
拘束時間はやたら長いが、実際写真を撮ってる時間はほんのわずか。合間合間がたいそう暇な、某公共系会館の婚礼の仕事。
読みかけてまだフィニッシュしてない本を持ち込んで合間に読む。
●福田恆存『私の幸福論』(ちくま文庫)
福田恆存って、新潮文庫のシェイクスピアを訳してる人、としか知らなかったが、中野翠があまりに誉めるので読んでみた。
なるほど面白かった。昭和30年前後に女性雑誌に連載されたもので、若い女性向きに仕事、恋愛、結婚、性、家庭、教養とは何か、などと、一見易しそうな語り口で、実は相当難解なことを書いている。昭和30年の若い女性、本当に理解できたのだろうか? 教養についてのくだりなんか、かなり難しいんだけれど。
「幸福論とは不幸に耐える術であるべきだ」なんて言う人である。いきなり第一章から「美醜について」で、生まれもった容姿のまずさは仕方がない、とくるから、連載当初から読者の反発もあったらしい。
あまり本の内容とはさほど関係のない・・・・関係なくはないけど、いささか低級に引き下ろした上で「幸福論とは不幸に耐える術であるべきだ」という論旨に賛同して言うのだが、世の中みんな「幸せになりたい」とか、幸せ、幸せって言い過ぎじゃない?
幸せって、あくまで比較級の話なんだから、それ相応の不幸も同時に背負ってないと「幸福」を実感できないはず。幸福を感じるためには基準となる「不幸せな状態」が必要ですよね。
でも「それ相応の不幸になろう」と声高に言う人はいない。
でも周りにいる知った人を見ても一目瞭然でしょう。生まれてからずっと順風満帆に来て一度もコケたりしなかった人って、やっぱり薄っぺらくて面白くないもの。
みんな、ちゃんとそれ相応の不幸も背負わないとね。
「幸福論とは不幸に耐える術」。凄いなぁ。
●丸谷才一『ゴシップ的日本語論』(文春文庫)
丸谷才一は決して嫌いな人ではない。批評家筋には評判の悪い『忠臣蔵とは何か』も僕は楽しんで読めたし、福武文庫から出ていた評論集『鳥の歌』は大好きで、今まで四読、五読くらいはしている。『桜もさよならも日本語』等の日本語に関する本も何冊も読んだ。
でも、久しぶりに書店で目にとまって買ってみたこの『ゴシップ的日本語論』、講演や対談を起こしたものばかり集めたいい加減な編集本であるという点をどけても、なんだか失礼ながら、第一章、第二章あたりを読んだ時点で、感想は「この人、まだこんなこと言ってるのか」だった。
十年持ちこたえれば、流行言葉も立派な日本語である、と思う。旧仮名じゃないと言葉、単語の来歴がわからなくなる、とか、以前は丸谷さんの主張をそれなりに信奉していたのだが。
今は「 <ら抜き> の方が正しい」、とすら思う。死んでまだ百年も経たない夏目漱石の文章すら今僕らが使っている日本語とはかなり違うわけだし、いくら玄人筋がわめいても、日本語はやっぱり日々変化していくのだ。
というわけで、読むのやーめた。
あ、昭和天皇の言語能力に関する考察の章は面白かったけど。
●小川洋子『物語の役割』(ちくまプリマー新書)
前に友人のヤマナカさんから借りて読んだ本。面白かったので最近自分でも買った。
第二部「物語が生まれる現場」は、小説家に限らず、自分で何かものを生み出そうとする人すべてに参考になると思う。いい本です。というわけで第二部のみ再読。
・・・・・・
夜『町猫』の搬入。
あさって10月30日火曜日からです。みなさまよろしくお願いいたします。
『町猫』
- 2007/10/29(月) 01:05:40|
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- 2007/12/31(月) 10:20:22 |
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