OK,Darling. But What is Photograph?

カマウチヒデキ kamauchi hideki

痛い話

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昨晩包丁で手を切った。左手親指の先。爪がすぱっと直線に落ち、落ちた爪に直径4〜5mmの皮と、若干の「肉」が付いていた。

最近この包丁切れにくくなったなぁ、とは思っていたのだけれど。
切りにくいから、知らず、力が入る。昨日はそうやって葱を刻んでいたのだが、根っこの方から順に刻んで、先っちょの方、あまり新しい葱ではなかったので多少綺麗ではないのが数本混じっており、どこで刻むのをやめるか悩んでいるうちにやってしまった。

大して血は出なかったが、夜中になってジンジン痛み出した。むむ、指先だけに。うむむむむ。

昔は飲食店勤務だったので、よくこうした怪我はしていた。ヒビの入ったグラスを気づかずに洗っていて拳で押し割ってしまい、5針縫ったこともある(今でも右手小指に「5針」の縫い跡が見える)。
馬鹿な怪我としてはこんなのもある。友人と自分のアパートで飲んでいて、アテがなくなったので「何か作ったるわ」と酔っぱらっているくせに包丁を使い、魚を下ろすついでに自分の左手の平もざっくりやってしまった。阿呆である。
このとき学んだこと・・・酔っているとなかなか血が止まらない!
みなさん、酔っぱらって包丁持っちゃ駄目ですよ。経験者は語る。この時は3針だった。

某インド料理屋(カンテGとは別の)で働いていた時には、本当にその店の包丁は切れなくて、インド人の店長に「砥石を買ってくれ」と頼んでも「包丁、アマリ切レタラ危ナイヨ」なんて言われて買ってもらえなかった。違うよ、切れない包丁の方が危ないんだよ、と力説してもわかってもらえない。
で、仕込みで大量のタマネギを刻んでいるときに、やってしまった。左手人差し指の第二関節のところの外側の皮が、これも若干の肉と一緒に直径7〜8mmの円形に切れ、皮一枚で繋がっていた。
そのとき「あ〜あ」と思いながら、何を思ったのか、その肉付き皮を、自分で噛みちぎって、さらに何を思ったのか、食ってみた。肉は何の味もしなかったが、皮はけっこう固くて噛み切れなかったのでそのまま飲んだ。
見ていたインド人のコックさんが「アアア、カマチャン、自分ノ肉食ベタヨ!」とびっくりしたので、僕もびっくりした。
そうだよ、何で食ったんだろう。うろたえていたんだろうか。自分の行動が意味不明。

花博でパレードのぬいぐるみの仕事をしていた頃、休憩時間中にバックヤードの鉄柱で頭をぶつけ(電球が切れていて真っ暗だったのだ)、出血したが、パレードの時間が迫っていたので、頭にタオルを巻いてそのままダチョウのぬいぐるみに入ってパレードをこなした。
帰ってきてぬいぐるみを脱いだら、周りの人間が悲鳴を挙げた。頭に巻いたタオルが血で真っ赤になっていたのだ。
「早く医者行って来い!」
パレードの進行スタッフが大慌てで叫んだ。
救急の医者に行ったら
「なんでこんな怪我したんや」
「鉄柱でぶつけたんです」
「嘘つけ、喧嘩やろ」
「違いますよ、バックヤードの電球切れてて、暗くて、気がつかなくて・・・」
「鉄パイプで殴り合いしたんと違うか」
「違いますって」
そんなことより、早く頭縫ってくれよ!
経験者は語る。頭の肉は薄いので、麻酔も、縫うのも、とっても痛い。

昨日、包丁で怪我をするその直前まで、大岡昇平の『俘虜記』(新潮文庫)を読んでいた。
ちょうど俘虜収容所に、手の平を銃弾に貫通された兵士が運ばれてきたところだった。
迫撃砲にやられて体がふっ飛んだとか、手足がモゲたとか、そういう派手な話ではなくて、手の平を貫通された兵士が「ああ、もう職人の仕事に戻れないなぁ」と不運を嘆くリアルなシーンである。

指先をちょっと削いだくらいでこんなに痛く、不便なのである。手の神経を損なうほどの銃創を受けたら、どんなだろうか。
などと考えながら今朝の通勤電車でも『俘虜記』を読んでいたのだが、そういう描写を読むたび、ページをめくる指が痛んだ。

早く治らないかなぁ。


  1. 2007/09/18(火) 16:41:37|
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ばらソース!

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ああ。もうこれなしでは生きていけない!
あ、生きていけない、は大袈裟でした。

このソースと生きていきたい!
まだ大袈裟か。

神戸・長田の地ソースです。甘い中にもビリビリ来るスパイシーな味。独特のとろみ。

[OSAKASEVEN]のときに味噌とこのソースを差し入れに持ってきて下さったトギタさん。むむむ。そのセンスに脱帽です。あんなシブい差し入れ貰ったことがない。

で、そのとき以来、ばらソースの虜。
元々ウスターソースとかとんかつソースって好きじゃなかったんだけどな。オタフクとか、お好み焼きを家でするときに買ってくるんだけど、いくら関西の人間とはいえそう再々お好み焼き食べるわけじゃない。
たこ焼きもヤキソバも好きだけど、ソース1本使い切るほど頻繁には作らない。
結果的に、ソースってそんなに減らない。

しかーし。
このソースに出会ってからは、「このソースを使うために」メニューを考えるようになった。
ヤキソバの回数は絶対増えたね。
ヤキソバは断然塩・醤油派だったけど、最近は絶対ソース味ね。
ばらソース旨い。
ただキャベツの千切りにかけるだけでも十分旨い。

ありがとうばらソース。
ブラボーばらソース。




  1. 2007/08/21(火) 23:40:18|
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ペンギンに写真を学ぶ

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調子に乗って、過去のことを蒸し返すシリーズ、第3弾。
つまらんと思ったら読まなくていいです。自分のための覚え書きみたいなもんだから。

・・・・・・

なんだかんだの紆余曲折の後、カンテGに復帰したのは1991年の春のこと。以後また3年にわたってカンテにはお世話になるわけだが、復帰直後、正直言うと僕はすっかりやる気をなくしてしまって、とてもローテンションな日を送っていた。

話が前後するが、前の日記で書いた花博のパレードスタッフをやる前は二年間カンテGで働きながら演劇活動をしており、当時扇町ミュージアムスクエアを中心に公演していた「ミュージアム原始願望」という劇団に在籍したり(伊藤えん魔さんや国木田かっぱさんと一緒に舞台に立っていた)、自分で役者をかき集めてプロデュース公演をやったりしていた。

しかし89年に原始願望が解散すると路頭に迷った(住むところがなくなった、という意味ではなくて、精神的な意味でね)。
元々おそらく役者には向いてなかったのだろう。どこか別の劇団で舞台を踏もうという熱意もわかず、さりとてせっかく関わってきた演劇からこのまま足を洗う踏ん切りもなかなかつかなかった。
知り合いの劇団で舞台美術を何回かやったりしてしばらくしがみついていたが、結局フェイドアウトみたいな形で舞台との関わりが切れていった。

花博のパレードに飛び込んだのはそんな時期の話。何だかやみくもに環境を変えてみたかったのだ。今僕に必要なのはうだうだ脳を使うことじゃない。体をいじめるような仕事をしたい、と思った結果である。

・・・・で、これまで書いてきたような花博生活、工場労働、Aさんとの飲食店開店話の頓挫があって、多少の借金も抱えて疲労困憊でカンテに戻ってきた。

帰ってみれば、相変わらず平和なカンテG。以前働いていた店だから仕事も慣れているし、ここの人たちは社長もスタッフも好きな人ばかりだ。別に店に不満があって辞めたわけではないから、復帰できたことは単純に嬉しかった。やはり生活のベースというものはないといけない。

しかし、先のアテというものが何もない。バイトの先輩だった松本さんや黒田君はとうとう東芝EMIと契約が成立して東京へ出て行った(実際にウルフルズが大ブレイクするのは3〜4年後のことだが)。べつに彼らを羨むわけではないけれど、同じような年の彼らが着実にステップアップしていくのを間近に見て、振り返って自分の何もなさに呆然とした。
まぁ、ウルフルズと自分を比べてどうすんのさ、という話なんだけど。

雨の夜に、カンテの前に置いていた通勤用の自転車を盗まれて、十三大橋をとぼとぼと傘をさしてアパート(塚本に住んでいた)まで歩いて帰ったことがある。
その時、なんだか自分の寄る辺のなさに突然愕然として、恐怖のあまり橋の上で腰が抜けたみたいに座り込んでしまった。誰も助けてくれないという不安は底抜けに増殖した。
つげ義春の傑作『無能の人』で「この広い宇宙で私たち3人だけみたい」と奥さんが嘆息する場面があるが、僕は1人でほったらかしにされたような気になって、宇宙のどこにも味方なんかいないんだと気弱になっていた。
今でこそこんな大雑把な性格になっているが、青年カマウチ25歳、こんな線の細い時代もあったのだ。

そんな鬱屈を常に抱えながら、ある休みの日、春頃だと思うが、天王寺動物園にふらふらと足を運んだ。
そこで、白い擬岩の上に、体表にキラキラ光る水滴を纏ったキングペンギンが5〜6羽、天を仰いで立っているのを見た。
あのときの衝撃を、どう説明したらいいのかわからない。今から思えば彼らの何にそんな衝撃を受けたのかも、実際思い出せない。
とにかく、とてつもなく美しいものを見た、というショックの大きさだけを覚えている。

恋は理屈じゃないのよ。そう、まさに脳天一撃の一目惚れというやつだったのだ。
もちろん今までにも動物園でペンギンくらい見たことはあった。しかし、その時の自分の精神状態の何かが変な具合に作用して、そのペンギンが特別のものに見えたのだろうか。こんな美しい鳥は見たことがないと思った。

わけもわからず、ただペンギンを見たくて、毎週天王寺動物園に通った。当時つきあっていた彼女(=今の相方)が持っていたコンパクトカメラを借りてペンギンの写真ばかり撮った。
金もないのに、一日に36枚撮りのフィルムを3本も4本も使うようになった。わけのわからない渇望感に駆られてガンガンシャッターを押すのである。

そのうち、そのコンパクトカメラ(オリンパスのAZなんとかという、さほどコンパクトでもないズーム機)では飽き足らなくなり、カンテのカンバラさんに相談をした。
やっぱり一眼レフを買うべきだろう、との答え。
当時「一眼レフ」というのが何なのかも、レンズが交換できるということも知らなかった。ニコンならF-801、キヤノンならEOS-100なんていうAF機が売られていた時代だ。

しかしカメラ屋で調べてみるとAF一眼レフは高い。レンズを入れて10万以下では買えなかった。
「中古で買えばいいやん」
カンバラさんが言うには、写真を真剣に覚えたいのなら、最新のAF一眼レフなんか買わずに、中古で安いマニュアル機を買って、安く上げた分フィルムを買って撮りまくった方がいい。また、便利なプログラム露出があるような最新機種よりも、絞り優先オート程度のカメラから始めた方が理屈もわかりやすい、と。
素直な僕はカンバラさんの意見に従ってニコンFEを中古屋で買った。生まれてはじめて自分で買ったカメラだ。

FEは何千枚、いや何万枚かもしれないペンギン写真を写した。
あいかわらず毎週天王寺動物園に通い、ペンギンの飼育員さんとも仲良くなった。天王寺ではじめてキングペンギンが繁殖に成功したときも飼育員さんから電話をもらって大急ぎでかけつけ、卵の殻から出たばかりの雛(僕が「モモ」と命名。「アカ」♂と「シロ」♀の子だったから)を撮らせてもらった。
以後1年間、毎週モモの成長を撮り続け、最後の換羽が終わって成鳥になるまで記録を続けた。
撮っているうちに写真の理屈も否が応でも身についた。
僕に写真の技術を教えたのは天王寺動物園のモモをはじめとするペンギンたちである。
とにかく、久々に熱中できるものに出会って、がむしゃらに撮りまくっていた。

そうやって天王寺に通いつめるうち、その飼育員さんの紹介で、日本全国の動物園のペンギン飼育者や研究者からなる「日本ペンギン会議」という団体にも出入りするようになった。93年12月には、そのペンギン会議が催した第一回南米チリへの野生のフンボルトペンギン調査にも参加。
その渡航費用や写真機材をまかなうために半年前から夜のアルバイト(別のインド料理屋)をかけ持ちして働きに働きまくった。まさにペンギンに淫していた。ペンギン中毒といってもよかった。

そのチリで野生のフンボルトペンギンに会えたことが忘れがたく、ぜひ来年以降の調査旅行にも参加したい。しかし費用は50万円かかるのだ。朝から晩まで働きまくってなんとか費用を捻出したが、一介のフリーターにはキツすぎる金額である。
「安定した収入を得られる仕事に就きたい」
初めて切実に思った。

動物園の飼育員というのが魅力的で、口はないかといくつかの動物園に問い合わせもし、知り合いの飼育員さんに口を聞いてもらおうとも考えた。が、一方で、せっかくペンギンに教わった写真の技術を生かせる仕事もいいかも、と考え、写真関係の求人も並行して捜した。
動物園の飼育員か、写真関係の仕事。どちらか先に見つかった方に就く。そう決めた。

そして、今の写真の仕事に就くことになった。94年、27歳のときだ。
以来13年、ちゃんと続いているところをみると、それなりの適性はあったように思える。
が、その写真の知識を教えてくれたのは、繰り返すが、ペンギンたちである。

・・・・・しかし。
「野生のペンギンに会うために定職に就きたい」
という当初の目的はどうなったか?
ペンギン調査旅行が実施される冬(南半球では夏)に僕の働く営業写真の業界は一番の繁忙期を迎えるという事実を、まったく調べもせずに就職した僕が愚かといえば愚かだったのだ。
そんなもの、参加できるわけがない。

いつしか、ペンギン以外の写真も撮るようになった僕は、暗室作業も覚えたりして、モノクロ写真に熱中するようになり、ロバート・フランクだのダイアン・アーバスだのといった写真家に傾倒していき、動物園にも行かなくなった。
ペンギン会議にも、もう何年も参加していない。僕の生活から潮が引くようにペンギンの影は消えていった。

でももう一度言うが、僕はペンギンに写真を学んだ。そしてその写真を仕事にして飯を食っている。そのことは忘れちゃいけない。

あらためてお礼が言いたい。
ありがとうペンギン! あのときのキングペンギンたちが、そしてチリで会ったフンボルトペンギンたちが、僕を今のここへ連れてきてくれたのだ。


参考: 「ゾディアック!」
  1. 2007/08/04(土) 21:16:54|
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働くカマウチ(後篇)

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前回からのつづき。

生活再建のためY区のX食品という、冷凍パイ生地やマーガリンを作る工場に採用が決まったカマウチ。日給が8000円、残業のある日は1万円を越える金額が得られるとあって、皮算用上は笑みが止まらない。
だって月に25日働けば20万円だよ。頑張れば借金なんか2ヶ月ほどで返せる目算だ。

仕事の内容は出荷品のパレット(トラックに積み込むための受け皿のような木製の枠)への積み上げ作業、ベルトコンベアでのマーガリンの箱詰め作業、「ムロ」と呼ばれる、30度くらいの高温の部屋へマーガリンを熟成させるために箱を積み上げる作業、そして冷凍庫内の整理作業。
だいたいこの4種くらいを時間交代でやる。
毎日同じ作業ばかりだったら飽きて能率も上がるまい、ということなのだろうが、結果的にはこの作業交代がとんでもない責め苦だったのだ。

冷凍庫内はマイナス35度。数分間中にいたらまず鼻毛が凍り、次に喉の粘膜が凍る。次第に声が出なくなる。
もちろん防寒具は着込んで入るのだが、鼻・喉をやられるのがきつい。一応5分交代で冷凍庫の内外を出たり入ったりする決まりなのだが、5分では内部の作業もあまりはかどらないので、そのうち時間厳守のはずがナァナァになって、5分が10分、15分、と伸びてくる。

僕ら倉庫作業のアルバイトに指示を出す社員は2人いて、仮にPさんとQさんとするが、2人とも50歳くらいの年配、しかし性格がまるっきり違う。
Pさんは丸顔で快活な、筋肉もたくましいおじさんで、主に積み上げ系のバイトたちを指揮していて、バイトからも事務系のおばちゃんからも人気があった。この人は問題ない。
問題なのは病気のシロクマのような風貌のQさんだった。
ずっと冷凍庫系の仕事をしているためか常に頬と目が真っ赤で、爛れたようになっている。鼻水も凍りっぱなしだ。
彼は冷凍庫内で30分でも平気で仕事をするのだが、おそらくこんな仕事は大嫌いなのだろう。荷に怒りをぶつけるような乱暴な働き方で、しょっちゅう冷凍庫の中でドライアイスの山を蹴っている。バイトにも必要以外には絶対に話しかけない。もちろん聞かなければ何も教えてくれず、聞いても教えるのは大嫌いなようだ。

このQさんのせいで何人のバイトが辞めたかわからない。実際、本当にバイトが定着しないのだ。僕のあとにも何人か入ってきたが、たいてい一週間たたずにやめていった。
このQさんは、わざととしか思えないのだが、わざわざ「ムロ」作業が終わった者を冷凍庫に連れて行く。30度のムロからマイナス35度の冷凍庫である。温度差65度、絶対に体調を崩す。
首まわりにかいた汗が本当に凍ってシャーベット状になるのだ。風邪を引くなという方がおかしい。

結局借金のことがあるので2ヶ月は頑張ったが、その間も体調ボロボロで休みがちだったので借金を完済どころの話ではなく、かえって増やしてしまう結果になった。

しかももっと悪いことも同時に起きた。
ピザ屋をやろうと言っていたAさんが、いきなり病に倒れ、生死の縁を彷徨う容態になってしまったのだ。
なんだこの劇的な展開は。
嘘っぽいけど決して作り話ではない。何でも骨髄の中に菌が入って云々という、なんか大変な病気だったらしい。

後に話を聞くと、本人は本当に三途の川まで行ったのだそうな。
川の渡し船の人に「全部着てるものを着替えてくれ」と言われ、服を脱ぐうちに、いつもかけている眼鏡がないことに気が付いた。渡し守に「眼鏡は持って行っていいか」と聞くと、まぁいいだろう、という。で、奥さんの名前を呼び、おおい、眼鏡はどこだー、と叫ぶと目が覚めて、頭上で奥さんと医師が喜んでいる顔が見えたのだとか。

まぁ三途の川の話はどうでもいいが、とにもかくにも、ピザ屋開店どころの話ではなくなってしまったのだった。
命をとりとめたAさんは良いとして、自分の話である。
どうするカマウチ、このまま食品工場で汗凍らせてていいのか?
いいわけないな。

増えた借金におびえ、そのあと本屋の倉庫で働いたり、ぬいぐるみ時代の伝手を頼ってヒーローショーの悪役(殴られ役)になって各地のスーパーマーケットの催事回りをしたり・・・。

で、結局僕が選んだ道は。

・・・・・

中津カンテGに復帰。
店長のヤスダさんにおずおずと聞く。
「あのう、募集してます?」
ヤスダさん、笑って言う。
「いつから来れるねん」
あのときは本当に、ヤスダさんが神様に見えたよう。

それから3年間、またカンテGで働きました。


  1. 2007/08/01(水) 18:41:16|
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働くカマウチ(前篇)

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最近たまたま、昔働いていた食品工場の近くを通りかかった。
業務用のマーガリンやパイ生地なんかを製造する工場で、働いていたのは僕が22〜23才くらいだから、もう17年以上たつ。
ちょっとその前後の話を思い出しながら書いてみようと思う。

・・・・・・

大学を辞めてしばらく中津のカンテGで働いていたのだが、大阪花の万博(1990年)のパレードスタッフをやらないかと誘われ、カンテより給料が良かったことに惹かれてあっさり転職した。アイフルのパレード隊でダチョウやゴリラや象のリアルなぬいぐるみに入って踊る仕事だ。当時僕は23才。

ぬいぐるみといってナメてはいけない。象なんか30kg以上ある。それを、前足の役と後ろ足の役、二人一組で演るのだが、前足役の人は応援団の旗持ちの要領で腰から太い棒を介して象の頭を支え、後ろ足役の人間は頭部の重さを分散させるためにお尻の方へ体重をかけながら歩く。2人のコンビネーションが大事で、相性の悪い人と組むと地獄の苦しみを味わう。

一番相性が悪かったのはN君という、中学卒業したての15才の少年で、なんでやねん! というくらい、彼との象は駄目だった。華やかなパレードの音楽にかき消されているが、象の中では僕とN君の怒声が常に飛び交っていた。
「後ろ、もっと体重かけて!」「引っぱりすぎ!」「ああもう!」

逆に相性の良かったのは同い年のS君。彼が頭、僕が後ろ足のときのコンビは最高だった。30kg、つまり1人あたり15kgの重さに堪えながらスキップが踏めた。

花博というのは4月〜9月の半年だったから、その年は暑い季節の間ずっとぬいぐるみに入って過ごしたことになる。その夏は猛暑で、気温が36度を越えることはしょっちゅうだったし、最高は39.4度(当時大阪の観測史上2位!)。36度といっても、会場内温度は常に40度を越え(最高気温の日は44度!)、路面温度は60度以上になった。
そんな中でぬいぐるみに入るのである。1パレード30分を1日3回。

象に入るときには首からかけられる紐の付いた布の袋を渡される。中には塩漬けの梅干しと、粗塩が入っている。
「気を失いそうになったら舐めろ」
実際にパレード中に倒れたことはなかったが、終了直後に気を失ったことは二回あった。「目が回る」という言葉の意味をはじめて本当に体験した。世界が回って、暗くなる。

もう時効だろうから書いてしまうと、当時箝口令が敷かれたが、花ずきんちゃんに入っていた男の子が熱射病でパレード中に倒れ、病院に担ぎ込まれた。その後数週間入院したらしい。それくらいの酷暑だった。

カンテで働いていた頃の月収は12万円くらいだったが、パレードの仕事は手取り15万くれるという。その差額3万円に惹かれて飛び込んだのだが、すぐに浅はかさに気がついた。
とにかく体力を消耗する。1パレード終わるたび、長袖トレーナーを絞ると音を立てて路面に落ちるくらいに汗をかく(何回もTVの取材が来て「この夏一番つらい仕事」として紹介された。TVの前で何回トレーナーを絞らされたかわからない)。
とにかく食わなきゃやってられんのだ。食わなきゃ倒れる。とにかく食費がかかった。
カンテで僕は朝番の仕込み隊だったので、朝、昼とカンテで飯を食う。つまり、ほとんど食費がかからなかった。それが、パレードの仕事についてから朝昼晩と腹一杯食うから、差額の3万円なんてあっという間に食費で霧散してしまう。
結果的にカンテ時代より貧乏になった。

今から思えば、同じパレード隊にDonDokoDonの山口智充(ぐっさん)がいた、というのは余談。彼はぬいぐるみじゃなくて船員の格好をして船の形をしたフロートに乗っていた。

・・・・・・

花博は半年だから、9月末をもって自動的に退職となる。僕は花博の下請けの企画会社の社員という身分だったのだが、花博スタートから半月遅れて参加したため就業期間が半年に二週間足りず、失業保険がもらえなかった。
とにかく次の仕事を探さなければならない。

そんなとき、カンテ時代に知り合ったAさんという服屋の社長がいて「飲食店やってみたいんやけど、カマウチ君、いっしょにやらへんか」と声をかけてくれた。
阪急・庄内駅の近くでピザ屋をやろう。ランチタイムはピザ以外の食べ物も出そう、と、場所も決まり、僕もいろいろ食べ歩いて味の研究をしたり、試作を重ねたり準備をしていたが、開店するまでの生活を保障してくれるわけではないので、それまでは生活のために仕事をしなければならない。

元々少ない稼ぎをほとんど食費につぎこんでいたので蓄えなどあるわけがなく、Aさんとの飲食店の話で悩んだりしている間仕事をしていなかったので、まったく生活費が捻出できなくなった。
本来ならピザ屋開店準備のために、どこかピザ屋に修行がてら働きに行く、というのが当たり前の道筋だろうが、銀行のカードローン通帳で借金までしているので、とにかく手っ取り早く金を稼がねばならなかった。

・・・・・・

で、冒頭に書いた食品工場に飛び込むことになる。
「日給8000円!」
当時これは破格のアルバイトだった。

長くなったので以下次号。


  1. 2007/07/31(火) 21:00:20|
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10万名様ご来場ありがとうございました

カマウチのブログ、本日午後1時30分頃、10万カウントに到達いたしました。
皆様本当にありがとうございます。
100000カウントを踏んだ方、ご一報下さい。
kamaneko[at]kpb.biglobe.ne.jp 宛メールください。([at] → @ に変えて下さい)
何かプレゼントさせていただきたいと思います。
  1. 2007/07/15(日) 13:42:23|
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頭痛の日

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頭痛持ちである。
EVEは常備薬。手放せない。たまーにだが、頭痛薬ではどうしようもなくなるくらいヒドくなるときがある。今日もそう。たまらず仕事早退。
家に帰って2時間くらい無理矢理寝たらなんとか治った。
やっかいである。

海音寺潮五郎『二本の銀杏』がもうすぐ読了。
今日読み終わるくらいのペースだったのに、頭痛のせいで読めず。いいところなのに。
海音寺潮五郎は至極男性的な作家と称せられるが、これは立派な恋愛小説である。レベル、相当に高い。
明日が最終回、という心持ちで。

頭痛の朦朧とした頭でFMココロを聴いていたら知り合いが所属するリュクサンブール公園というアコーディオンバンドが出演していた。番組終わりかけだったのが残念。頑張ってるなぁ。

あー、また痛くなってきた。寝よ。

・・・・・

あ、そうそう、あと2〜3日でこのカマウチ・ブログ、来場者数10万名様突破しそうです。1年2ヶ月目にして。感謝、感謝であります。
10万人目踏んだ人、ご一報下さい。プレゼントありです。
  1. 2007/07/13(金) 21:56:26|
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親子って何やろ

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ピアノの練習音が聞こえる。
グレン・グールドのお株を奪うかというくらい超スローテンポの「エリーゼのために」。おそらく小学生くらいの女児であろうと思われる。
多分母親は夕飯の支度などをしながら娘の練習を聴いていて、あちこちで「ほらズレた」だとか、「ちゃんとテンポ合わせて」などと口を挟む。
それに対して娘は何か口答えをするらしいのだが、僕(そのピアノが漏れ聞こえてくるマンションの前の路上にいるのである)のところへは母親の声しか聞こえず、娘が何を言っているのかはわからない。

(♪エリーゼ)

ほらもう。なんでさっきから同んなじとこばっかりズレるん? ええ? ちゃんと弾き。ああもう、あかんなぁ。
△△ちゃん(多分別の娘)、□□(さらに別の子)を風呂に入れたって!
○○(ピアノを弾いてる子)! ちゃんと弾けって言うてるやろ。もう!
あんたな、嫌々やるんやったら何の意味もないんやで。わかるか? さっきから同じとこばっかりズレるやん。何のために練習してるん。ええ?

(♪エリーゼ)

△△、風呂入れたってって言うてるやろ! 聞こえてる?
ああもう、○○、あんたほんまに下手やなぁ。何なん、そのピアノ。それ、音楽って言わんで。そこまで行ったら騒音や。はい、もう一回やる!
ああもう、またズレてる!
あんた、真剣に弾きや! なんであんたは下手なピアノ弾いてて、△△は□□を風呂に入れてるんか、ちょっと考えてみぃや。そんな下手なピアノ弾いてるくらいやったらあんたが風呂入れて来いっつーんよ。もう。信じられへんわ。

(♪エリーゼではない別の軽い曲)

こら! 何弾いてんねん! エリーゼ弾けっちゅーねん!
アホかあんた。そんな集中力ないことでどないすんの!
ほんまあきれるわ、あんたには。ドツくでほんま。

(♪渋々、といった感じでエリーゼ)

そこや。そこズレるねん、いっつも。進歩のないやっちゃな。はぁ? 「進歩」って意味わかるか? しんぽ、って漢字書けるか?
ああもう騒音やわ。それは音楽と違うわ。なんであたしはこんな騒音にずっと堪えてなあかんのよ。いくら我が娘やいうたかて。これ拷問やで。ええ? 拷問やって言うてんねん、聞こえてるか? ああ?

(娘、何か口答えする)

はっ! あんた今何言うた? はっ! もう口調までそっくりやっちゅーねん、あんたの父親と。ああアホらし。ヘドでるわ! こんなとこまで似るんやな。遺伝て恐ろしいわ。ああもう、アホらし。ああむかつく!

(娘、もはや何も弾かず)

ああ。あんたさ、考えてみたことない? 親子って何やろ。なぁあんた、考えてみたことないか? あたし最近しょっちゅう考えてるんよ。
あんたのヘドでそうなピアノ聴かされてさ。あーたらこーたら言うたげてさ。せやのにあんたはこんなんやろ。
あんた、楽しいか? 楽しぃないやろ?
あたしは楽しぃないわ。いやほんま、全然楽しぃないわ。

なんでこんな気分悪い思いしながらあんたのピアノ聴くん? 親子やからか?
親子って何やろ。なぁあんた、聞いてるか?
親子って何やのん、なぁあんた、考えてみぃや。
なぁ。

ほんまもう、わけわからへんで。もう。
何手ぇ止めてるねん! 弾きぃや! もう!
あああ。何やっちゅーんよ。泣きたなってきたわ。あああ。

・・・・・・・・

ええと、私がいるのは京阪神で最も高級と言われるA市の、閑静な住宅街の中にある、A市の中でも一、二の評判をとる某フレンチ・レストランの前です。
このレストランはマンションの1階部分にあって、上の会話はこの上のマンションの一室から聞こえてきております。
あ、実況はカマウチヒデキでございます。

このフレンチ・レストラン、最近改装をいたしまして、外観、内装ともに新しくなりましたので、広報系の写真を一新したいと。そういうわけでわたくし、朝から仕事で撮影に来ているわけです。
で、内装を撮り終わり、昼間の外観を撮り、料理の写真を撮り、あとは夕暮れ時にライトアップされた外観を撮れば仕事は終わりです。
夕暮れの写真というのはチャンスが短いですから、さっきからずっとカマウチ、三脚にカメラを乗せたまま、レストランの前でいい頃合いに日が暮れるのをじっと待っていたんですね。

待つこと30分、ようやくいい具合の明るさになりかけて来た頃、上のマンションから上記の会話(といっても母の声とピアノしか聞こえない)が降ってきたわけです。
もう、耳は釘付けですよ。あ、耳は釘付けとは言わないか。

最初はうっとーしいオカンやなぁ、娘かわいそうやなぁ、としか思わなかったんですが、途中(娘が父親と同じ口調で口答えしたあたり)から母親がヒートアップしまして、半狂乱になったかと思うと突然トーンが下がり、しみじみ系の嘆き節に転化。もう独り舞台なわけです。
「親子って何やろ。なぁあんた、聞いてるか?」
のあたりはもう、母親の目に涙さえ浮かんでいるのではないかと想像され・・・

おわっ! 聞き入ってる場合違うっちゅーねん! 日ぃ沈みかけやんか!
写真撮らなあかん! (シャッター押しまくる)ああ危ねぇ・・。

・・・・・・

なんとか無事に夜景撮影も終わり、冷めていたとはいえ撮影に使った料理もご馳走になり(笑)どうもありがとうございましたー! とレストランを出た頃にはもう母親の嘆き節は終わってましたが。
どうなったのかな、続き。

「親子って何やろ」
まぁ、あんたが考えてるよりはもっとシンプルなもののはずですよ。お母さん。



  1. 2007/07/06(金) 20:20:56|
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丼話など

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前に滝谷不動尊にヒナコのことで願掛けに行った帰り(参照:「祈るということ」)、滝谷不動の駅前のうどん屋で食べた親子丼が、ちょっとびっくりするくらいに美味しかった。
しっかりダシをきかせて味付けも濃いめ、玉子の半熟具合も名人級で、見た目も味も完璧な、これぞ正統派! という感じの、本当に見事な親子丼だった。

最近仕事で行った宝塚の某高校の学食で「カツ丼」を食ったのだが、値段は300円、カツがペラペラなのは仕方ないとして、ちょっと面白いのは玉子で綴じるのではなく、「玉子が入ったあんかけ」で綴じてあったことだ。
大勢の生徒たちが集中する昼休みに、いちいち半熟具合を気にしながら火と格闘するのは土台無理な話。しかしなんとかクソ忙しい中でも「カツ丼」ぽいメニューを作れないだろうか、という懸命な工夫が感じられて小気味よく、味はもちろん「正式な」カツ丼とは違うものになっているものの、それなりに美味しかった。次またあの学校へ行ったらあのカツ丼を食べようと思う。

しかしこういう変則技もいいけれど、しかしやはり滝谷で食べたような、正統派の丼を食べたいよなぁ・・・と、変則カツ丼をそれなりに楽しみながらも、心はいつしかあの滝谷の店へ。
でもなかなか綴じ丼の美味しい店ってないですな。いろいろ食べ歩いてみたけれど、あそこまで真剣勝負な丼には出会えない。
ヒナコの快癒のお礼に、また滝谷へ行って来ようかな。お礼というより明らかに親子丼目的だな。不動明王様、怒るかな。

ちなみに今までで最低だと思った親子丼は阪急今津駅すぐそばにある某店。
「半熟玉子のおいしい親子丼!」という惹句につられて頼んでみたら、ガチガチに玉子に火が通った親子丼をまず作り、その上に生玉子(!)を割り入れて出してきた。
おい、これは反則だろう! と怒鳴りたくなったよ、ほんと。反則というか、詐欺だよな。調理師としてのプライドっちゅーもんがないのか!
同じ「簡易版」でも某高校学食のあんかけ式の方がはるかに志が高い。恥を知れ。

カツ丼といえば神戸三宮の名物「吉兵衛」。神戸の人はたいてい知ってるはず。最近神戸に行かないので長らく食べてないなぁ。ああ、恋しくなってきた。
あそこは帰る客が店主に「ごちそうさまでした」と声をかける率が7割を超える(カマウチ調査)という凄い店。思わず店主にお礼を言いたくなるくらい美味い、ということ。
カップルで行っても別々に座らせられる(席の空いた順に)という「掟」にも誰も文句を言わずに従い、「ごちそうさま」と声をかけて帰っていく。見事である。

・・・・・

と、なぜか丼談義などをしながら、あと4時間後に40歳になるカマウチです。
『マカロニほうれん荘』のきんどーちゃんと同い年になるのか。
感慨深い。


  1. 2007/06/12(火) 20:00:00|
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まだまだ斎藤美奈子/コーワシックス

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斎藤美奈子が止まりません。
『モダンガール論』(文春文庫)快著でした。読み終わった電車を降りて、そのままジュンクへ直行。『あほらし屋の鐘が鳴る』(文春文庫)と『それってどうなの主義』(白水社)を購入。白水社の方から読み始めましたが、すでに半分読了です。
全冊読破行っとくか。おー。

『ポートレート展』でモデルをして下さった方々。ようやくプリントを終え、今仕上げ中です。
横でヒナコがアーアー泣いています。子供の泣き声を聞きながらプリントの裁断作業なんかしてると、なんか不思議な気分です。
ともかく、もうすぐ送ります。お待たせしました。

最近D木さんのコーワシックスを借りたり、ライカに(これまたD木さんの)カラスコ21/4を付けたり、いろいろ撮ってはいるのですが・・・まったく現像ができません(泣)。時間がない。
誰か現像してくれんかなぁ。失敗したら? ただじゃすまんぞ。

しかしコーワシックスのレンズ(80mmF2.8)はファインダー覗くだけでいいレンズだとわかる。ボディがいまいちチャチくさい感じだが、レンズはあれ、相当良さそう。
ただ、ピントリングがかなり重い。急いでピントを合わせるにはちょっと指力が必要。
このコーワでHさんを撮らせてもらったブローニー2本も未現像。
ああ早く見たいのにっ!

  1. 2007/05/27(日) 02:01:20|
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