OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

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ナダール! ナダール!

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大阪・心斎橋の写真ギャラリー・ナダール。間違いなく大阪の写真文化を牽引する役割を果たしてきたギャラリーです。
そんなナダールの10周年を祝う写真展『ナダール! ナダール!』(主催:「ナダール10周年を祝う写真展」実行委員会)が、8月10日(火)-22日(日)大阪ナダールで開催されます(16日[月]は休廊)。
私、カマウチも参加させていただきます。

僕の大阪ナダールとの関わりは、今調べてみたら(八久保敬弘さんや三島佳子さんの展示を覚えているので)2004年7月からということになります。もう6年。
僕が初めて「写真の展示」に参加するのは2006年に入ってからで、ナダールに通い始めてから1年半経ってからです。それまでの1年半の間は、ナダールでいろんな人の展示をほぼ毎週、ひたすら見ていました。2004年後半と2005年に限っていうならば、すべての展示の9割以上は見ていると思います。
「写真を人に見せる」ということの意味を、そのころ1年半かけてナダールで写真を見、考え続けていました。
自分でも写真を撮ってはいましたが、それは誰に見せるというわけでもない独りよがりなものでした。「写真を人に見せる」ということの意味、なんて簡単に答えの出る話ではないけれど、とにかく見切り発車でも行くのだ、と覚悟がつくのに、僕には1年半の期間が必要だったのです。

勝手に学ばせていただくばかりで、実は僕はそんなに頻繁にナダールでの展示に参加しているわけではありません(2006.2『ポートレート展』、2007.1『撮られたら撮り返せ』、2007.3『ポートレート展vol.2』、2008.2『写真機と写真』展)が、二度のポートレート展は今まで参加したグループ展の中でも、とりわけ思い出深いものです。人物を撮るという、もちろん今でも難しいテーマについて、深く考えはじめた端緒だったと思います。
今回は、二回目のポートレート展で出展した写真から1点、プリントし直したものを出したいと思っています。他の人がどう思うか、いや、写ってる本人がどう思うのかも知らないけれど、自分でものすごく好きな写真です。なぜ、とか、どういう風に、とか説明しろと言われても難しい。写真の謎は解くためにあるのではなく、ただ謎を積むために写真を撮ってもいいのだ、とも思う近頃です。



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  1. 2010/07/30(金) 00:48:57|
  2. 展示
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Aus den Fugen

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http://www.flickr.com/photos/kamauchi/4827123374/

古屋誠一の写真集を何か1冊は欲しいと思っていた。今日伊丹のANGERSの棚に『Aus den Fugen』(赤々舎)がディスプレイされていたので、ちらっと見たら手も目も離せなくなって、ちょっと傷んだ本だったが買う。欲しいと思ったテンションの高い瞬間に買っておかないと「今度別の本屋で綺麗なのを買おう」なんて思っていたら買えなくなってしまうものである。気に入る写真集ならいずれ自分の手で本が傷むまで読むだろうから、そんなこと気にしてはいけないのである。

ぞくぞく来た。
ページを繰る間、ざわざわしていた心が、最後の写真を見て裏表紙を閉じた途端に「しん」と音をたてて沈む。で、今もう一度渺々とざわめきが広がっていく。
寂しい写真集である。寂しい写真集といえばロバート・フランクの『BLACK WHITE AND THINGS』やダイアン・アーバスの『Untitled』だけど、同じくらいざらついた風が吹いている。
古屋誠一の妻クリスティーネが精神を病んで自殺したことを知っているから、だろうか? そうかもしれないが、知らなくても、このざらつきは理解されるのではないか。
写真の酷(むご)さ、冷たさ、容赦のなさ、切なさ、愛おしさ。
ざわざわした心がまだ収まりません。

http://www.akaaka.com/publishing/books/furuya-ausdenfugen.html

  1. 2010/07/26(月) 23:46:21|
  2. 写真
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蛇を踏む/饒舌なサイン/もうひと押しの何か

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■川上弘美に戻る。『蛇を踏む』(文春文庫)。芥川賞受賞の表題作と他2編、全部面白かった。「フェミニンな内田百間」(松浦寿輝)か。むーなるほど。内田百間よりかなりポップで、あの底冷えのする怖さはないが、一見軽そうに見えて言葉は下手な意味づけの入る余地がないほどに磨き倒されている。明晰にして堅固。凄いなぁ。■ついでにエッセイ集『此処 彼処』(新潮文庫)も読む。■ブルームギャラリーで窪山さんに白岡順氏のプリントを見せてもらう。プリントの裏に鉛筆で撮影年、場所、漢字の名前、のみならず、自分の住所までびっしり書き込んであった。あんな情報量の多い「サイン」を初めて見た(笑)。なんか感動。■白岡順と自分を比べるのもどうかとは思うが、白岡氏だけでなく、最近いろんな人の巧いプリントを見て、自分のプリントがちょっと地味すぎるような気がしてきた。眠&暗いプリントが好きだと言っても、どこかにある種の冴えのようなものがないとつまらない。技術というより、印画紙を変えてみるとか、そういうレベルの話のような気もするし、やっぱり自分の技術が足りないのだ、という気もする。もうひと押しの何かが要る。■体がグダグダに疲れている。551のアイスキャンデー、とか、ダイエーで売ってる10本入り194円のソーダバーとか、そんなもんばっかり食ってる。夏はこれからなのに。

(註・・・内田百間の間は本当は門構えに月)




  1. 2010/07/22(木) 00:21:15|
  2. 写真
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大岡昇平他読書の記録

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■天牛堺書店で買った大岡昇平の古書3冊。『昭和末』(岩波書店)、『凍った炎』(講談社)、『大岡昇平音楽論集 』(深夜叢書社)。■『昭和末』は遺稿集なので、テーマもへったくれもなくバラバラ。談話から新聞に寄せた短文までゴッタ煮に詰め込んであるので、集中して読めない。残りは睡眠導入用に寝床で読むことにする(あと1/3)。■『凍った炎』。メリメの短編『マテオ・ファルコーネ』から詳細なコルシカの歴史に筆が降りていき、ナポレオンへ向う、詳細で、しかしちょっと退屈なエッセイ。中盤すぎてやっと面白くなってきたが、正直前半は苦行のような読書であった。「面白くない読書」には二種類ある。本自体の品質に問題があるものと、品質は上等だが現在の僕の嗜好にたまたま合致していないもの、である。やっかいなのは後者で(まさにこの本なのだが)本自体に罪がないだけに中途で放棄する勇気が持てないのである。無理矢理ねじ込むように読破。無駄ではなかったが、しんどかった(笑)■この流れだと三冊目の『大岡昇平音楽論集 』も怪しい感じだなぁ。しばらく手をつけずにいよう。■あと高見順詩集『わが埋葬』(講談社)。う~ん、好みではない。■アンナ・マグダレーナ・バッハ『バッハの思い出』(ダヴィッド社)。これ、バッハの奥さんが書いたってことになってるけど、実は嘘らしいね。読んでて「嘘ぉ!?」と思うような描写があって、ウェブで調べてみたら海外では著者名が伏せられてフィクションとして読まれている、という記述を発見。やっぱりなぁ。というわけでこれも中断する(面白いのは面白いので、後日続きは読むつもり)。■最近わくわくする読書をしていないなぁ。まぁ、そういう時もあっていいよね。写真と同じだ。いつも楽しいとは限らない。でも撮る。でも読む。


  1. 2010/07/15(木) 00:38:28|
  2. 読書狂
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カラー写真

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三月の個展『重力と叙情』の写真に、同時期に撮った写真を増補して、自家製本で写真集を作っている。昨晩綴じの作業をして、背固めをして乾かしてある。さてどんな表紙をつけようかと考えているところ。

最近はずっとモノクロなので、自分のカラーの写真を久しぶりに見た。綴じてから通して見た感想は、残念ながら「あれ? なんか古っぽいな」だった。
展示の準備中はいったいこの写真たちが「個展」に相応しい質に達しているのかどうかよくわからず、確信のないまま搬入に臨んだ。が、6日間の展示中、毎日壁面を見るたびに徐々に愛着が育ち、会期を終わる頃にはこの展示はこれで良かったと思えるようになっていた。「展示」としての『重力と叙情』は、僕としては成功だったと思っている。
なのに、製本してみたら、写真が古びて見えた。写真が古びて見えた、というのはちょっと違うかもしれない。それを撮った僕のことを、なんかかなり昔の自分のように錯覚してしまった、ということ。今もずっと写真を撮っている自分と、近い地続きの自分、という気があまりしなかった。

これは僕にとっての話で一般化していいのかどうかわからないのだが、カラー写真の場合、そのときそのときの心象を表現するのにはモノクロより適していると思うのだけれど、時間が経つと、急に離れていくような気がする。間違っているかもしれないが、色は時間軸から逃げられず、モノクロは逃げ遂せる。色はいつもあの時あの場所の色だけれど、モノクロは時間軸からも撮影場所からも離れていつでもないどこでもないものになる。
人によってはモノクロの方こそノスタルジーの領域だと感じるかもしれないが、どうやら僕は違うみたいだ。色を放棄することは、その写真を特定の時間・場所から解き放つ手段である。僕にとってはノスタルジーから一番遠いところにある。

そんなことを言って、僕の展示でカラーが多いのは、展示という限られた時間(会期)を考えれば、「そのとき」を表現しなければ、という観念があるからではないかと思う。そのときの自分の感じ方をストレートに出すには、僕にはカラーが向いているらしい。
今は中途半端に経年感を感じている『重力と叙情』のカラー写真が、逆にもっと時を経たときにどういう「時の記録」となっているか、興味があるので、『重力と叙情』を写真集にして残すことにはちゃんと意味はあると思うのだけれど。


・・・・・・


あ、でも自信ないな、今日の文章(と、夜になってから気弱に追加するのであった)。




  1. 2010/07/10(土) 07:02:23|
  2. 写真
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梓書院の社長にチューしたい!

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快挙です!
九州の出版社・梓書院があの野呂邦暢の傑作『諫早菖蒲日記』を再刊!
今朝寒竹泉美さんが教えてくれました。もう5月に出てたんですね。知らなかったなぁ。
再三ここで野呂邦暢のことは書いてるから(例えば→これ)繰り返しません。読んで欲しい! 僕はこの小説が、本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に好きなのです。
梓書院様、ありがとうございます。僕は『野呂邦暢作品集』(『諫早菖蒲日記』を収録)も持ってるし、2800円(!)出して文庫も古書で持ってます。が、買います! 嬉しいです!
さ、みなさんもamazon.co.jpヘGo!
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4870353784/

社長、ついでに『落城記』も再刊してくださると、もっと嬉しいです(笑)。
  1. 2010/07/06(火) 07:53:36|
  2. 読書狂
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