OK,Darling. But What is Photograph?

カマウチヒデキ kamauchi hideki

「あじさい」と『ダリアの帯』

080614blue.jpg


実はあと5〜6日で到達しそうな、このブログの20万カウント。
20万カウント踏んだ人には、まぁ例によってカマウチの写真、どれでも好きなのをプリントして差し上げます、ということにしようと思ってます。
そんなもん要らんわっ! という人は注意深く避けて通って下さい。
欲しいという方は狙ってください。

メインサイト10万カウントを踏んで下さった某mさんには、1ヶ月以上かかりましたが、一応ちゃんとジャン=ピエールの写真、お送りしました。遅すぎだってば。すみませんでした某mさん。

・・・・・

誰かのブログを読んでたら山崎まさよしの「あじさい」って名曲よね、みたいなことが書いてあって、ああ、そういえばすごくいい曲だったなぁ、どんなだっけ、と思い出してみると、「雑種の犬を飼って散歩に出かけよう〜」まではいいとして、「雨上がりの道を〜、紫陽花数えながら〜、近くの・・・」と無限にメロディが下降していって止まらない(笑)
違う、何か僕は思い違いをしている! どこかで下降は止まるはずだ! と焦れば焦るほど、正しいメロディラインが思い出せない。
名曲だなぁ、と覚えてるわけだから(出だしの歌詞も覚えてたし)、昔は聴き込んだ曲のはずなのに、この記憶力のなさって怖いわ。さすが41歳。

家に帰るのももどかしくジュンク堂で『山崎まさよしギター弾き語り曲集』なんて本を探して譜面を読んでようやく正しいメロディラインを思い出す。
そうそう「近くの公園まで〜」で持ち直すんだった。無限下降してたら歌えなくなるって。

・・・・・

この曲って、なんか辛い出来事があって(子供を亡くした?)心を閉ざしてしまった、というか、多分精神的に壊れてしまった妻を気遣う歌だと思うんだけど、それで思い出すのが大島弓子の『ダリアの帯』。あれは凄い。切なすぎる。
「あじさい」を聴くと必ず『ダリアの帯』を読みたくなる。
で、読む。
やっぱり大島弓子は凄い、という結論で、山崎まさよしの歌は忘れられてしまう。
まぁ、仕方ないさ、まさやん。
大島弓子相手じゃね。




  1. 2008/06/14(土) 00:57:21|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

そうですよ

しかたないですよ、大島弓子相手じゃ。
・・・でも『ダリアの帯』は未読です、すいません(汗

最近、浅田次郎の『椿山課長の七日間』って、
『秋日子』のコピーじゃんってふと思いました。
だれかこれ、ゆってるのかなあ。

わたしはでも、大島弓子の「深淵と過剰」よりも、
山岸凉子の「整理と欠如」により強く、
惹かれてきたのですが・・・。
  1. 2008/06/14(土) 04:17:06 |
  2. URL |
  3. どか #U7CTLDyk
  4. [ 編集]

『秋日子』コピーって、なんか1ジャンルを形成しそうなくらい世に溢れてませんか?(笑
大島さんも『庭はみどり川はブルー』でセルフコピー? みたいなことしてるし(えんじゅちゃんの出てくる話)。

僕が大島弓子にやられたのは、『ダリアの帯』もそうですが、何といっても『夏の夜の獏』です。あれを最初に読んだときの衝撃ったら。
あれこそ「漫画でしかできない」わけですし、あれが漫画で描かれる理由が理由として屹立しているわけですし。
大島作品は『毎日が日曜日』や『金髪の草原』みたいに映画化された作品もありますが、漫画表現として確立されすぎているのでどれも成功しているとはいいがたい(『毎日が日曜日』の失敗は佐伯日菜子のキャスティングがすべてなわけですが 失笑)。
誰か命知らずな監督が『夏の夜の獏』に挑まないかな。絶対玉砕しますけどね w

山岸凉子って、最近のは僕もけっこう読んでる方ですが、なんだろうな、登場人物がみんな精神的に紋切り型なんですよね(笑
まさに「配役」って感じで、大島さんみたいな融通無碍なところがない。
人間って、あんなんじゃないだろ、って思っちゃうんです。
あと、絵もちょっとついていけない。
目の表情とかも紋切り型(笑
こう描いたらショックを受けた顔、みたいな。
  1. 2008/06/14(土) 09:34:30 |
  2. URL |
  3. カマウチ #7HtI5gQY
  4. [ 編集]

なるほど・・・

大島さんの作品に衝撃をうけた世代が、
どんどん映画の制作スタッフに入ってきているのでしょうね。
たしかに、マンガという表現手段を
最大限に活用するような作風だなあと思いますね。

わたしはでも(また描画のはなしになりますけど)、
まさしくあの大島さんの、融通無碍なフレーミングに幻惑されつつ、
でもときどき振り切られてしまうんですよね。
あくまでも紙面という二次元での表現なのに、
大島さんのフレーミング(コマ割、コマ配置)は、
三次元にぐりんぐりん回るようなイメージがあります。

山岸さんはたしかに大島さんのような才能の煌めきというのは希薄でも、
あの硬質なフレーミングに、硬質な絵柄をあわせて、
ピンッと張りつめたようなムードがあってそこが好きなんですよね、
あくまで二次元という紙面に沿っていくフラットな美というか。
カマウチさんのおっしゃるとおり、
絵柄もキャラクターも類型化されているのですけど、
レディメイドのものを組み合わせた表現として楽しめるかなあと。
  1. 2008/06/14(土) 23:50:03 |
  2. URL |
  3. どか #U7CTLDyk
  4. [ 編集]

融通無碍なフレーミング

『夢虫・未草』(大好き!)の、爆弾のスイッチを持った五月君が広い広い平原の真ん中に一人立っている図、とか。
『夏の夜の獏』で走次が兄ちゃんのバイクの後ろで「キィー」と悲鳴を挙げるシーン、とか。

少女漫画、どころか、それこそ漫画というフレーミングを破ってしまった、名場面中の名場面だと思うんです。少年漫画の発想からは絶対に出てこない絵割ですよね。

人間の中の「切ない」という感情を、これでもかこれでもかと掘り起こしていく、まさに「切なさの百科全書」とでも言うべき作品群。
いやぁ、言っちゃ悪いけど・・・・じゃぁ言うなって?
言っちゃいますけど、山岸涼子では・・・・・・・・・・格が違います(小声でボソッ)。
萩尾望都で、かろうじて太刀打ちできる作品がいくつか、という感じ?

高野文子と大島弓子は、もう、どうしようもないです。
いやほんと。
どうしようもないです。
  1. 2008/06/15(日) 00:13:41 |
  2. URL |
  3. カマウチ #7HtI5gQY
  4. [ 編集]

(笑)

> 格が違います

はい、賛成します・・・(笑
山岸さんはちょっとムラもありますしね、出来に。
『日出処の天子』が個人的に、ものすごく、
ツボに来てしまったのかも知れないですね、わたしは。

大島さんに最近感じるのは、
文学へのコンプレックスというものが、
ほとんど感じられないところです。
マンガで文学的な内容へと踏み込んでいくときに、
過剰に文学を意識してしまって、
カチコチになってしまうマンガ家が多いけど(柴門とか)、
大島さんはあくまで軽やかに、
文学的モチーフに接近してるところがすごいなあと。

サブカルが市民権を得ていないあの時代に、
文学コンプレックスというものに嵌っていない
(少なくとも作品にそれを見せない)のは、
すごいことだなと思います。
帰国したら、しっかり読み込ませていただきます。

m(_ _)m
  1. 2008/06/15(日) 00:58:24 |
  2. URL |
  3. どか #U7CTLDyk
  4. [ 編集]

柴門って(笑

柴門って、こりゃまた無惨な例を(苦笑

でもたしかに、ありますね。初期は上手に文学と折り合いをつけていた近藤ようこが、最近距離のとりかたを誤って自滅しかかってる、とか。

最近すっかり漫画読んでないので(最後にハマったのは魚喃キリコか)、またいろいろ読んでみようかなぁ。
大島弓子選集完全再読、ってのもやってみたい。

せっかくだから山岸涼子も読もうか(僕は『日出処の天子』をまだ読んでないんですよ。なので山岸涼子を語る資格は、実はない w)
  1. 2008/06/15(日) 01:24:00 |
  2. URL |
  3. カマウチ #7HtI5gQY
  4. [ 編集]

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