
コンセプト、だとかテーマだとか、そういうのは苦手です。
すべてアートは言葉で説明する必要がある、というのが、そもそも違うと思うのです。
写真ギャラリーに行くと、「作家さん」が聞きもしないのにテーマを語ってくれたりする。
「他者とのナントカ」とか「関係性の虚構がドウタラ」とか、なんかさぁ、タシャとかキョコウとか、無理矢理いかめしい言葉探してないか? なんて思ってしまうんですよね。
もちろん、写真の力を最小限の言葉が効果的に補強する、写真と言葉、双方が支え合う、理想的な関係を結べている作家も少なからずおられるのですが、写真だけ見てればかっこいいのに、余計な言葉で逆に自分の写真を狭い檻の中に囲い込んでしまってる人も多いように思います。
使い古された言い回しで恐縮ですが、やっぱり、言葉で説明できないものを写真で語りたいんです。
それじゃ駄目です。作家は作家の言葉で、作品を説明できなければいけないのです、とたとえば安友志乃なんかが言う。
そうだろうか。
写真に言葉って、本当に必要だろうか。
写真に言葉は不要ですが、写真を見ればどれだけの言葉を写真に向かってぶつけてきた人かはわかります。費やされた言葉の総量が、ちゃんとプリントに出ると思います。
それをわざわざ言語で被せる必要があるだろうか。
・・・・・
本当に素晴らしい写真には言葉なんか必要ない。
ロバート・フランクの写真、ヨゼフ・クーデルカの写真を、僕は大好きだけれども、別に彼らの写真集の英文解説を一所懸命に読まなくても、写真のうしろにちゃんと千語万語の言葉が尽くされている。
そういう写真を見たいし、できれば自分で撮りたいと思うのです。
- 2008/04/20(日) 00:05:50|
- 写真
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OK,Darling. But What is Photograph? (2)>>
>そういう写真を見たいし、できれば自分で撮りたいと思うのです。
素直な気持ちで賛同します。
- 2008/04/20(日) 01:23:20 |
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- pei #-
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あっちでちょっとネタになってる人
昔はその言葉がなんてかっこいいんだろと思うたのだが
どうもその言葉がウザイ。
あれだけインパクトのある写真を見せてるのに
あのことばが、彼の枠の中に収斂させてしまってるように思える。もっと見る側の好きにさせろよと思うのだが
- 2008/04/20(日) 01:36:24 |
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- まご #-
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あ、写真集、写真集に限らず、洋書だとかのほうが好きだったりする。なんか解説書かれていても語学力がないから読まない(読めないんじゃなくてw)。だから好きにできる。
でもたまにこれはこうなんだよと教えてもらったら目からウロコみたいなとこもあるけどね。
flickrも同じく読まないから、その絵で勝負ってとこがいいなぁ。
でも言葉と絵(picture)のコラボは考えています。
- 2008/04/20(日) 01:42:44 |
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- まご #-
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> 写真だけ見てればかっこいいのに、余計な言葉で逆に
> 自分の写真を狭い檻の中に囲い込んでしまってる人も多い
これはまったく同感です。キャプションに添えられた字句がすごいじゃまやなあって思えることって多かったです。
> 作家は作家の言葉で、作品を説明できなければいけないのです
これはわたしもちょっと賛成できません。それは、作家が説明できなければいけない、という言い方は暗に、作家の意図と異なる方法で作品を受け取ることを拒絶しているような響きがあるからです。作品は発表されたとたん、作家の意図から自由になるところに豊かな可能性があるはずなのに。
ただ、カマウチさんとちょっと意見がちがうところもあります。
> 本当に素晴らしい写真には言葉なんか必要ない
見るだけの側でしかないわたしの意見なのですけど、「本当に素晴らしい写真に言葉を添えるなら、吟味が必要」なのかなあと思います。「言葉を添えるべき」でも「言葉は必要ない」でも無いのかなと。ただ統計的に(といってもわたしの乏しい経験ですが)、美術館やギャラリーでも、往々にして言葉が邪魔になっているケースのほうが多いなあという印象はたしかにあったので、暫定的な箴言として、カマウチさんのこの一節は真実に近いのかも知れないと思いました。
> 写真のうしろにちゃんと千語万語の言葉が尽くされている
というのはとても気持ちの良い表現で、すごいなあと思ったことでした。
- 2008/04/20(日) 02:26:37 |
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- どか #U7CTLDyk
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ホント、写真て何なんでしょうね?
写真と言葉を、あまり分けて考えないようにしています。
又、写真の「意味」を取り出す行為も避けています。
写真は、かなり「コトバ」(事の端)的なモノだと思ってます。
だから不用意に「語」や「文」で「説明」してしまうと、ズレてしまったり対立して浮いてしまったり消えてしまったりで、「コトバ」として成り立たなくなると思います。
↑こーゆーのがうっとうしいんでしょ(笑)
そこを踏まえた上で、私は割とコンセプトを立てて制作していますが、才能が無いのでカマウチさんの言うとおり、無理矢理いかめしい語を選んでます。
自分の写真、殺してます。(大した写真じゃないけれど)
ただ、判る人が見て読めばすぐに判る事なので、訊かれれば「はったりの嘘っぱちです」と言い切る事にはしています。
卑怯ですね、私。
背後にちゃんと千語万語の言葉が尽くされた写真、見たいし撮りたいと、私も切に思います。
- 2008/04/20(日) 05:30:15 |
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- なかむりゃあ #-
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こりゃまた難しいお題を。。。
そもそも私の場合は「アートってなんぞい?」てなところからまるで理解できてないし、そこに身を置いてるわけでもないので、このお題自体がよくわからんのですが、一つ思うのは「何々をしなきゃいけない」ってのが一番つまらんと思います。言葉が載ってようが、載ってまいが「なんかええ感じ〜」ならいいと思うし、載ってる載ってないって結局「ええやん」にたどり着くプロセスにしか過ぎんから、自分にとってはわりとどうでもいいことですねー。
もう一つ。自分がよく言うことですが「こだわり」と「ゆずれないもの」の違い。自分はこの「こだわり」というもんが大嫌いです。店屋によく書いてあったりするじゃないですか?当店のこだわりはどうのこうのって。あれ見るだけでアレルギー反応。こだわりなんてものは、時と共に移り変わるし、移り変わるってこと自体がまともな現象で、それが変わらないってのは死んでるも同然。なので当たり前のことを書いてどうするお前、と思うんですよね。
対して「ゆずれないもの」。これは「こだわり」ほど一過性のものじゃないです。それこそ性癖みたいなもんです。それこそ細胞レベルの話です。もっと普通の単語で表現すれば、その人が生まれ落ちたときに備わっている「特性」とかに近いものですよね。人間ってこの「特性」に従って生きるのが一番幸せじゃないですか?でもそれをトレースするだけで生きられるほど世の中甘くない。なんで、しょうもない「こだわり」みたいなものが生まれる。往々にしてこの「こだわり」というやつは、自らを正当化するための楔を打つみたいなもんです。でもね、そこに存在して息してる以上、正当化もクソもないですよね。正当ですよそんなもん。誰も彼も。やってることも含めて全て。
見たいのはその先。お前は誰やねん、みたいな。他人に対しても自分に対しても。それを至極シンプルに考えてる人間って、この「楔」ってやつはよく見えるのです。何のための楔なんかって。すんません思いっきり話脱線しましたかねえ??苦笑
- 2008/04/20(日) 10:09:35 |
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- shingai #IrJaPXh.
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ほんとにね。
- 2008/04/20(日) 23:34:56 |
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- カマウチ #7HtI5gQY
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藤原新也ね。
昔は何てかっこいい言葉を書く人なんだと思いましたが。
- 2008/04/20(日) 23:36:07 |
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- カマウチ #7HtI5gQY
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>「写真に言葉を添えるなら、吟味が必要」
上から強引に引っ張るならば、初期藤原新也の写真と言葉はかっこよかった。
福音館書店の「たくさんの不思議」シリーズの星野道夫『クマよ』の言葉にもシビれました。
娘を亡くしたロバート・フランクの、写真の上へ殴り書かれた、呻き声のような単語たちの痛みに自分の背中までヒリヒリしました。
もちろん成功例は数知れずあります。
でも言葉は無理に添えるものじゃないでしょう。
あふれてくれば書けばいい、それだけのことです。
まずは背後で語らせて、写真を突き破ってくる言葉だけを書けばいいんだと思います。
- 2008/04/20(日) 23:44:26 |
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- カマウチ #7HtI5gQY
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>↑こーゆーのがうっとうしいんでしょ(笑)
どうして? その通りだと思いますが。
>ホント、写真て何なんでしょうね?
「写真って何なんでしょうね」ということを問い続けること、だと思っています。
- 2008/04/20(日) 23:49:41 |
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- カマウチ #7HtI5gQY
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>アートとは何ぞい。
人の心をざわつかせるもの、であると考えます。どんな方向にであれ。
人の心をざわつかせるのに、「これで人をざわつかせられると確信する根拠を述べよ」とは、どういうことですかね。
ざわざわしないから、作家本人や評論家に「ざわざわのしかた」を解説させる。
ざわざわしないのは作品の持つ力が足りないせい。言葉が足りないせいではありません。
>「こだわり」
ああ、僕も嫌いな言葉です。ていうか、日本語間違ってます。「拘り」とは「拘泥する」こと。「心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。」(大辞林)。
>そこに存在して息してる以上、正当化もクソもないですよね。
ふふふ。僕らの武器は「そこに存在して息してること」でしかないですもんね、よく考えたら。
思いっきり話脱線? いつもいいヒントに感謝します。
- 2008/04/21(月) 00:11:22 |
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- カマウチ #7HtI5gQY
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あまり比喩に頼りすぎるのもよくないとは思うのですけど、たぶん、写真という素材が素晴らしいのであれば、それだけを生でおどりで食べても美味しいし、煮付けにしたり塩焼きにしたりしても美味しいし、ということかなと思います。ただ、素材が新鮮で素晴らしくないとおどりでは食べられへんから、わざわざ調理するのはもったいないかなあ、というところは好みにもなるのかと。
個人的な感想なんですけど、あまり、写真を自律的に孤立した表現として確立してしまうよりも、もっと周りに交流が生まれるようなひとつの磁場として捉えられたほうがおもしろいのではないかと思うんですよね。実際にそんな磁場としての作例があるのかと言われればわからないのですけど。
写真について、過剰にその固有の価値を称揚するのは、以前に絵画や彫刻が、同様にして自ら陥穽にはまってしまった道をたどっているような、既視感があります。それは、かつてハイカルチャーとして既成の権威としての「(カッコつきの)芸術」に対するカウンターとして、写真はとても有効に機能したに違いないのですが、いつのまにか、みずからの「仮想敵」として設定した相手と同じ身振りを取っているのではないかと。
カマウチさんの写真は、そういう意味で写真というジャンルを問いただすような趣が漂っている気がします。写真「独自の価値」を打ち立てるという題目からすり抜けたようなしなやかさと、けれどもそのまま流れてしまわない質量がある気がします。自覚的に、写真の境界を見定める必要があるとすれば、他の「(ここもカッコつきで)芸術」から写真を隔絶するための壁を作るためではなく、その境界をぼかして新たな交通を生み出すためなのかと。その交通は、もちろん制作者側の、文字やインスタレーションとのあいだででも発生するでしょうし、もしくは受容者側とのあいだの、豊かな感応でもありうるでしょう。でも、あんまり「写真とわっ」と大上段からごり押しするような写真は、受容者を感心はさせても感動はさせない気がするんですよね(あ、この辺は、ロマン主義の「崇高」「恐怖」の美学が妥当か否かになっちゃいますね、話がずれています 汗)。
ともかく、わたしにとってカマウチさんの写真は、時にそういう磁場として開かれた性格を帯びる気がして、すごく感動するんですよね。勝手な解釈なのでしょうけれど。
- 2008/04/22(火) 00:32:30 |
- URL |
- どか #U7CTLDyk
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>いつのまにか、みずからの「仮想敵」として設定した相手と同じ身振りを取っているのではないかと。
まったく同感ですね。
でも最近は『カメラ日和』『phat photo』系の女子的写真(女子ばかりじゃないけど)が、電光石火に日本のアマチュア写真界を塗り替えてしまった感があり、あの系統はあの系統で好きな部分もあり、ちょっとな、と思う部分もあるのですが、細かい文句はさておき、ある部分で阿呆な権威の足元を掬った功績は大であろうと思います。
上部(?)の様相は変わっていないのかもしれないけれども、気がつけば麓の景色が一変していた、と(笑)
>写真を自律的に孤立した表現として確立してしまうよりも、もっと周りに交流が生まれるようなひとつの磁場として捉えられたほうがおもしろい
低レベルな意味では実現してますがね。フォトログやカメピなど、一応「写真撮ってま〜す」というのを入会条件としたSNSみたいなのが興隆を極めてますし。
あ、もちろん、どかさんがそんな意味で言ってるんじゃないことは百も承知ですが。
>その境界をぼかして新たな交通を生み出すためなのかと。
いいですねーその言い方。
というか、それしか写真の存在価値ってないと思うんですよ。絵画のマーケットに便乗するために、わざわざ複製可能という利点を殺してエディションを切ったり、保存性という美術館的事情だけでカラー写真がモノクロより一等下に見られたり、そんなに「美術」に媚び売ってどうすんだ、と。
・・・・・とは思いつつ、僕も一応そういうのも体験しておこうと思って、ちゃんとエディション切った写真をギャラリー委託で売買の場に出したりしているんですけど(文句言えない・・・)
- 2008/04/22(火) 10:11:33 |
- URL |
- カマウチ #7HtI5gQY
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> 低レベルな意味では
そうですよね・・・。デジカメブームとブログブームで一気に爆発したんでしょうね(わたし自身もひとごとではないのですが)。「悪貨が良貨を・・・」とは簡単にはならないと思いますけど、これが「良貨」にとって良い潮流になればいいなと思います。
> 保存性という美術館的事情だけで
> カラー写真がモノクロより一等下に見られたり
!! ・・・これ知りませんでした、そうなんですか。
ああ、なるほど、興味深いですね。美術館というシステム自体が、古くさいイデオロギー(啓蒙、ヒューマニズム等)でようやくその形を留めているのがやっとなのに、うーん。写真について造詣が深い学芸員がもっと増えてこないとダメですね。どっちにしても。
- 2008/04/23(水) 00:17:14 |
- URL |
- どか #U7CTLDyk
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モノクロだって下手な処理をすれば10年で銀が浮きますが、カラー写真に関しては、その耐性は悲しくなるくらい儚いですからね。
でも顔料インクジェットプリンターという強い味方が出来、カラー写真も百年単位の保存が可能になりました。
美術館的事情はともかく、僕が撮ったカラー写真を、死ぬ間際くらいにも昔と同じ色で見ることが出来る、という一応の安心ができたおかげで、僕もカラーでも撮れるようになりました。
それまでは心情的に、そんな儚いものに情熱を注げなかったのです。
僕はフィルムでカラー写真を撮りますが、銀塩プリントは一切しません。自分で、という意味ではなく、外注も含めて。L版のサービスプリントすらしません。現像のみ外注して、あとは全部スキャナーを介してデジタルデータにします。
もちろん顔料プリンターを使うからです。
だったら最初からデジカメ使えばいいって?
いえいえ。ネガフィルムのポテンシャルを隅々まで発揮できるのはスキャン→デジタルプリントだと信じているからやってるだけで、今のところCCDやCMOSの絵には興味がないのです。
- 2008/04/23(水) 00:48:07 |
- URL |
- カマウチ #7HtI5gQY
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写真に言葉をつけて一つのモノにする事に
夢中になっていた時期がありました。
「伝えたい事は口に出さなきゃ解らないよ。」 がアタシのモットーだったのでww
何でもかんでも詩を載せればいいと言う風潮は大ッキライなのですが
効果的な言葉というものはちゃんとあって それを写真に添えると
自分が何かの表現者になったようなそんな錯覚に陥るんです。
それが気持ちいいんです。 ナルシストです。ww
その気持ちよさに最近出会っていないので また始めてみようかなと思いました。
でも 言葉にしなくてもちゃんと伝わるモノって 存在するんですよね。
でも 言葉にしてもらうと嬉しかったりもするんです。
特に女は!!!
って なんか話がずれちゃったけど まぁいいか・・・。
- 2008/05/08(木) 10:17:18 |
- URL |
- パラコ #-
- [ 編集]
>写真と言葉、双方が支え合う、理想的な関係を結べている作家も少なからずおられる・・・
これは、具体的にはパラコさんと腐肉さんを念頭に置いて書いています。
- 2008/05/08(木) 14:12:33 |
- URL |
- カマウチ #7HtI5gQY
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