OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

見えない橋

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DM配布場所(2月27日現在)まとめ

・ギャラリー・マゴット(四ツ橋) http://gallery.maggot-p.com/
・ギャラリー・アビイ(心斎橋) http://g-avi.com/
・ナダール(心斎橋)http://nadar.jp/
・壱燈舎(心斎橋) http://www12.ocn.ne.jp/~ittosha/index.html.html
・中津カンテG(中津) http://www.mmjp.or.jp/cante/
・Nene La chatte noire(南堀江)http://nene-lcn.com/
・アクリュ(心斎橋)http://acru-shop.net/
・ビジュアルアーツ専門学校(梅田) http://www.visual-arts-osaka.ac.jp/top.html
・フォトピア(西天満) http://www.photopia.co.jp/main.htm
・ブルーム・ギャラリー(十三)http://www.bloomgallery103.com/
・ギャラリー・ライムライト(帝塚山)http://gallerylimelight.web.fc2.com/index.html
・SEWING GALLERY (枚方) http://sewing-g.com/
・ギャラリー la galerie(茨木)http://lagalerie.exblog.jp/
・彩珈楼ギャラリー(中崎町)http://tokage.net/saikarou/
・ニュートロン (京都)http://www.neutron-kyoto.com/gallery/index.html
・京都芸術センター(京都)http://www.kac.or.jp/
・shin-bi-シンビ-(京都)http://www.shin-bi.jp/
・Gallery Main(京都)http://www.gallerymain.jpn.org/
・ギャラリー美0(京橋)http://www.gallery-b-zero.com/index.html
・プラネットearth(神戸・モトコー2) http://プラネットearth.jp/
・TANTO TEMPO(神戸)http://tantotempo.jp/contents/index.html
・knut cafe (甲子園口)http://www.knut-ch.com/pineapple1/

・・・・・

吉村昭『見えない橋』(文春文庫)読了。いろんな「死」にまつわる断章を、起伏少なく書き綴る。あまりに淡々としているので最初戸惑うほどだが、この起伏の少なさが曲者である。クナッパーツブッシュの指揮棒のように、平坦に馴らされた読者はちょっとした一振りに踊らされる。そういう仕掛けが地雷のように埋まっている。
吉村昭ばっかり続いたので気分を変えて、D氏が絶賛していた川上弘美を。1冊も読んだことがないので、書店で適当に薄そうな短編集を買って帰る。『おめでとう』(新潮文庫)。
・・・お、面白い。なるほど!
  1. 2010/02/24(水) 00:00:41|
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DMできました

DM出来ました。
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裏面こちら。
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ギャラリー・マゴット(四ツ橋)、アビイ、ナダール、壱燈舎(以上心斎橋)、中津カンテG、ビジュアルアーツ専門学校、フォトピア、ブルーム・ギャラリー(十三)に、とりあえずDMを配布してきました。今日定休だったアクリュやライムライトにもそのうち。
メーカー系ギャラリーはもういいかなぁ。ニコン・サロンのお客が僕の写真に興味を持つとは思えないし(笑
個人宛には、もう少ししたら出します。欲しい方は住所をメールしてください。kamaneko[at]kpb.biglobe.ne.jp ([at]を@に変えてください)

ギャラリー・マゴットで現在開催中の、当初僕も参加する予定だった『肖像写真』、ゴトーマサミさんのプリントが美しいです。ゴトーさんだけじゃなくて、予想通り全員がハイレベルですけどね。
「モノクロはもうやらない」なんてことをあちこちで言い回っていたのに、ゴトーさんのプリント見ながら「あー、モノクロプリントやりたくなってきた~」とほざくカマウチ。最近コロコロ言うことが変わります。

十三のブルーム・ギャラリーでは『PORTFOLIO EXHIBITION vol.2』。ノモトピロピロ氏や藤野全久氏が出品されているので見てきました。お二人の他では中村文博さん、名古根美津子さん、長岡修司さん、宇山聡範さんのものが良かった。

プリントのクオリティについて考えさせられた一日。
『重力と叙情』、構成についてももう一度練り直すべし。


  1. 2010/02/18(木) 00:01:41|
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高田渡/W『叙情』同時開催!?

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何曲か好きな曲があって、でもそんなにたくさんは知らなかった高田渡に、今頃傾倒。最近死んじゃったのに、どうせなら生前からハマりたかったが。
『ごあいさつ』『系図』『石』の3枚組CD-BOXに、他のミュージシャンも参加している『貘/詩人・山之口貘をうたう』、とたて続けにCD購入。個展前の経済的に苦しい時期だというのを完全に失念していたなぁ。どうすんだよ俺。
でも買って正解。これは金を払う価値があった。特に『貘/詩人・山之口貘をうたう』は好きなふちがみとふなとも大島保克も大工哲弘も参加してて、しかも山之口貘は大好きだし、ずっと買わなきゃと思ってたCD。大工哲弘のCD(『ジンターナショナル』)に所収のとはバージョン違いの『生活の柄』が入っていて、しかも高田渡との競演で感激である。

『生活の柄』は昔、大工哲弘バージョンではじめて知ったが、最近オリジナルの高田渡バージョンをいくつもyoutubeで見て、特に筑紫哲也の番組での竪琴っぽい楽器をかき鳴らして歌うのに感動。あ、この人もっと聴かなきゃ、と大慌てで高田渡のCDを漁ったのだった。

『生活の柄』の原詩は山之口貘だが、高田渡が相当に改変している。骨子しか残っていない感じ。でも原詩も、高田渡の改作版も両方好きだ。
久々に三線を出してきて弾き語りしてみた。日向子も神妙に聴いていた(笑)。

本も一気読み。高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』(ちくま文庫)。
高田渡は山之口貘だけじゃなく永山則夫や金子光晴など、いろんな詩人の詩に曲をつけているが、金子光晴に使用許可を求めに行ったときのエピソードに感心。
「今度、この歌を歌わさせていただきたいんですけど」
「どうぞどうぞ。出してしまえばウンコションベンですから、どうにでも利用してください。出てくるまでが大変なんですけどね」
金子光晴、かっこいいー!

・・・・・・

ところで、僕の写真展『重力と叙情』(3/16 - 3/21 ギャラリー・マゴット)の開催時期に合わせて、前に中村さんとの二人展『叙情寫眞』をやったギャラリー・ライムライトで、3月14日(日)-20日(土)、『叙情寫眞』の僕の展示分を再展示しませんかと兒嶌さんより提案があり、御厚意に甘えることにしました。その時期ギャラリーは1F展示室しか使っていないので、2Fギャラリーで『叙情寫眞』(1/2) を展示しちゃおう、と。
つまりほぼ同時期に、四ツ橋と帝塚山の二カ所で、二つの個展を開催、みたいなゴージャスなお話です。
前回の『叙情寫眞』を見逃した方、もしくは、もしかして「もう一回見たかった」なんて嬉しいことを言って下さる方、ぜひぜひ四ツ橋と帝塚山のハシゴをお願いいたします。
3月中旬はカマウチ「W叙情」週間だ(笑

  1. 2010/02/16(火) 00:18:43|
  2. 展示
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スカッと打ち返せたら気持ちいいんだけどね

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数年前に出た本で、僕も嫌いではないとある辛口文芸評論家が、ホンマタカシや長島有里枝の特集された写真雑誌を見てよせばいいのに俎上に上げ「だって、写っちゃった、ってだけの写真でしょ?」と悪態をついた。
わかりもしないことに口出ししちゃって、と一瞬反感を感じたものの、数秒後、そのまますーっと体の芯が冷えていく気がした。彼女(文芸評論家は女性です)は、もしかして、すんごいことを言ってしまったのではないか?

「写っちゃった、ってだけの写真でしょ?」

改めて面と向かって問われることを想定していなかった、あまりに直球な問いである。実はみんな薄々そう感じていて、ていうか確信犯的にでもそれはわかっていて、で、「写っちゃった、ってだけの写真でいいんだよ!」と言い返したくていろいろ理論武装を模索している。が、仲間内(写真を撮る人)ではここまで直球で問いを発する人間はいないのだ。理論武装を完了しないままにいきなり宣戦布告を食らって泡を食う。
「写っちゃった、ってだけの写真でいいんだよ。今まで写真の世界にのさばってきた技術論や思想に手垢が付きすぎちゃって、いったんそういうのを御破算にしたところからもう一回積み上げていく途中なんだから」
と写真を撮る人を代表するつもりで反論を考えてみたが、S藤M子はこんな生ぬるい返事では到底許してくれそうにない。
「崩した結果がこれなわけ? 甘ったれるんじゃないわよ。てにをはの使い方に手垢が付いたからって日本語の文法無視して小説書こうとしてるようなもんじゃないの? そんなもの小説って呼べないんじゃない? その手垢を放置した責任とらずに御破算にするって虫が良すぎるのよ。新しいてにをはを構築してからモノ言えって話よ。ふざけてんの?」
あ、これは僕が勝手に想像で作ったS藤M子botですけどね。

論理で太刀打ちできない悔しさに歯ぎしりしつつ「手垢のついた技術や思想や叙情をそのままにしておいていいとは思っていない、ただ、写真ってその性質上<記録>としての役割もあるから、手垢のついたものたちを屠って新しい叙情を紡ぎ出す、もしくは紡ごうと足掻く、その過程を見せることも<写真>として許されるんじゃないかと思うのです」と答えても、「推敲の朱筆が入った原稿見て喜ぶのは古書店の親爺くらいだよ、けっ!」と一蹴されそうな気もするし。

写真というのは、実にわかりにくい。ただわかりにくさに逆に胡座をかいて禅問答のように即答を避けているうちに誰も自分がやってることをちゃんと理解できなくなった、という気がしなくもない。
写真って、結果のプリントを見せることのみに意味があるわけではなく、さっき何の気なしに「推敲の朱筆」という言葉を使ったが、まさに、撮り続けて、撮り続ける主体の変容するさまを見せていくこと、つまり自分に朱筆を入れ続けることの方に意味があるのじゃないか、と、今まさに書きながら考えているわけだが、「それはあなたの自慰行為をわざわざ公開しているという意味とはまた違うのか?」と突っ込まれれば、はてさてまた反論に詰まる。

写真は、カメラのシャッターボタンを押せば写るのである。S藤M子の言うとおり、写っちゃうのである。しかし押さなければ写らないのだ。結局何に対してシャッターボタンを押すのか、という、きっかけの航跡が写真になるのだ。そのきっかけを、去年の九月から「叙情」と呼ぶことに決めた、というだけの話である。
今回はあえて理論武装はしない、ただ、自分が「新しい叙情」だと思った瞬間瞬間の記録を、ただ晒すだけにしたいと思う。それ以上の言葉で逃げを打たない。
もう一回S藤M子botの声が聞こえる。
「それはあなたの自慰行為をわざわざ公開しているという意味とはまた違うのか?」

「違う。・・・と、感じてくれる人がいてくれればいいなと思っている」
しまらない答えだなぁ。



  1. 2010/02/13(土) 00:39:01|
  2. 写真
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新しい叙情

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前回の中村さんとの二人展『叙情寫眞』での宣伝文を再録してみる。

使い古された技法を厭い、しかつめらしい意味づけを拒み、自分の属するフレームそのものを逸脱し、境界を解体していく力。

反対に、写真が写真であるための求心力、そもそも写真が写真として撮られるための理由について考え、万象の愛(かな)しさに思いを至らせること。

融解を促す力と、それに逆らい求心する意志の葛藤が写真なのだ、と勝手に結論づけた我々は、さらに勝手に「融解に逆らい求心する意志」を「叙情」(仮)と呼ぶことにしたのです。

あえて古びた手管や情緒を拒まず、しかしただ古くさい感傷に縛られず、常に「新らしい叙情」を見つけ記録していく作業の中でのたうつこと。

カマウチヒデキと中村浩之が探るそれぞれの『叙情寫眞』をお楽しみに。


う~ん、いい文章だなぁ。
写真に対する考え方は変わっていないので、もちろん今でもこの文言の通りに思い、撮っているのです。
今度の『重力と叙情』のために、また宣伝文を考えようとしているのですが、前回のこの『叙情寫眞』の文言が名文すぎて(笑)、これ以上のものが書けない。
どうしよう。

これは『叙情寫眞』のために作った宣伝サイトに収録されている僕と中村氏とのメール会議の対話の中から生まれた文章なのですが、二人展、三人展の醍醐味って、まさにこういうことですよね。対話や衝突やいろんな丁々発止から言葉や写真が転がり出す。転がり出た何かを捉まえてはまた新しい何かが転がり出るのを待つ。

個展って、それを一人でやらなきゃいけないのか。
思った以上に、こりゃしんどい作業だよ。
  1. 2010/02/12(金) 02:00:36|
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上を向いて歩こう/羆嵐

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ギャラリー・マゴットで開催中の『上を向いて歩こう』に出展されているakiさんの写真がすごくかっこよかった。さすがライムライト・フォトアワード第一回受賞者。
akiさん、変な女性ポートレートなんかやめて(笑)全部こっちの感じでお願いします。あのエスカレーターの写真、感動しました。

・・・・・・

吉村昭『羆嵐』(新潮文庫)読了。
これ、実際にあった熊害事件なんだよねぇ。
大正4年、北海道の開拓地で村民6人(妊婦の腹にいた胎児を含めると「7人」)がヒグマに襲われて死に、3名が重傷を負った。警察や軍隊まで動員しての大騒動になるが、最後に羆を仕留めたのは日頃粗暴で村民に疎まれていた老猟師のここ一番の沈着冷静さだった、という話。
実際の事件に忠実に記述されるが、なぜか羆を仕留めた猟師の名前だけが史実とは変えられている(実際は山本兵吉、小説では山岡銀四郎)。吉村昭らしい主観を廃した淡々とした語り口に見えて、実はこういった微妙な操作がなされている。被害者が食い殺される場面も、感情を抑えつつもかなり克明な描写で、それが読者の恐怖をあおるわけだが、実際の史料(といっても僕はウィキペディアで調べただけだが)にあるもっと凄惨な事実(食い殺された妊婦の腹から掻き出された胎児は羆に食われず、一時間ほど動いていたがやがて死亡した、等)が書かれていないなど、史料の取捨選択にはかなりデリケートなコントロールがあるようだ。相当深く克明に史実に依っているものの、これは「小説」なのである。
あえて「小説」として評すならば、これは一級の恐怖小説である。で、実際に仕留める場面には・・・・あ、やっぱりこれ以上書かない。できれば実際に読んでください。ただし、生半可なホラーものよりも相当に怖いのでご注意を。







  1. 2010/02/11(木) 01:40:33|
  2. 読書狂
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また・・・・

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個展の準備は着々と進むが、三日前の晩にDMを入稿したその翌日、今井智己の最近の写真集に『光と重力』(リトルモア)というのがあるのを知る。昨年末に出たものだが最近あまりジュンク堂に行かないので存在を知らなかった。今回の僕の個展『重力と叙情』とタイトルが微妙に、いや、かなりカブる。
タイトルを変更しようかとも考えたが、DM入稿してしまったので無理だ(7100円を気楽にボツにできる財力は僕にはない)・・・少し意気消沈。

前にも、『オーサカセブン』の展示に合わせて自家製本写真集『続いていくもの』を作ったときに、製本完了した翌日に写真雑誌の川内倫子のインタビュー記事の小タイトルに「続いていくもの」とあるのを知り落ち込んだ覚えが。
日頃川内倫子好きを公言しているし、何を言われても文句が言えないのだが、製本をバラして新しいタイトルに付け替えることもできず、泣く泣くそのまま会場に持って行った。一字一句、仮名遣いまで一緒だったからなぁ。
まぁ、今井智己も川内倫子も、尼崎の吹けば飛ぶような無名写真家にタイトルをカブられたくらいで痛くも痒くもないだろうが(ていうか、絶対に気がつかれることもないだろう)、こっちの気分の問題である。
でも悩んでも仕方がないのでこのまま行くことにする。

・・・・・・

吉村昭『熊撃ち』に続き、同じく吉村昭『羆嵐』を読む。熊撃ち猟師への綿密な取材から生まれた連作短編『熊撃ち』の、集大成のような『羆嵐』。まだ途中だけど、いつもながらの淡々とした筆致が逆にホラー感を浮き立たせる。
新しく入植してまだ一人の死者を弔ったことのない村民が、羆(ヒグマ)の被害によってはじめて母子の遺体を埋葬する。死者を埋めることによってはじめて新しい土地と人間の間に関係を取り結ぶのだ(大意)という箇所に、大筋には関係がないが感銘を受ける。



  1. 2010/02/09(火) 07:10:07|
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時間差

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僕は展示に関しては、非常に仕事がはやい。実は大半の写真が、もう出来ちゃってたりする。まだDMも作ってないのに。展示、一ヶ月半も先なのに。

でもいつも、大半がはやく仕上がって、最後にゆっくり時間かけて残りのピースを埋めていくのですが、その過程で土台部分じたいが揺らいでしまうこともあるし、けっこうな枚数が入れ替わったりする。

その、あーだろうかこーだろうかと考えている時間、写真にずっぽり浸っている時間が、やっぱりものすごく愉快で、しんどいことはあってもそれでも愉快で、だから写真はやめられないのだと思う。

たとえば、夜、自転車で武庫川にかかった橋を渡る。暗い川面に怪物の舌みたいに伸びた中州を眺める。自転車で移動しながら、中州の「舌」がゆったり移動するのを見てゾクゾクする。橋の欄干にカメラを押さえつけてバルブで撮り、現像が上がったネガを見て、こんなもんだとも思い、いやこんなもんじゃないとも思う。何度か同じように撮り直してみる。不思議なことに、撮り直してよくなる写真ってほとんどない。これは写真の大きな謎のひとつである。最初に撮った写真、うごめく舌のように見えた中州が、少しこじんまりと、あまり不気味でもなく、でもバルブ特有の別種の美しさで写っている。最初感じた違和感が、じんわり「別種の美しさ」の中に溶けていく。これでいいのだと思えるまでの時間差は、鑑賞者にはわからない、撮影者にだけ楽しめる特権である。最初に目にしたときのゾクゾクした感じが、写真の中で別種の感情に置き換わる、今、その長い時間を味わっている最中なのだ。

もちろん「いいのだ」と思えずに、落ちていく写真もあるわけだが(笑


  1. 2010/02/03(水) 01:09:52|
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怒り疲れた日

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フジフイルムが白黒のブローニーをやめてしまう、それも期限を切って製造を中止するのではなく、現在の在庫限りで、というニュースに愕然。プレストのみならず最初は5本パックのみ発売を続行するとしていたアクロスまでなくなるかもしれない。
何が銀塩写真の文化を守ります、だ!
怒りがおさまらず。一日いらいらして過ごす。

が、怒り疲れて、夜にはなんだかもうどうでもよくなった。フジがブローニーをやめてもまだコダックがある。トライXとT-maxがなくなっても、もしかしてイルフォードは頑張るかもしれない。イルフォードが駄目でもヨーロッパのどこかの国が作り続けるかもしれない。
買える限り撮る。なくなったあとのことは、本当になくなったあと考えよう。

今度の個展『重力と叙情』はブローニーのカラーネガで撮っている。今回の制作が終わったら、次はモノクロに替える。滅ぶ前にもっとやりたいことがある。

・・・・・・

吉村昭『熊撃ち』(ちくま文庫)読了。


  1. 2010/02/01(月) 02:23:21|
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