
ひところよく読んだシモーヌ・ヴェイユの本の中に、今でも美しく思う「祈り」に関する言葉がある。
「神に祈る。人から離れて静かに祈る。神は存在しないと思いつつ祈る」
神は存在しないと知りつつ、しかし祈ること自体をやめない。これが「祈り」というものの正しい姿だろうと思う。
とても美しい言葉だから、いろいろな意味を乗っけられがちだ。
神は存在しない、しかし、存在しないからといってそこで祈ることをやめても仕方がない。動かない壁を前にして、それでも動けと祈り続ける力がいつかその壁を突き崩す力になるのだ、等々。
シモーヌ・ヴェイユ自身も他のところでは似たようなことを言ってるのだが(「神の無関心を知れ。徹底的な隔たりを知れ。その理解の上にのみ、その大きな隔たりを通して一つの穴があく」など)、むしろ「穴があく」ことなど何も期待しないで祈ることの方が、僕は正しい「祈り」の姿勢じゃないかと思うのだが。
存在するかしないかはさておき、神は徹底的に我々に対して無関心である。そのことは知っておかねばならない。
知った上で、でも一人で祈るのだ。神様なんかいないんだけど、と思いながら。
普段は僕はこういう風に思っているので、当然のことながら僕は信心深い人間ではない。一般的な意味での神仏は信仰しない。
一つの文化として尊いと思っているので寺や神社に行けば賽銭は投げるし手も合わせる。気が向けばおみくじを引いたりもする。が、それは信心とか信仰とかいうようなものではなく、あくまで慣習的なものでしかない。おみくじで凶を引いたからといっていちいち気にしてたら生きていけない。
僕は自分に幸福な出来事が訪れますように、というような願いを神仏に訴えるようなことはしないし、神様ってそんな御用聞きみたいなもんじゃないだろう、と思う。
・・・・・・
こんな書き出しのくせに、ある願掛けがあって、仕事を半休して南大阪にある寺に出かけた、という話をする。詳しくは書かないが、願掛けとはヒナコに関することだ。
電車で1時間半、小学生の頃、その近くに住んでいたので名前くらいは知っていたが、参詣するのは初めてだった。
不動明王の寺で、日本三大不動の一つ、なんてパンフレットに書いてある。知らなかったな。
願掛けに電車を乗り継いで寺院に参る、なんて、今までの自分では考えられなかった。
「神様ってそんな御用聞きみたいなもんじゃないだろう」なんて言ってる人間が、である。
御守りを買い、護摩木を書き、祈祷料を払って護摩供の法要を受ける。
火が焚かれ、良く通る低い声で誦経が始まる。「形振り(なりふり)構わず」という言葉を思い出し、一生懸命祈っている自分の姿を一瞬自嘲するが、すぐにそんなことはどうでもよくなって、太鼓と誦経の声に心を寄せていく。
中央の壇で次々と火が焚かれる。
僧侶は火を焚く人、誦経をする人、誦経の補助(コーラス要員)の三人だが、誦経の人は途中から大太鼓の前に席を移し、力一杯叩きながらの誦経になる。芸として、実に見事である。太鼓奏者としても相当の腕前だ。その「芸」と迫力に感心する。聞き惚れる。
信心とか信仰とか、それは認めるか認めないか、あるかないか、を問うものではないと思う。
ただそこに心を寄せてみる。本当に必要なのは誦経でも太鼓でも火でもない。結果的には触媒となるものは何でもいいのだ。一点に向う心の道筋をつけてくれるだけの役割でしかないのかもしれない。
火を見つめ、太鼓の振動に身を預けながら、実際に何かが祓われていくのを感じる。祈りながら、気持ちの芯が静まりかえっていく。
ここで文章の最初に戻る。
神は存在しないと思いつつ祈ること。
もちろんこの世には神もいなければ悪霊もいない。火や誦経で祓うのは悪霊などではない。一心に、一点に、心を向けること。それが祈るということだ。
祈っても御利益なんかないし、悪い何かが消えてなくなるわけではない。
ヒナコのことでの願掛けで不動参詣に来た、ということ自体すでに矛盾しているというか、正直意味などないことだとわかっている。むしろそういうことをわかっていながら来てしまうということは気休め、もっと言うならば問題の所在をうやむやにしてしまう卑怯な行為かもしれない、とまで思ってしまう。
しかし問題が自分の手ではどうにもならないことである場合、ではどうするべきなのか?
やはり祈るしかないだろうと思う。神は存在しないと思いつつ。護摩供に意味なんかないと理解しつつ。一心に祈れば願いは成就するなんてまったく嘘であると理解しつつ。でも一心に心を向ける。
・・・・・
支離滅裂なことを書いてきた。自分でもよくわかっていないのだった。見返りを求めずに祈るということの意味を、つかまえきれずにあがいている。
しかし不動明王の御加護があってか、まったく無関係になのか、懸念されたヒナコのある問題が快方に向かった。神仏に祈ったことが功を奏した、などという結論にしてしまったら今まで書いた文章が無意味になってしまう。また、今までの主義主張を曲げて不動明王に参拝までした自分の手柄を誇るような勘違いも馬鹿馬鹿しい。
が、理由はともあれ、何かに礼を言いたい気持ちでいっぱいなのだ。
礼を言わせてくれ。不動明王。やるじゃん!
ここまで真面目に書いておいて、こういうオチか、とか怒らないように。
この文章のほとんどは昨日書いていたのだが、検診での好結果を聞いて最後を付け足したというわけです。
ヒナコ、お前には不動明王がついてるぞ!
言ってること、全然違うやん(笑)
- 2007/01/30(火) 20:39:50|
- 日々
-
| トラックバック:1
-
| コメント:14
すでに女らしい指先にドキッとしてしまいました。
自分以外のことで、それほどに懸命になるということ。
すごいですよね。
親になるということは・・・。
願う、祈る・・・。
神を信じるというより神を借りて自分を振り返る、信じる・・・。
自分のココ (胸)に手を合わす。
ワタシはそういう感覚でいます。
あ、つい長々とすみません。
かわいい指に嬉しくなっちゃいました♪
それと、「百均」いや「技術」の記事に関連して
こちらで「大好きな写真家さん」ということで、少し引用させてもらいました。
事後報告ですみません・・・。
何か、不都合ありましたらお知らせください。
- 2007/01/30(火) 22:40:38 |
- URL |
- カオリN #Rbg8FEoo
- [ 編集]
こんな滅茶苦茶な文章にコメントありがとうございます(笑)
誰からもコメントなければ消そうかと思ってたんですが、コメント入ってしまったので残します。支離滅裂、すみません。
ヒナコの指は長いです。というより、まだまだ痩せてるから肉が足りなくて長いだけかも(笑)
・・・
神を借りて。あ、そうか。そういう言い方もアリですね。なるほど。
それも参考にもう少し考えてみます。
引用? 全然okですよ。はい。
- 2007/01/30(火) 22:54:27 |
- URL |
- カマウチ #7HtI5gQY
- [ 編集]
いつも願っていますよ。
ひなこちゃんとタイキのこと。
私のことでなく。(3番目かなw
母が言いました。
ある寺に一本の木があって
その木に願えば必ず一個、願いが叶う木がある。
そこで願ったら、叶ったなぁって。
その時私は、何を願うか考えました。
そして母に聞きました。
「たった一つ願うなら、何を願うか?」って。
そしたら、「あなたの足が治る事。」と母は言いました。
私はというと、「タイキが幸せでいられるように。」と願いました。
人は、自分のことよりも
大切な人のことの幸せを思って生きてるほうが
自己満足だとしても、幸せではないかなと思います。
誰かの為に願い、祈ること。
それは決して、あざとい行為ではないと思います。
いないかもしれない神に対してだったとしても。
祈りは通じます。
可能性を信じているかぎり。
治すってあきらめないかぎり^^
- 2007/01/30(火) 23:28:00 |
- URL |
- byrd* #5lDkBym6
- [ 編集]
バドちゃんの足、僕も祈っとくよ。
僕は本当は自分のことばっかり考えてる人間なんだが(笑)
さすがに子供出来たら変わるな。
変わらなきゃ大変だしな。
- 2007/01/31(水) 00:00:12 |
- URL |
- カマウチ #7HtI5gQY
- [ 編集]
ヒナコちゃんの指・・見た瞬間、彼女は将来ピアニスト♪〜って思いました〜。
カマウチさんの書いていること・・お気持ちが・・全部ではなくとも・・・とてもよく伝わってきます。
そんな時期の有った私自身を思い出しています・・がんばって!
- 2007/01/31(水) 09:27:13 |
- URL |
- touno #3j7USoYo
- [ 編集]
そうかー。そうだねー。そういうもんなんだろうねー。
- 2007/01/31(水) 20:26:13 |
- URL |
- カマウチ #7HtI5gQY
- [ 編集]
ピアニストですか。金かかりそうですね(笑)
プロでなくても好きな曲を好きな風に弾ける程度の腕を得られれば幸せですよね。
- 2007/01/31(水) 20:27:56 |
- URL |
- カマウチ #7HtI5gQY
- [ 編集]
嗚呼・・
最近は全然「祈る」なんてことしませんねぇ
っていうよりなんだかそういった局面に対して何らかの「忙しい」ことをでっち上げてそれに没頭してしまいます・・・
娘のときもそうだったような・・
逃げですね。
なもんで、素直に祈れる人は強い人だなと感じてしまいます。
- 2007/02/03(土) 22:03:38 |
- URL |
- 払ラ #-
- [ 編集]
風水と明王の記事を追加いたしました。ご参考になれば幸いです。
- 2007/02/21(水) 19:47:59 |
- 風水日記−金運・幸運・大開運