OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

200字小説(8) 『蝉』

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■蝉■

毎年梅雨が明ける頃扉を閉ざしてしまう裏手の中年男は蝉を悪魔か何かだと思っていて、暑い季節なのに布団を引っ被って暮らしている。何でも子供時分に死んだ蝉を蹴飛ばしたらバラバラに砕けて蝉の体がほとんど洞(うろ)なのを知って以来だという。ただ鳴くための筒みたいなものが生きているなんて正気ではないと震える。人間だって食って糞するだけじゃないですか、と言っても彼は聞かず「それでも人間は筒ではない」と涙ぐんでいるのだ。
(200字)


  1. 2011/07/22(金) 14:54:24|
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颱風が来た

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撮ってたら足を掬われるほどの風が来てます。



  1. 2011/07/20(水) 00:11:50|
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武庫川・夜

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  1. 2011/07/18(月) 10:50:46|
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不自由さに目をこらす

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タントテンポでレビュー・サンタフェの話など聞く。さ、僕も海外を目指すか。なーんてね。無理です。大阪で展示やるだけで経済的に手一杯(今でも溺れかけ)。

写真家が海外へ出て行く理由、それはもちろん日本の「写真界」が狭く閉じているからである。写真に関わる者しか写真を観ず、写真に関わる者しか写真を批評をしない。外からの観客も評価軸もない。これを称して「蛸壷的」という。
たしかにそうだなぁと思う。写真は写真でしかなく、もっと広い「アート」としての枠組みから写真を見る俯瞰の風通しがない。

ただ、僕はすべての写真をアートの文脈で語らなければならないとは思わない。アートだか何だかよくわからん、てのも写真の魑魅魍魎的鵺的存在のあり方であって良いのではないかと思っている。
ただ、サンタフェ/アルル的コンテンポラリーアートとしての写真も、もちろん嫌いではないし、そういった方法論先行で写真を撮るのも好きだし、自分でやってみたいとも思う。今まで通りの「蛸壷」写真活動は僕の地盤として持ちつつ、アートの文脈に入っちゃった、みたいな写真を目指すのはいいかもしれない、などと虫のいいことも考える。

僕が「蛸壷」の中の写真を捨てられないのは、やはり蛸壷は蛸壷の中で熟成されてきた技法や文法や諸々の成果というものがあり、やはりそれを素晴らしいと思っているからで、それを「狭い・古い」と捨て去る気になれないからだ。
アートという大きな枠組みに入るために、何も従来の「蛸壷についた水垢」をすべて捨てる必要はないのだが、親方のアート側から見たらそういう些末な技法論や、写真独特の叙情性が目障りに思えるのだろうか。アート側に踏み出していく写真は意識して言葉に依り、写真的衝動性のようなものを軽視する傾向があるように思う。
写真という独自の蛸壷で醸成された技術や思想や反射神経を、そのまま持ってアートの領域に踏み出す、そういう道筋がもっと王道であっていいと思うし、そういう道を行けるなら、その方途を探ってもみたい。
タントテンポで観たオサム・ジェームス・ナカガワの「廻」は、まさにそういうものだったなぁと感嘆。生と死の循環という古典的かつ根源的なテーマを扱い、銀塩写真という「古い」技法で極上の美しさを作り、家族の写真という一見アートとは対極にありそうなものなのに、ちゃんともっと広い何かを俯瞰して見せられている気になる。素晴らしい写真だった。

最近ほんとに思うのは、写真って自由だな、ということ。いや、現状、不自由なんだけど、とことん自由であって良い、と、最近すごく思うんです。
だから、僕だって「写真」の古いルールに縛られるのはつまらないし、できるなら脱したいと思っている。
そして逆に「アートのルール」で縛られるのも楽しくないし、そういう意味で「アートでなくても良い自由」も確保したい。
「自由」って、なんかとらえどころのない言葉だと思っていたけど、最近なんか、ちょっと言葉のシッポが見えてきたというか、いや、というよりは自分の不自由さがわかってきたというか。
自分の不自由さを凝視すること、そこから抜けようと足掻くこと、というのがコンセプトであって良いなら、僕のはそれだ。そういう風に写真と付き合う。


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  1. 2011/07/11(月) 14:06:57|
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夏なんです

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武庫川風景。





  1. 2011/07/10(日) 16:31:55|
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南塚口のタンゲ君/白くまの季節/恵文社&六曜社

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南塚口のタンゲ君。良い面構え。
昔職場の駐車場に住んでいた「産所町の親分」を思い出す。


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白くまとはかき氷のことだ、こんな棒アイスなんか白くまと認めないっ! という人もいるでしょう。
しかしここ数年ですっかり棒アイスの、氷と関係のない白くまも定着したように思います。
フルーツと小豆をミルクアイスの中で共存させるというアイデアは素晴らしい。
僕はセンタンの白くまが好きです。


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久々に京都へ。
京都は暑い。冬寒く、夏は蒸す、あんなところには住みたくない。
が、恵文社と六曜社だけはうらやましい。
自分の住んでる町にあんな本屋とあんな珈琲屋があったらどれだけ楽しいだろう。

・・・・・・

小板橋二郎『ふるさとは貧民窟(スラム)なりき』(風媒社)、上原義広『私家版差別語辞典』(新潮選書)等読了。買い込むばかりで読む方はなかなか進まず。











  1. 2011/07/06(水) 00:43:05|
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200字小説(7)『契る』

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■契る■

聖母みたいな名前の古文の教師が「契る」という言葉を、非常に形式的に「かたわらに杯を置いて将来の約束を」と説明するのに、後ろの席から「単純にセックスするっていう意味じゃないん?」と茶々が飛ぶ。教壇の彼女は言葉が出ず下を向いて黙り、僕は黙り込んだ先生を美術の時間の課題用にクロッキー帖に描く。美術教師にそのクロッキーを見せると美術教師は「あんまりマリアちゃん苛めたらいかんよ」と苦笑いした牧歌的な思い出。
(200字)



  1. 2011/07/04(月) 07:08:11|
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200字小説(6)『暗室にて』

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■暗室にて■

暗室にゴキブリが出た。退治し損ねて棚の裏に逃げられたので、ゴキブリホイホイを二つ仕掛け、そのまま真っ暗にしてリールにフィルムを巻き始めた。はじめは警戒していたらしく何の音もしなかったが、四本目のリールを巻き始める頃、カソカソとヤツが移動する音が聞こえた。完全暗黒の三畳の暗室で、僕とゴキブリがお互いの気配に神経を尖らせている。鼓膜と触角がお互いを探り、皮膚がピシピシ共振する。この感じ、嫌いではない。
(200字)


  1. 2011/07/02(土) 07:30:10|
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200字小説(5)『袋の話』

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■袋の話■

人が刺されたところ、映画以外で見たことあるよ。外で騒ぐ声がするから窓から下見たら、喧嘩でたぶん脇腹を刺されたみたいで、ズボンがね、血で袋みたいに膨らんでたよ。人間って袋でしょ、って誰かが書いてたの思い出して、ああ、ほんとだ、って。袋から袋へ血が移動したんだって、いや、大変なことが目の前で起きてるんだけど、なんでか冷静に見ててさ。救急車と警察が来て、運ばれるときにズボンの裾から血がどばっと出た。
(198字)



  1. 2011/07/02(土) 07:14:32|
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