から引用文を斜めに読み飛ばすことにしたら、やっと小説として没入することが出来た。大岡昇平に『蒼き狼』を批判されて、じゃぁこれでどうだ、と満を持して書いたものらしい。チンギス・カンの孫、五代目元帝フビライの日本侵攻の野望と、それに翻弄される小国高麗の物語。
徹頭徹尾、高麗の視点から描かれるので、元寇の話なのに、日本は直接には登場しない。海の向こう、風濤の彼方の謎の国として描かれるだけだ。そのことが第一部と第二部のそれぞれの終わりに劇的な効果をあげる。特に第一部の終わり方には震えが来るほどドキドキしたなぁ。やられた。井上靖、巧すぎる。
読み終わって『風濤』というタイトルを見直して感心する。史料部分を超特急で端折り読みするような失礼な読み方をしておいて言うのも何だが、これは名作だと思う。

日本が登場しない元寇の物語を読むと、やっぱり次は日本側から見た話を読みたくなる。ここは井上靖同様、大岡昇平にコテンパンにやられた組の海音寺潮五郎だろう。

というわけで『蒙古来る』(朝日新聞社版全集)を読んでいる。まだ三分の一。これがまた、とっても面白い。面白いことが欠点になるくらいに面白い。うまく伝わらないだろうか。たとえば、司馬遼太郎『竜馬がゆく』の欠点は面白すぎることである、といえばわかってもらえるだろうか。読者サービスが良すぎるのである。
今まで読んだ海音寺潮五郎のどの小説と比しても、なんだか不必要なくらいに面白く、逆にちょっと先行きが心配である。


  1. 2009/09/24(木) 00:14:20|
  2. 読書狂
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珍しくレンズの話など続く

0909M50_2

↑この写真は、かなり前にコニカMヘキサノン50/2で撮ったもの。
ベッサR2を買ったときに一緒に選んで買った。大して話題にもならなかったレンズだが、はじめてレンジファインダー用の最新設計のレンズというのを使ってみて、その写りにびっくりした。この写真でニュアンスが伝わるだろうか?
カタい、やわらかい、という座標で語るならば、圧倒的に「やわらかい」レンズである。カタい、やわらかい、というのは、誤解している人が多いが、決してコントラストだけの話ではない。トーンのつながりの良さを指していうことなので、シャープでコントラストもあるけれどもやわらかい、というのはあり得る。無粋を覚悟で例えるならば、デジタルで言うところのヒストグラムを幅一杯まで使いながらも、シャドウが潰れずに起き、ハイライトが駆け上がらずにきちんと端で収まる、ということになる。要は「眠い」のではなく、あくまで「やわらかい」のだ、ということ。まさにこのMヘキサノン50/2がそういうレンズだった。線も細く、解像感でシャープネスを作るタイプ。中間調のトーンの出方は尋常ではなく、シャドウも限界まで落ちず、しかしゆるやかに締まっていく。自分の撮った写真にうっとりしてしまう(あくまでトーンの話ですよ)。

0920herier.jpg

↑まったく別傾向のレンズとして、この親分猫を撮ったコシナ・カラーヘリアー75/2.5(一眼レフ用)。コントラストに艶がある、とでもいうか、ニッコールじゃないのに、どのニッコールもなしえなかったニッコールらしさがある、というか(矛盾してる?)。
しいて言えばニッコールの35/2の品位に似ているかも。それを中望遠でやってるところがかっこいい。ちょっとスキャン画像では伝わりにくいかもしれないけど。

この2本の「とってもよく写るレンズ」は、今は手元にはない。よく写りすぎるというのも、いいことばかりではない。つい「レンズの性能を発揮しそうな被写体」を探してしまうし、よいものが撮れたとしても、半分レンズの手柄であるかのような、そんな嫉妬のようなものに苛まれる。なんか、そういうのに耐えられなくなる。
好きだ好きだと言いながらあまりノクトンを持ち出さないのも、なんか自分で警戒してるんだろう。「撮らされちゃう」のを。
最近ではペンタ67の105ミリにも同じイライラを感じたなぁ(去年の『GACHINKO!』のとき)。

ひどいレンズならひどいレンズだと文句を言うくせに、よく写るからといっても文句を言う。どないせぇっちゅーねん(笑)。



  1. 2009/09/20(日) 01:27:20|
  2. カメラ
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We Love Nokton

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『叙情寫眞』の展示でギャラリー・ライムライトにいるときに、オーナー兒嶌さんのM3にノクトン50/1.5が付いているのを見て、一気にテンションが上がる。おおお! やっぱりわかる人にはわかるんだねぇ! 折しも僕の肩にかかったM4にもノクトンが。
いかにこのレンズがよく写るか。性能の割に安すぎる流通価格について。F1.5っていう数字がたまらん。ノクトンって名前もかっこいいよね。最短撮影距離が0.9mだからって全然不便に感じたことなんかない。これがあったらライカレンズなんていらない。僕のは3万円ちょいでした、え、兒嶌さんの、2万円台? まじすか? F1.1の登場でとうとうこのノクトンもディスコンらしいですよ。えええ、この名レンズが??? 等々々。いきなり花咲くノクトン談義。
そのあと来廊してくださったフォトピアの福永さんもライカを下げていて、ギャラリーに偶然にもライカが3台並んだのだけれど、純正レンズを付けた福永さんが「なんか僕肩身狭いですねぇ」と居心地悪そうな感じ(笑)。

最近はあまりレンズの味がどうたらという話には興味がないのだが、このレンズの写りだけは、もうたまらなく好きなのである。
コニカ・Mヘキサノン35mm用のフードをつけているので姿形は異様にイカついが、写りは繊細。プアマンズ・ズミルクス? いやいや、仮に僕が金持ちでもノクトン使いますよ。

このノクトンが、最近急に振ったらカタカタと異音がするようになり、焦った。
中のレンズが何か外れたのか? 展示直後でドビンボーなのに修理代なんか払えないぞ。修理代捻出するために何か売らなきゃいけない、な、何を? 売れるカメラなんかもうない! どうしよう!
・・・と、ひとしきりパニクったあと、よくよく調べてみれば、後玉をおさえてあるリング状の部品が弛んでいて、ドライバーをかまして締めると簡単に治った。
ああ、よかったぁ。

F1.1ノクトンの発売で、きっと中古市場にこのF1.5がかなり放出されるはず。
ただでさえ安い名玉を、さらに安く手に入れるチャンスですよ。
みなさんも1本いかが?

http://www.flickr.com/photos/kamauchi/303129488/in/set-72157600025115774/

3年前、このレンズを中古で買った帰り道、最初に写した1枚目。




  1. 2009/09/19(土) 02:02:15|
  2. カメラ
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『叙情寫眞』フリッカー・ギャラリー

090915jojo.jpg

『叙情寫眞』に出展した写真をフリッカーのスライドショーにまとめました。
http://www.flickr.com/photos/kamauchi/sets/72157622222663455/show/



  1. 2009/09/15(火) 01:48:47|
  2. 写真
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『叙情寫眞』終了いたしました

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カマウチヒデキ+中村浩之写真展『叙情寫眞』(大阪帝塚山ギャラリー・ライムライト)終了いたしました。たくさんの方々にお出でいただき、感謝です。
手前味噌ですが、いい展示だったと思います。中村さんとの作風の違いが絶妙のバランスだったというか。
事前に丹念に言葉を積む作業を行って、そこからは自由にヨーイドン、みたいな作り方も面白かったですし。

叙情って何だろう、なんて考え抜いていくと、結局それって写真って何だろうといういつもの問いと重なってしまう。いつも問うているつもりのことだけど、叙情、なんて言葉でムリヤリ囲ってしまうと、いつものではない切り口に出会えたような気がして、でも終わってみたら、いつも探してる延長のことをやってたんだな、という感じもします。

ある意味「いつものカマウチ節やね」だったかもしれません。でも僕としては、はじめてカラー・プリントで「ちゃんと色を扱えたな」という満足感があります。次にモノクロに戻るのが困難に感じるくらい、今回のカラープリントは楽しかったのです。
次に何をするのかは未定ですが、とりあえず、せっかくいい感触を得たカラーネガ→スキャン→インクジェットプリントという方式を続けてみようかな、と思っています。

最後にもう一度、ご来場下さった方々、中村浩之さん、ギャラリーの兒嶌さんに感謝を。ありがとうございました。


  1. 2009/09/13(日) 01:00:01|
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11日金曜日19時からレセプション

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大阪・帝塚山ギャラリー・ライムライトにてカマウチヒデキ+中村浩之写真展『叙情寫眞』好評開催中です。
http://d.hatena.ne.jp/kamauchi/

若き美術史家doca氏の展評→こちら

「夜逃げ屋」は良かったなぁ。自分が誉められている記事を引いて「なるほど」も何もないもんだが、この「取り立て屋」と「夜逃げ屋」の比喩は、なるほど、うまいなぁと。
明日のレセプションでちょっとパクらせてもらおうかな。

あ、そうそう、明日11日(金曜日)は、本来の閉廊時間は19時ですが、その後ひきつづき21時頃まで開けて、ちょっとレセプションというか、そういうことをやります。中村氏と一緒に、この二人展の経緯とか、作品解説とかも出来たらいいなと思っています。聞かれれば何でも答えます。どうぞお越し下さい。

・・・・・

おまけのように読書記録を。
井上靖『蒼き狼』二十年ぶりくらいに読む。
前半の鉄木真(テムジン)艱難辛苦時代までは文章のテンポも良くグイグイ読ませるが、成吉思汗(チンギス・カン)として蒙古を統べて以降、領土を拡張していく段になってからはすごく退屈。結局、蒼い狼の血を引く者であることを証明するために、という侵略欲の説明が弱いのかな。ジュチや怱蘭の子供を巡るエピソードとか、部分部分は興味深いのに、どうしてそこまで征服しなければならないのかという肝心な部分の理由づけが「蒼い狼」の神話一つ、というのが、どうしても拍子抜けする感じ。大岡昇平が突っ込む気持ちもわからなくはない。

後年、井上靖が大岡昇平の批判を踏まえてこれでどうだ、と筆をとったという『風濤』(新潮文庫)を読み始めるが、気分的にいまいち乗れず。
そこへ注文しておいたジョン・B・チョッパー『青春というのなら』(ぴあ)が届いたので、蒙古の無理難題に怯える高麗の物語はとりあえず中断して、ウルフルズの内輪話に没入する。
前半はよく知る話ばかりなのでワクワクする。東芝EMIと契約した、とカンテに報告にやってきた松本さんの顔を今でも覚えている。バイトで一緒に働いていた人たちがいつの間にか紅白に出場している、という衝撃は、なかなか普通ではできない体験だ。
若い頃の彼らをちょっと知ってるから、だけではないと思う。いい文章です。ウルフルズを一時脱退するあたりの箇所で、電車の中でちょっと泣いた。

  1. 2009/09/11(金) 00:23:41|
  2. 展示
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こういう大雑把さが銀塩の良さでもある。

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『叙情寫眞』開催中です。
あ、でも今日9日水曜日は休廊ですから、お気をつけください。

・・・・・

いつも写ってもらっているリサちゃん(パリちゃん)が、本当にパリに行ってしまうというので、という理由が9割。で、僕が帝塚山で『叙情寫眞』をやっているので、という理由も、願わくば1割くらいあってくれれば嬉しいが、なんせ昨日、東京からあの偉大な写真家クモ子姉さんが来てくれる。
強がってびっくりしないフリをしてみたが、本当はびっくりもしたし、めちゃくちゃ嬉しかったのである。そう、カマウチはけっこう照れ屋なのだ。いやほんと。

それはさておき、パリに発つリサちゃんとクモ子姉の写真を撮ろうという段になり、こういうときに限ってビッグミニしか持ってなかったりするので、ギャラリーの兒嶌さんに「何でもいいから中判カメラ貸して下さい」とお願いしてマミヤC330を拝借。鞄の底から発見したアクロスを詰めて1本撮った。
このアクロスが、2004年に期限の切れている年代物。5年落ちかぁ、ちゃんと写るかな、と心配だったが、今日現像してみた。
フィルムが古いので現像時間を延長するかどうか悩んだけど、現像液を作って液温を測ったら27℃だったので、冷やさずにそのまま使うことにする。時間押しじゃなくて「液温押し」で古さをカバーしようという目論見。
ところでこの夏、『叙情寫眞』のためにカラーばっかり撮ってたので、モノクロの現像なんて数ヶ月ぶり。つまり暗室のD-76や定着液が、これまた数ヶ月落ちの骨董品ばかりなのである。密栓してるとはいえ酸化してるかもしれんなぁ、と数秒の逡巡のあと、かまわず注入。こういうのは「行ってしまう」派のカマウチです。ええ。

古いフィルムに古い現像液、高い液温。こういうええ加減な辻褄合わせ的荒業を、大事な友人の写真に使っていいのか、というと、いいのである。
ええ加減だけど、それなりの辻褄は合ってるのだから大失敗はしないはず。新しい現像液を用意して、液温もちゃんと調節して、その上で現像を何分押すか、なんてきっちり考えるよりも、これくらい大雑把にやった方が往々にして良い結果を呼び込むものである。
仮に良い結果にならなくても、ああ、あのとき使った5年落ちのフィルムか。さすがにちょっと無理があるね、という痕跡が残るのも、別に悪いことではない。

で、今現像してたんですが、なんか普通にうまくいきました。拍子抜けなくらい。
さて、ひさびさにモノクロプリントしてパリと東京に送ろっと。

・・・・

リサちゃん気をつけて行っといで。帰ってきたらまた撮らせてください。


  1. 2009/09/09(水) 01:48:55|
  2. 写真
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『叙情寫眞』始まります!

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( ↑ 準備を終えてチン電車内でヘバっているカマウチと中村氏)

大阪・帝塚山のギャラリー・ライムライトが、素晴らしいことになっています。
こういうのは本当は自分で言っちゃいけないんですが、先ほど搬入をして準備を終え、夜11時過ぎてギャラリーを出るときの正直な感想です。

ええ、もちろん僕も頑張りましたが(笑)、やっぱり自分の性格を一言で語れと言われて「詰めが甘い」と即答してしまうくらいのこの性分。いつも何か今一歩足りない仕上がりにヤキモキを持てあますのが常だったのを、今回に関しては非常に満足のいく展示です。
やはり展示のプロフェッショナル兒嶌先生、カナヅチさばきが違うのです。鮮やかなのです。まさに、画竜に点睛を入れてくれるのです。気持ちの良い職人芸を見せていただきました。
現在の僕として、100点近い出来の展示になったと思います。いや、兒嶌さんの入れてくれたカナヅチで120点か。

対バンの中村氏は8×10カメラのモノクロ、かたや僕は35mmのカラープリント。スタイルはまったく違うけれど、2ヶ月前、入念に、濃密に交わされたメール会議(→参照)のおかげで、共通の通奏低音をお互いに綺麗に別方向へ変奏できたと思っています。

『叙情寫眞』HPに載せた宣言文をもう一度再録します。

使い古された技法を厭い、しかつめらしい意味づけを拒み、自分の属するフレームそのものを逸脱し、境界を解体していく力。

反対に、写真が写真であるための求心力、そもそも写真が写真として撮られるための理由について考え、万象の愛(かな)しさに思いを至らせること。

融解を促す力と、それに逆らい求心する意志の葛藤が写真なのだ、と勝手に結論づけた我々は、さらに勝手に「融解に逆らい求心する意志」を「叙情」(仮)と呼ぶことにしたのです。

あえて古びた手管や情緒を拒まず、しかしただ古くさい感傷に縛られず、常に「新らしい叙情」を見つけ記録していく作業の中でのたうつこと。

カマウチヒデキと中村浩之が探るそれぞれの『叙情寫眞』をお楽しみに。


・・・・・・

明日6日(日)~12日(土)まで(9日水曜日は休廊)、大阪帝塚山ギャラリー・ライムライトでカマウチヒデキ+中村浩之写真展『叙情寫眞』開催します。
ぜひぜひ見に来てください。

  1. 2009/09/06(日) 01:43:03|
  2. 展示
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『叙情寫眞』タイトル会議

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いよいよ始まります。中村浩之氏との二人展『叙情寫眞』。
サイトに、この6~7月、中村氏と僕の間で交わされたメールによるタイトル会議の模様を編集して会話形式に直して抄録しました。

理屈っぽい話が嫌いでない方はお読み下さい(笑


  1. 2009/09/05(土) 02:13:55|
  2. 展示
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プリント終わったぁ!

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プリント終了!

と、自分で終結宣言をしないと際限もなく再プリントや差し替えで収集がつかなくなりそう。
これで確定とする。自分に宣言。
あとは仕上げ作業。

『叙情寫眞』





  1. 2009/09/01(火) 02:02:53|
  2. 展示
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