
最近たまたま、昔働いていた食品工場の近くを通りかかった。
業務用のマーガリンやパイ生地なんかを製造する工場で、働いていたのは僕が22〜23才くらいだから、もう17年以上たつ。
ちょっとその前後の話を思い出しながら書いてみようと思う。
・・・・・・
大学を辞めてしばらく中津のカンテGで働いていたのだが、大阪花の万博(1990年)のパレードスタッフをやらないかと誘われ、カンテより給料が良かったことに惹かれてあっさり転職した。アイフルのパレード隊でダチョウやゴリラや象のリアルなぬいぐるみに入って踊る仕事だ。当時僕は23才。
ぬいぐるみといってナメてはいけない。象なんか30kg以上ある。それを、前足の役と後ろ足の役、二人一組で演るのだが、前足役の人は応援団の旗持ちの要領で腰から太い棒を介して象の頭を支え、後ろ足役の人間は頭部の重さを分散させるためにお尻の方へ体重をかけながら歩く。2人のコンビネーションが大事で、相性の悪い人と組むと地獄の苦しみを味わう。
一番相性が悪かったのはN君という、中学卒業したての15才の少年で、なんでやねん! というくらい、彼との象は駄目だった。華やかなパレードの音楽にかき消されているが、象の中では僕とN君の怒声が常に飛び交っていた。
「後ろ、もっと体重かけて!」「引っぱりすぎ!」「ああもう!」
逆に相性の良かったのは同い年のS君。彼が頭、僕が後ろ足のときのコンビは最高だった。30kg、つまり1人あたり15kgの重さに堪えながらスキップが踏めた。
花博というのは4月〜9月の半年だったから、その年は暑い季節の間ずっとぬいぐるみに入って過ごしたことになる。その夏は猛暑で、気温が36度を越えることはしょっちゅうだったし、最高は39.4度(当時大阪の観測史上2位!)。36度といっても、会場内温度は常に40度を越え(最高気温の日は44度!)、路面温度は60度以上になった。
そんな中でぬいぐるみに入るのである。1パレード30分を1日3回。
象に入るときには首からかけられる紐の付いた布の袋を渡される。中には塩漬けの梅干しと、粗塩が入っている。
「気を失いそうになったら舐めろ」
実際にパレード中に倒れたことはなかったが、終了直後に気を失ったことは二回あった。「目が回る」という言葉の意味をはじめて本当に体験した。世界が回って、暗くなる。
もう時効だろうから書いてしまうと、当時箝口令が敷かれたが、花ずきんちゃんに入っていた男の子が熱射病でパレード中に倒れ、病院に担ぎ込まれた。その後数週間入院したらしい。それくらいの酷暑だった。
カンテで働いていた頃の月収は12万円くらいだったが、パレードの仕事は手取り15万くれるという。その差額3万円に惹かれて飛び込んだのだが、すぐに浅はかさに気がついた。
とにかく体力を消耗する。1パレード終わるたび、長袖トレーナーを絞ると音を立てて路面に落ちるくらいに汗をかく(何回もTVの取材が来て「この夏一番つらい仕事」として紹介された。TVの前で何回トレーナーを絞らされたかわからない)。
とにかく食わなきゃやってられんのだ。食わなきゃ倒れる。とにかく食費がかかった。
カンテで僕は朝番の仕込み隊だったので、朝、昼とカンテで飯を食う。つまり、ほとんど食費がかからなかった。それが、パレードの仕事についてから朝昼晩と腹一杯食うから、差額の3万円なんてあっという間に食費で霧散してしまう。
結果的にカンテ時代より貧乏になった。
今から思えば、同じパレード隊にDonDokoDonの山口智充(ぐっさん)がいた、というのは余談。彼はぬいぐるみじゃなくて船員の格好をして船の形をしたフロートに乗っていた。
・・・・・・
花博は半年だから、9月末をもって自動的に退職となる。僕は花博の下請けの企画会社の社員という身分だったのだが、花博スタートから半月遅れて参加したため就業期間が半年に二週間足りず、失業保険がもらえなかった。
とにかく次の仕事を探さなければならない。
そんなとき、カンテ時代に知り合ったAさんという服屋の社長がいて「飲食店やってみたいんやけど、カマウチ君、いっしょにやらへんか」と声をかけてくれた。
阪急・庄内駅の近くでピザ屋をやろう。ランチタイムはピザ以外の食べ物も出そう、と、場所も決まり、僕もいろいろ食べ歩いて味の研究をしたり、試作を重ねたり準備をしていたが、開店するまでの生活を保障してくれるわけではないので、それまでは生活のために仕事をしなければならない。
元々少ない稼ぎをほとんど食費につぎこんでいたので蓄えなどあるわけがなく、Aさんとの飲食店の話で悩んだりしている間仕事をしていなかったので、まったく生活費が捻出できなくなった。
本来ならピザ屋開店準備のために、どこかピザ屋に修行がてら働きに行く、というのが当たり前の道筋だろうが、銀行のカードローン通帳で借金までしているので、とにかく手っ取り早く金を稼がねばならなかった。
・・・・・・
で、冒頭に書いた食品工場に飛び込むことになる。
「日給8000円!」
当時これは破格のアルバイトだった。
長くなったので以下次号。
- 2007/07/31(火) 21:00:20|
- 日々
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0