OK,Darling. But What is Photograph?

だから写真って何なのよ/カマウチヒデキ

すべての風景に意味が立ち上がってくるよりも速いスピードで立ち向うのだ

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内田樹『街場の文体論』(ミシマ社)に出てくるアナグラムの話を読んでいて、人間は言語化という形で自分の中に世界の有り様を配置完了する直前に、膨大な視覚(に限らないだろうが)情報を一瞬のうちにスキャンしているのだ、という部分、じゃあアンリ・カルティエ=ブレッソンなんて視覚情報を言語化するのと同じ速度でライカを操っていたんじゃないか、なんてちょっと脇道に逸れたところで感心してみたり。
脇道に逸れたところで、なんて書いてはいるが、全然冗談ではなくて、達人ブレッソンでなくても、たとえば凡人カマウチにおいてさえ、同じ被写体に複数回シャッターを切るときに、相当な高確率で最初のコマの方が面白い、というのがあるのです。
スキャンしたての意識化される前の情報がカメラを持った体と共謀して写真を撮りに行く、とでもいうか。言語の統制を受ける前の1回目のシャッターは、脳内に染みついてしまっているある種の小賢しさ、手癖、のようなものから逃れ得る可能性を秘めているのではないかと。
1回シャッターを切ったあとに、もう一度カメラを構え直すときには、もう今までの経験という邪魔が入るんですね。

すべての風景に、意味が立ち上がってくるよりも速いスピードで立ち向かえたら、写真はずいぶん面白くなるんだろうなぁ。





  1. 2012/09/24(月) 23:00:15|
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結局写真って

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何だろか。



  1. 2012/09/24(月) 00:20:01|
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檻の隙間を覗く

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言語でしか僕らはものを考えることが出来ず、言語に依ってしか世界が見えないというのに、その言語自体は常に言語化以前の混沌に憬れ、その混沌を注視している。
言語は世界を構築する柱であるとともに檻でもある。
言語の檻から出ることはできないけれど、檻に隙間があることはわかっている。
写真は、その隙間を掬う手段の一つであると考える。



  1. 2012/09/22(土) 01:16:04|
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こける

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ただでさえ五十肩?で両肩を痛めている上に、今朝駅前で転倒して左腕を強打した。
45歳の反射神経である、ということを自覚しなければならない。




  1. 2012/09/12(水) 01:45:57|
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屋我地島/那覇/今帰仁

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  1. 2012/09/02(日) 02:48:20|
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