OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

光ってみえるもの、あれは/『重力と叙情』Flickrにアップ

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■川上弘美『光ってみえるもの、あれは』(中公文庫)。ブリュッヘンのオーケストラのようだ、と、ちょっと場違いっぽい感想を抱いてしまった。各楽器(登場人物)がてんでに好き勝手に鳴って現代オーケストラ的調和を目指さない点。花田も水絵も大鳥さんもキタガー君も、それぞれに面白い楽器で、てんでに鳴る。母と祖母がもっともっと好き勝手に鳴れば迫力がでたのに、と思う。主人公は比較的凡庸な青年に描かれるが、最後の奇天烈な展開で他の登場人物たちにようよう追いつく感じ? いろんな意味でバランスの悪い小説だと思うが、その不調和もどうせ計算ずくなんでしょうね、川上弘美先生。■個展『重力と叙情』の出展作をフリッカーのセットにしました。スライドショーでどうぞ。■個展終了以来、どうにもこうにも気が入らない。カメラのフィルムカウンターが進まない。まぁ、それなりの達成感のせい、ということにしておく。本当は風邪気味で頭があまり回らないだけかも。
  1. 2010/03/29(月) 23:32:53|
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中野久美「100」/クーデルカの新刊

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4461910277/

100日かけて撮った100枚の写真を展示する。ギャラリー・マゴットにて中野久美個展『100』。開催中、日曜日まで。おすすめです。
僕もこういう風に自分に「枷」をかけて写真を撮るのが好きなので、中野さんが味わったであろう楽しさもしんどさも多少は理解できるつもりです。しっかりと技術のある人が、そういう枷の中で思いっきりカメラを振り回した、そういう爽快感があります。すごく好きです。
帰り際、中野さん本人に会えて、「もう帰るんですか。じゃあ撮らせて下さい」とハッセルを向けられてバシャバシャ撮られる。ハッセルブラッドというカメラを向けられるのは思えば生まれて初めてかもしれない。別にハッセルだったから、というわけではないが(笑)すごく気持ちのいい撮り方をする人だと思いました。人当たりがいいとかそういう意味じゃなくて、人を撮るときの「入り方」みたいなのに対する親近感の話です。中野さんが僕を撮る姿を見て、僕も誰かを撮りたくなりました。次は人物で行こうかなぁ。もちろん僕の和製ハッセルで(ブロニカともいう)。

ずいぶん前にアマゾンに注文していたクーデルカの新刊写真集『PIEDMONT』が届いた。何ヶ月か前にジュンク堂で見たときは10000円してたけど、今回は4000円。待っててよかった。
ブックデザイン、最高! 久々に「惚れ惚れする装幀」というのを見た。
写真は、例によってパノラマカメラでの撮影。これからじっくり楽しみます。


  1. 2010/03/27(土) 07:51:37|
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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4457356086/

昨日仕事帰りに、西宮市内のいつもとは違う道を自転車で走っていたら、偶然中村浩之氏と遭遇。えらいとこで会いますね、と言うと、えらいとこも何も僕はすぐそこに住んでますよ、と。
中村氏は写真狂としての同志であるが、「仕事」の延長である通勤途上で遭ったりすると不思議な感じがする。いつも遭うのは大阪のどこかのギャラリー。しかし彼は西宮市民なので西宮で働く僕と遭遇することは別に奇蹟でも何でもない。
個展を見に来てくれた大崎テツアーノ氏が、展示している写真の中に自分の家の近所の風景がたくさんある、このトンネルなんてすぐ近所ですよ、と教えてくれた。
中村氏とテツアーノ氏というクレイジーな(偉大な、というルビを振ってください 笑)写真家二人が、通勤途上というやけに世俗な地続きの上に住んでいるというのが、なんか不思議に思える。この「不思議」を説明するのはちょっとやっかいだけど。

鉄道や車も「地べた」の上を走るものではあるが、やっぱり僕らの体と地べたの間にある隔絶感はいかんともしがたい。電車を降りた先にも地べたはあるが、それは感覚として元いた尼崎市南塚口町の僕の家周辺の地べたとは別物である。飛行して着陸したのに等しい。
自転車で通勤するようになって、住んでいる尼崎・塚口と、働いている阪神西宮界隈が「地続き」である、という、あまりに平明な事実に感動した。今キーボードを打ちながら何という当たり前なことを書いているのだ僕は、とたじろぐが、どうすればこの奇妙な違和感をちゃんと説明できるだろう。
弥次喜多の時代は地続きなのが当たり前の世界だった。鉄道や自動車のおかげで弥次喜多の時代よりも世界は広がったに違いないが、考えようによっては着陸点が無数に増えただけであって、地べたの広さは弥次喜多の頃からどんどん縮小を続けている。弥次喜多は江戸から500キロ歩いた先に大坂があることを知っていたが、僕らは新幹線で二時間半、という所要時間でしか東京の位置を実感できない。

別に、だから何だ、という話ではないのである。尼崎と西宮が地続きである、という一見平明な事実が、「一見」平明でしかなかったことに、42才の中年男がちょっとびっくりしただけの話だ。
今回の個展で川(武庫川)の写真が多かったのは、通勤途上に武庫川が横たわっているからである。目の前に川があるから撮った。それ以外にあまり大した意味はない。
しかし、川は人間が作ったものではない。河川敷を整備したとか、護岸を造営したとか、はては大和川みたいに流路じたいを付け替えた、なんてこともあるから「人間が作ったものではない」なんて言い切るのも何だと思うが、あるものに手を加えることは出来ても、人間は一から武庫川を作れない。
河川敷に立って広大な川面を眺めると、川というのは巨大な定規のようなものかもしれない、と思う。弥次喜多の時代から実感できる地べたの広さは縮小を続けるが、川は縮みはしない。地べたに貼り付けられたスケール表示のようなものだ。
武庫川に沿って自転車を走らせてみると、尼崎と西宮が、いや神戸と大阪が、いや大阪と東京が地続きであることが容易に信じられる。この自転車を走らせ続ければいつか東京でも青森にでも着くし海に出れば他国にも繋がるということに疑いがなくなる。

川は心地いい。この心地よさの理由をどうにも自分で説明できなかったのだが、川に沿って、本来のスケール感に戻って自転車を漕ぐ、というところにあるのかもしれない。西宮で中村さんに偶然遭遇し、テツアーノさんの家の近所のトンネルをくぐり、背中と脇にじんわり汗をかいて、少々息を弾ませて家に帰り着く。それが正しい距離感、というやつなのだと思う。

・・・・・・

川上弘美『古道具 中野商店』(新潮文庫)読了。小憎たらしい。小憎たらしい。ああ、小憎たらしい。うまいなぁ・・・。






  1. 2010/03/23(火) 22:55:31|
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『重力と叙情』終了しました

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4450310891/

個展『重力と叙情』終了しました。あっという間だなぁ一週間って。
来て下さった方々、本当にありがとうございます。今数えたら、記帳してくれた方だけで110人超えてます。遠くから来て下さったAさん(九州)、Bさん(横浜)、Tさん(東京)には、距離の分だけさらに倍ドン、な感謝を。前回の二人展の写真を、今回の個展の会期に合わせて再展示して下さった、ギャラリー・ライムライトの兒嶌さんの援護射撃にも最敬礼。
ああ、終わってしまった。
できたらこれからも年一回くらいのペースでできたらいいなと思っています。

『重力と叙情』の出展写真、フリッカーにアップしはじめました。
http://www.flickr.com/photos/kamauchi/sets/72157623663464282/detail/


・・・・・・

今回の展示の反省・・・う~ん、別になし。
あ、URLを書いた名刺をちょっとだけ用意した(印刷に間に合わなかったので自家プリント)んだけど、ちょっと少なすぎた。準備に余裕、けっこうあったのに、そういうところ抜けてた。覚えておこう。

最終日は開廊時間中に行けなかったけど、終わってから搬出にギャラリー・マゴットへ。次週に個展をする中野久美さんの搬入をちょっと見学。去年の10月から毎日1枚づつ撮ってきた100枚の写真を展示する、その名も『100』。
最初の10日ぶんほどだけ見せてもらったけど、中途半端に見たらもったいないくらい面白そうだったので、本番の楽しみということで、最後まで見ずに帰る。
来週が楽しみ。

川上弘美『古道具 中野商店』(新潮文庫)を読んでいる。
小憎たらしいくらい面白い。


  1. 2010/03/22(月) 01:03:09|
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いよいよ最終日です

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四日目夜、パーティー。というかほとんどオヤマ理穂子ライブ、写真展付き、という感じ。「写真を見に」来てくださった方ごめんなさい。ろくすっぽ鑑賞できなかったでしょう。すみません。
横浜からわざわざ来てくれたBさん、絶対日曜日もう一回見に来てね(私信)。
まぁライブ自体は楽しかったけれど、ほとんど写真の話ができなかった、というのは写真展のパーティーとしてはどないやねん、って話ですね。

五日目(今日)。仕事上がりダッシュで駆けつける。展示の様子をちゃんと写真に撮ってなかったことを思いだしたのだった。明日は搬出のためにしか来られないので、今日撮っておかないとまずい。あわててGRDで撮る。

ちゃんと数えてないけど、記帳してくださった方の数をざっと見るだけでも、かなりの数のお客さんに来ていただいてます。嬉しいです。実際に会えた方も、僕が在廊出来ない時間帯に来て下さった方も、本当にありがとうございます。

明日最終日です。18時までです。

・・・・・・

前回の『叙情寫眞』のメール会議で、中村さんが言ってた「撮影者、被写体、鑑賞者、etc.の間に生まれる関係(コト)の端部(ハ)が、写真ではないか」というのが、なんだか実感としてわかった気がする今回の展示でした(でした、ってもう過去形になってますが、すみません、明日の最終日、オープン時間中には行けないので)。
コトバもコトノハ(事の端)なら、写真もコトノハ。発信するのは僕だけど、見る人に様々な受け取られ方をするし、見る人は勝手な解釈で咀嚼してもいいし、僕が感じた高揚のようなものを、鑑賞者は何もその通りに受け取る必要もない。でも三者(被写体も含めての話)三様に、別の受け取り方であっても、どこかしら共通する核のようなものが(形にならないあやふやなものだとしても)何か残る。その核につながる何かの端っこを引っ張りあうような関係が、撮影者と、被写体と、鑑賞者の中にうまく生じたときに、その写真は存在理由を与えられるのだと思いました。
その頼りない核の周囲に生まれる磁場のような部分のことを、「叙情」と呼んでもいいのではないか。
最初は正直、『叙情寫眞』よりも地味めな写真だったこともあって、本当にこの展示でいいんだろうか、という不安が、設営を終えても拭えませんでした。ですが展示初日、二日目、と日を経るごとに、それまで僕と被写体だけの関係性の問題でしかなかったものが、鑑賞者という新しい引力が交わることによって新たな磁場のようなものを獲得していく、そういう生々しい実感があったのです。ああ、中村さんが言ってた「コトノハを交わす」って、こういうことなのかも、と思ったのでした。
「本当にこの展示でいいんだろうか」という不安は、もう三日目あたりに消失していました。僕と、写真と、見て下さる人、この三つの間の引き合う何か、というのがどんな形であれ生じれば、それが「展示」というものの意義なのだと思えます。

僕としては今回の展示は、やってよかった、と心から思えるものでした。


  1. 2010/03/21(日) 01:01:52|
  2. 展示
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次はモノクローム

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展示三日目。昼間天気が悪かったこともあって大盛況というわけではなかったけれど、それでも夕方から徐々に来訪者が増え結局はにぎやかなことに。
嬉しいです。

全久君が「次はモノクロでしょ? 僕はもう使わないんで」とトライXの120をたくさんくれた。おおお、なによりのものを! そう、個展の最中にもう次のことを考えるのはどうかと思いつつ、でも次はモノクロともう決めている。
個展準備中に、フジのプレスト120製造中止やコダックのカラー印画紙の悲報など、思った以上に銀塩の終焉が早いかもしれないと思わせるニュースが相次いだ。おそらく10年後はもう100%デジタルで撮っていると思う。否が応でもそうなる。5年後かもしれない。3年後かもしれない。となると、今やっておくべきことは銀塩モノクロしかない。
僕はデジタルでモノクロをやる意義を見いだせないので、デジタルに移行すればもうモノクロームの写真は作らないと思う。フィルムと印画紙のあるうちにモノクロでやれることはやっておかないといけない。兒嶌さんに8×10借りてモノクロのポートレート撮ったりとか。今回の叙情シリーズ的なものをモノクロでやってみるとか。内容は決めてないけど、とにかく次はモノクロ。それだけは決めた。

写真を撮る。フィルムを現像する。印画紙に焼き付ける。スポッティングをする。装丁する。展示する。写真の手作業的な部分を、ちゃんと自分の手でできる時代に写真を学べて良かったと思っている。そういう部分はこれから違ったものに置き換わっていく。それはそれでいいけれど、やっぱり土台にその作業を知っているということはこれからも大きな強みになると思う。
もしデジタルでしか写真を知らないで、光が潜像に、潜像が現像を経て銀の粒子に、銀の粒子が引き伸ばし機にかけられて銀の画像に、という工程を体験したことがない人は、今ならば間に合うので、体験教室でも何でもいいから暗室作業を経験しておくべくべきだと思う。大阪の人ならばナダールやライムライトなどで教えてもらえる。
モノクロ普及委員会の会員でもないのに、普及活動をするカマウチ(笑)。いや、冗談ではなく、やっておいた方がいいですよ。

・・・・・・

明日の晩はパーティです。6時頃から始めて、7時頃にはオヤマ理穂子さんやハリモグラさんの歌も入ります。レセプション、とかじゃなくて、単に「宴会」的なものになりそうです。ワインたくさんいただいてるので飲みましょう。写真の話もしましょう。


  1. 2010/03/18(木) 23:37:29|
  2. 写真
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二日目

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川上弘美『なんとなくな日々』(新潮文庫)読了。まだ3冊目だが、いやー、ほんとに好きだわ、この人。この人の文章のような写真を撮りたいな。うん。撮りたい。

・・・・・

冒頭の写真は相方が読んでる米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋)。
附箋が凄い(笑)。
斎藤美奈子が何冊も薦められているらしく、「斎藤美奈子、全部まとめといてくれる?」と指令を受けるが、探せど2冊しか出てこない。どこにまぎれた? うちの書庫はまさに樹海。 
こういう本を紹介する本、というのは危険である。池澤夏樹の書評本なんか買ったら、必ずその月は樹皮を囓るような生活になってたもんなぁ(比喩ですからね、念のため)。

・・・・・

今日は行かないと行ってたくせに結局終わりがけにギャラリーに行った(頭痛の病院に行くつもりで定時で職場を出たが、病院が休みだったのだ。で、せっかく早く出たからと四ツ橋へ)。
今日もずいぶんと来て下さったみたいで、お会いできなかった方、残念です。かなり懐かしい名前も発見。皆様ありがとうございます。
正直今回は、前回の『叙情寫眞』より、何か欠けるんだよなぁ、と思いつつ、昨日からその原因を探しているのだけれど、結局点数を絞り切れていないのだ、という結論に達する。あと4~5点削れたんじゃないかと思う、本当は。
しかし、だから会期中にでも省くか、とは思わない。一点も外せないような緊密さを求めたら、結局逆につまらなくなりそうな気がしてきた。今日見ていて。
あきらかに贅肉があるんだけど、それを含めて今回の展示はこれでいい、と、二日目にして思えました。自分でも確信は揺れ動くので、最終日あたりにまた「ああやっぱり・・・」なんて言ってるかもしれないけど(苦笑

明日も夕方から在廊します。


  1. 2010/03/18(木) 00:43:21|
  2. 展示
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『重力と叙情』初日

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4438524842/

個展『重力と叙情』初日。盛況御礼。
12時半頃から最後までお客さんがまったく切れなくてびっくり。ありがたいです。しかもすごくじっくり見て下さる方が多かった。
帝塚山のライムライトの展示を見てから来て下さった方も。
本当にありがとうございます。

今日水曜は行けませんが、木曜日・金曜日は夕方から在廊します。
よろしくお願いいたします。




  1. 2010/03/17(水) 00:29:46|
  2. 展示
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設営完了

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家で作ってきた木枠(30個)。


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それをボードに裏打ちした写真の裏側に貼り付けます。釘を引っかける桟にもなり、反りを防止する柱にもなります。



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写真を展示する位置を決め、高さを揃えて画鋲でマーキングします。


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画鋲の高さに凧糸を張り、水平を確認して釘打ちします。


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兒嶌さんは磁石で釘をくっつけるリストバンドを使っておられましたが、僕はそんな便利なもの持ってないので腕時計に両面テープを貼って釘をくっつけておきました。磁石のリストバンド、欲しいなぁ・・・。


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凧糸の位置に釘を打ちます。一つの写真を二本の釘で支えるので、ここでちゃんと水平が出ていないと写真が歪みます。水準器で確認。


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設計図を見ながら、順番を間違えないように写真を架けていきます。


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架け終わったところ(写真にはボカし処理を加えてあります)。


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昼前から始めたのに、終わったら夜になってました。とりあえずお疲れーてなもんで小さいビールで独り乾杯。しかしめっきり酒の弱くなったカマウチはこの小缶一つで頭ボー。

というわけです。設営完了。
明日からです、ギャラリー・マゴット、カマウチヒデキ写真展#01『重力と叙情』。21日(日)まで。12:00-20:00,ただし展示最終日は18:00までですのでお気をつけください。
皆様のご来場お待ちしております。
http://gallery.maggot-p.com/exhibitions/





  1. 2010/03/15(月) 22:42:12|
  2. 展示
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いよいよ搬入

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たまに仕事をしていた某公共系会館が今月末で閉鎖になる。最後だというのでそこのスタッフ同士の結婚式があり、最後の婚礼写真を撮った。もう5年くらいここで婚礼の仕事をしていたのだが、とうとう終わりである。まぁ、特別な感慨はあまりないんだけど。
で、最後だし、スタッフ同士だし、披露宴は盛り上がったようで(僕はずっと写真室に詰めているから会場の様子はわからないのだが)、なんと披露宴を5時間以上やってた(笑)。新郎新婦もお客も疲れただろうに。僕は単に待ちくたびれ。
写真室で待機して、衣装チェンジのたびに写真を撮るだけの僕は、基本的に退屈なのである。おかげで持って行った内田百間の別冊太陽は全部読めてしまった。

また百間熱が再発しそうな気配である。
内田百間のいいところは、ものすごく鋭敏で不気味な小説を書く裏で、ものすごく面白いエッセイを書き、さらに、退屈なエッセイも書くところである。人気の高い『阿房列車』のシリーズも、ものすごく面白い話と死ぬほど退屈な話の混在が面白いのだと思う。「面白い率」の高い人を「面白い作家」と決めるのは早計である。面白い率が高い人、というのは、本当にその人が面白い場合と、その人が「面白く書くことが巧い」場合があって、そのまま鵜呑みにするわけにはいかないのである。内田百間がものすごく高度な小説を書き、痛快なエッセイを書く一方で、全然退屈な文章も書いてしまう、というところに、僕はかえって信用を置く。わかりにくいだろうか?
音楽でいうならば、僕は矢野顕子が好きだが、矢野顕子の凄いところは、全部が全部名盤なのではなくて、たまに退屈なアルバムを出しちゃったりするところなのでは、と思っている。「面白いと思われること」「いい曲だと思われること」だけに傾注しているのではないわけである。いろんなことを探っていれば、たまには「面白くない」楽曲も作ってしまうだろう。それは当たり前のことなので、僕らは天才・矢野顕子の、たまに意気込みが空回りしているような「あまり傑作ではない矢野顕子」を楽しむことも許されているのである。わかりにくいだろうか?

・・・・・・

えらく遅い時間になってしまったが、駆け込みで帝塚山のライムライトに行く。今日からギャラリー・ライムライトSP企画、カマウチヒデキ写真展『1/2 叙情寫眞』が始まっている。僕があさってからギャラリー・マゴットで開催する個展『重力と叙情』に合わせて、タイアップ企画のような感じで企画して下さったのだ。内容は昨年9月にライムライトで展示した中村浩之氏との二人展『叙情寫眞』の、僕の部分の再展示だが、今回は兒嶌さんにお願いして写真の並びを全部変えてもらった。他人のディレクションの入った自分の写真っていうのをちょっと見てみたかったからだ。並び方を変えるだけで、ずいぶん雰囲気は変わるものである。ぜひ、前回『叙情寫眞』を見て下さった方も、もう一度ライムライトヘお運び下さい。
http://gallerylimelight.web.fc2.com/index.html

久々に自分の『叙情寫眞』を見て思ったことは、多少おこがましい言い方を許していただけるのなら、「ああ、35mmって自由でいいなぁ」ということだった。自分の写真を評して自由でいいなぁも何もないもんだが。(嘘。自分でいいと思うから展示をするわけである。おこがましかろうが、自分でいいと思うんだから、いいと言ってもいいのである。それはさておき。)
今回の個展は、さきに書いてしまうけど、全部スクエア・フォーマットのカラー写真である。カメラは6×6。レンズも75mm標準ばかりじゃなく50mmの広角レンズも使っているから前回より画角の変化もある(僕は35mmのカメラを使うときはほとんど標準レンズしか使わない)のだが、それでも何だか、一種の閉塞感というか、不自由な感じが拭えない。おそらくスクエアなフォーマットのせいだろうとは思う。あと、中判カメラの持つ独特の距離感も関与している気がする。35mmよりも焦点距離が長いので、同じ標準レンズを使っても被写界深度は浅くなるし、またそれが良くて中判カメラを使うわけだが、35mmほど描写のバリエーションが多くない。そんなこんなで不自由感を醸し出すのだろうと思う。
そういう「不自由なフォーマット」にしか描けない画がある、と思ってやってることではある。そういう言葉では意識していなかったが、今書いていて、そういうことなんだろうと自分で整理している。

というわけで明日、搬入。頑張っていい展示にします。
http://gallery.maggot-p.com/




  1. 2010/03/14(日) 23:54:41|
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イヤダカラ、イヤダ

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朝、自転車に乗って家を出た途端に雨がぱらついてきた。
職場まで電車で行くと往復550円もかかるので、すぐやみそうだったしできればそのまま強行で行きたかったのだが、すぐにやみそうな、しばらく続きそうな、と判断に迷った末に、未練がましく自転車を置いて駅に向かった。今月は雨が多かったし交通費が痛い。個展の準備のせいで今とても貧乏なのである。

電車の中でリュックに入っていた川上弘美のエッセイ集を読む。ああ、迂闊なことに残りが少ない。往路で読み終わってしまう感じだ。家に読もうと思って積んである本がいくらでもあるのに、帰りの電車の中で読むためにまた一冊買わなくちゃいけないではないか。ああ、もったいないなぁ。
やはり往路でその本を読み終わってしまい、帰りに駅前のブックファーストで安そうな本を物色する。同じ川上弘美で一番安い本を買うことにしよう。新潮文庫『何となくな日々』、エッセイ集、362円。
レジへ歩く間に、文芸雑誌の棚の前を通ったのが悪かった。いきなり目に飛び込んでくるカタカナ。
「イヤダカラ、イヤダの流儀」
あああああ、誰だ、こんなとこにこんな本置いたのは!
別冊太陽『内田百間』(本当は「間」じゃなくて「門構えに月」。こんな有名な作家の名前に使ってるんだから、さっさとwebでこの漢字を使えるようになってほしい!)。2300円也。
大体察しはつくだろうが、皆様のご想像通り、見たまんまやんけ、と言われようが何だろうが、僕は内田百間(しつこいようだが本当は「間」じゃなくて「門構えに月」)が大好きなのだ。ええ、隠しません。

痛いなぁ、2300円(もちろん買ってしまったのである)。

ちなみに「イヤダカラ、イヤダ」は1967年、彼が日本芸術院会員への推挙を辞退した理由。この年が僕の生まれた年であることが、意味なくちょっと嬉しい。



  1. 2010/03/13(土) 22:58:06|
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『重力と叙情』カマウチの在廊予定

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『重力と叙情』、カマウチの在廊予定です。

16日(火)ほぼ終日
18日(木)夕方から
19日(金)夕方から

19日の夜はレセプション、というか、飲み会というか(?)を予定しています。18時頃から。
差し入れ歓迎します。もちろん手ぶらでも追い返しはしませんよ(笑)。
また19時頃からゲストを呼んでます。オヤマ理穂子。三宮の駅前等でよくギター抱えて歌ってるお姉さんです。浅川マキや高田渡の歌をちょこっと歌ってもらおうと思ってます。
あ、もちろん写真の話もしましょうね!


  1. 2010/03/12(金) 22:35:42|
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夜の河

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4425290404/

別にそれがテーマというわけではないが、今回の展示のために川の写真をよく撮った。深い考えはなく、単に通勤で自転車を使うようになって毎日武庫川を横断するようになったからだ。
いつもはぎりぎりの出勤時間でただ橋の下を眺めながら自転車を漕ぐだけだけれど、たまに早く家を出たときや休日出勤で出勤時間が限定されないときなど、いつもとルートを変えて川に沿って走るコースにしてみたりする。
河川敷が広くて整備されているのでいろんな人が歩いている。水の流れというのはなぜか横を走っているだけで心地が良い。先日はヌートリアの群れも見ることが出来たし。

今日は仕事帰りに、この川岸を走るルートを採ってみた。夜は灯りが少ないので誤って川に落ちたりしないだろうなと心配したが、脇の車道から切れ目なく届く車のヘッドライトで想像よりは明るく、一応定間隔で街灯も立っているのでちゃんと走れた。
とはいうものの、自転車の走行に問題ないだけで、河川敷も川面もどっしりと暗い。
川岸に立つ樹木が影絵のように後ろに流れ、自転車のライトの中に暗い路面が走り、測道の車の灯りの明滅がいちいち水の表面に照り返すさまは映像としてとても美しかった。『沈降速度』のときにプリントした写真の薄暗いトーンを、もう一段か二段アンダーにした感じの風景が、流れてきては次々去る。ここまで深いトーンでモノクロ・プリントを作りたいなぁ、などと考える。

しかし心地よくダークトーンの光景に没入できたのは、それが到底三脚なしで写真を撮れないレベルの暗さだったからである。頑張ればなんとかなる、という暗さだと、なんとかして撮れないかとばかり考えて流れる映像にひたりきることができないと思う。撮りたい、という邪念が入ると心底風景を楽しめないものである。

そう考えると写真を撮る人って、ある面すごく損をしているのかもしれないと思った。
しばらく写真を忘れて風景を堪能するために、夜の河川敷コースにはまりそうな気がする。


  1. 2010/03/12(金) 00:38:23|
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武蔵

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吉村昭『戦艦武蔵』(新潮文庫)読了。名作と呼ばれるわけである。文句なしである。何か感想を書きたいところだが、新潮文庫の解説の磯田光一に全部言われてしまった感じなので、凄かった、と書くだけにとどめる。磯田の解説ともども、まるまる一冊が傑作だ。
ひたすら死をテーマに純文学作品を書き続けていた吉村昭が、この本を書いたことをきっかけに急に歴史小説家に転じた。一人の作家の作風を直角に曲げてしまった記念碑的作品。そりゃ直角に曲がりたくもなるだろう。こんなすごいのを書いてしまったら。




  1. 2010/03/10(水) 23:29:33|
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武庫ぬー

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4503934223/

今朝撮影。
知らなかったなぁ。武庫川にヌートリアがこんなに。
最初小さいカピバラかと思った(笑)。
毛皮を採るために輸入され、需要が減ると勝手に放し、今や水田を荒らすと害獣扱い。人間の勝手に翻弄されてきた大鼠。
武庫川での暮らしが安穏でありますように。


  1. 2010/03/08(月) 13:56:04|
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もういっちょ!

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4413256235/

搬入まであと一週間。なんか、もっとしなければならないことがあるはずなのに。
名刺を作ろうとデザインまでしたが、特急コースの金額を見て断念(貧
早く作ればよかった。ちっ。
展示の内容については、もうこれ以上考えないようにする。搬入の日まで、もう見ない。

次の日曜(14日)からライムライトで『叙情寫眞(1/2)』。これは兒嶌さんにお任せしてしまいます。
翌15日(月)がマゴット『重力と叙情』の搬入。16日から展示。
同時期にもう一つ、心斎橋・Acruの二周年記念の写真展に、フリッカー既出ですが、Acruの入口ドア越しにオムちゃんを撮った写真を出すことにしました。3月14日~4月10日。http://acru.jp/blog/information/733
来週は三カ所で展示だ(笑

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吉村昭の傑作との呼び声高い『戦艦武蔵』(新潮文庫)を読み始めた。冒頭からグイグイ読ませる。壮大・豪奢な積み木を積んで崩す物語。まだ途中だけど、史実として戦艦武蔵が沈没することは知ってて読むわけである。約束された結末に向けて、途方もない時間と労力と知識と金銭とが投入されていく。今から、末尾にあるであろう武蔵の沈没場面を読むのが怖い。全部読んでなくても、まだ半分にも達してなくても、これは凄い本だとわかります。唸る。


  1. 2010/03/08(月) 00:11:08|
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居直らない。

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禅問答的な写真のむずかしさについて考える。
なんて言いつつ、「禅問答」なんてちっとも知らないのだけれど。
サリンジャーの小説(何だったか忘れた)の冒頭に引かれている「両手を打って音が鳴る。鳴ったのはどっちの手?」みたいなやつね。要するによくわからないことに意味がある、って感じの「わかりにくさに居直っている」写真ってけっこう多い気がする。

写真は、放っておくと結局そういう袋小路に入りたがる、というのはわかる。「わかりやすい写真」を恥じて、わかりにくさの迷路にはまり込んでしまう、その「わかりやすさ」を恥じる気持ちは真っ当であると思うが、だからといってわかりにくければそれでいい、というのとは意味は違うだろう。

「わかりやすさ」を丹念に切り崩す、その過程が描かれていないと「わかりにくい」写真は意味を持たない。
100人に見せて100人がいいという写真には意味がないが、100人に見せて100人がわからないという写真も、やっぱりそれは違うんじゃないかと思う。

結局わかりにくさに居直っている写真も、わかりやすさに居直っている写真も、あまり面白くないね、って話です。
特定の誰かの話ではなく、もちろん自分の写真を含めて言ってるのですが。

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川上弘美『ゆっくりさよならをとなえる』(新潮社)読む。
う~ん、好きだ、この人。

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ギャラリー・ライムライトでの『叙情寫眞(1/2)』
http://limelight6.exblog.jp/12243301/
個展『重力と叙情』(ギャラリー・マゴット/3月16日~21日)に先駆けて3月14日(日)スタートします。





  1. 2010/03/05(金) 00:18:50|
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満月と増水

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4393615400/

昨晩いつも自転車で通る武庫川の橋の下の眺めが、川の増水で一変していた。夜見るといつも怪物の舌のように見える大きな中州が半分以上水没して、別種の、もっと頼りない妖怪の舌に見える。雨はもう上がっていて夜空は雲一つなく見事に冴え、中空に満月が浮かんでいた。川の流れは増水で荒々しいのに、上空はしんと静まりかえって煌々と月が明るい。妙な違和感のある、美しい光景だった。
自転車から降りてカメラを取り出すべきだろうか? と一瞬考えたが、結局そのまま止まらずに通過した。
怪物の舌が妖怪の舌に変わって川が荒れている、そのディテールを写そうとすると、橋の欄干にカメラを押しつけて数秒露出しなければならない。その間に、上空の満月が明るすぎて白い光のかたまりになってしまう。そういう計算がすぐに立ってしまった。
人間の目って、すごいAE機能を有してるんだなぁと改めて感心する。上空の煌々とした月は月としてとらえ、川面の妖怪の舌の暗さも瞬間で認識する。
肉眼で見て美しい景色が、写真にして美しいとは限らない。この景色は肉眼で見た方がかっこいいのだ。こういうものは撮らなくても良い。

・・・と、最近「これは撮らなくても良い」とカメラを構えるよりも先に頭が判断してしまうことが多い。それなりに長いこと写真を撮ってきた経験の蓄積の結果だといえば聞こえはいいが、書いていて自分でつまらないやつだとも思う。
長くやるということは、そういう不確定要素に頼る部分が減ってくるということである。自分の撮った写真に自分がびっくりする、ということが少なくなってきた。考えれば当たり前のことで、経験を積むということは、残念ながらそういうことである。
撮るものは変わっていくだろうな、これから。
そういうことも含めて、変わっていく自分の写真の、その変化自体を見せることも「写真」なのだと思うので、これからも定期的に展示活動は続けていきたいと思っています。何があっても写真はやめない。

さて、個展『重力と叙情』まであと二週間。

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吉村昭『死顔』(新潮文庫)読了。
同じく吉村昭『死のある風景』(文藝春秋)読了。


  1. 2010/03/02(火) 00:20:32|
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