
「当時ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのレコードはほとんど売れなかったが、そのレコードを買った人たちは全員バンドを始めた」
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(VU)の残されたライブ音源を聴くと、技術的に決して上手くはないのに、その凄まじいテンションの高さと迫力に圧倒される。ほとんど素人といってもいいモーリン・タッカーのプリミティブなドラミングは神々しいまでの昇華を見せ、ルー・リードのリズムギターが奇跡の高揚を刻む。
1969年Liveの「What goes on」、何度聴いても凄まじい演奏だと思う。もしこの曲を現場で聴けたなら、もう残りの人生どんなクソミソでも我慢できるだろう。
少し後の、ダグ・ユール(g)とその弟ビリー・ユール(ds)が参加したルー・リード脱退直前のライヴがつまらないのは、メンバーの不協和音もさることながら、凡庸に達者なビリー・ユールのドラムのせいではではないか。
「達者」な技術に魂は宿らない(モーリン・タッカーは「産休」だった)。
このライヴを聴く度に、音楽にとってテクニックって何なのだ、と思ってしまう。ヴェルヴェッツに限らず、僕の心を撃つのはTVパーソナリティーズのダン・トレイシーもそうだが、とにかく「上手くない」ミュージシャンである。ダン・トレイシーにいたっては正直「下手くそ」と断言しても良い。あそこまで下手くそである必要があるのか、と思うほどの下手くそ。
そんな下手くそな彼らが、それでも音楽をやるのはどうしてなのか。もちろん、彼らが聴かせたいのは「テクニック」なんかじゃない他のものだからだ。
写真だってそう。テクニック的に上手い写真って、何なんだろう。フォトログやフリッカーはハイアマチュアの集まりだから、まぁ仕方ないんだけど・・・ハイアマチュアってのは「上手い」もんですからね(笑) でもそんな写真ばかり見せられたら、いいかげんげんなりするよ。あんたたちがそのテクニックを使って伝えたいものって、だから何なのさ、って。
何もテクニックを全否定するわけじゃない。音楽だって、テクニックの化身のようなグレン・グールド好きだし。
でもグールドはその凄まじいテクニックを突き抜けてその向こう側に行っていた。彼にとってテクニックはあくまで手段。これは当たり前の話ですが。
やっぱり僕はヴェルヴェッツのような写真を撮りたいわけさ。切に。
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最近珍しく小説をよく読む。
野中ともそ『宇宙でいちばん明るい屋根』(ポプラ社)。
野中ともそは昔よく読んだ人。マルティニークの旅行記やニューヨークの雑貨店ルポみたいなエッセイが好きだったが、いつの間にか小説を書くようになり『パンの鳴る海、緋の舞う空』(集英社)ですばるの新人賞を受賞。でも面白くなかったな、小説は。
そんな彼女が、最近は「ヤングアダルトの旗手」みたいな感じで売れているらしい。本屋で懐かしい名前だと思って買ったのがこの『宇宙でいちばん明るい屋根』。
面白かった。上手いか下手かといわれれば、まだまだ「下手くそ」だと思う。写真や音楽ではテクニックが嫌いな僕ですが、さすがに文芸に関しては最低水準の「テクニック」は必要でしょう(保守的?)
テク的にはつっこみどころ満載の、不器用な文章ながら、それでもとても面白かった。大島弓子が書きそうな話、しかもちょっと昔の大島弓子ね。
そう、僕は大島弓子の大ファンなので、「面白かった」というこの野中ともそ評はあまり信用しないほうがいいかも(笑)
大島弓子的なものは何でも「面白い」って言っちゃうからね。
まぁ、他の野中ともそも読んでみよう。
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今は何年ぶりかで吉本ばななを読んでいます。『デッドエンドの思い出』(文藝春秋)。作家本人が自画自賛するだけあって、かなり面白い。いや、相当面白い。まだ半分しか読んでないけど。
- 2006/07/21(金) 23:40:02|
- 音楽
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拙宅のノートブックがぶっ壊れて、当分のあいだはアップロードできませんが、君もフォトログの「魚眼FISHEYE魚眼」フォーラムに参加してください。
- 2006/08/02(水) 23:00:43 |
- URL |
- 市川常楠 #B5p5WxOU
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